mixiユーザー(id:2396826)

2018年09月15日19:08

170 view

最近、思ったこと。part0030


  〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその6{かっ飛びつまみ食い編その4}。みんな、自民党総裁選の共同記者会見みたか?感想は?俺は昨日から正直震えが止まらない(ToT)。以前から分析・予測してきたことだがあまりにも展開が早過ぎる(ToT)。はっきり書く、


日本国内閣総理大臣・安倍晋三はロシアへの北海道の割譲に「同意」したΣ(OoO)。


ハゲチビ(プーチン)は「無条件」の「平和条約締結」を公開の席(東方経済フォーラム、ウラジオストク2018年9月12日)で公然と提起したのに、安倍晋三は敢然と席を立って「交渉打ち切り」を指令しなかった(怒)。それどころか、並んで柔道見学の上、自民党総裁選共同記者会見で


「(プーチンが平和条約締結を決意したから)今年の11月、12月の首脳会談、これは重要な首脳会談になっていく」


と悶絶する大暴言を吐き捨てている(怒)。間違いない、一昨日は「半々」と書いたがほぼ90パーセント越えで今年の内に「平和条約」を妥結させるつもりだ(怒)。なにが「今思いついた(byプーチン)」だ(笑)。おそらく2年前のリマでこの「筋書き」はできていたはずだ。そして当日の「秘密会談」で最終的な打ち合わせをして2人グルになって公表した(怒)。みんなぜひこの瞬間の「画像」を探して「裏切り者の安倍」の野郎の「表情」をじっくり観察して確認してみてくれ、


憮然とした表情を取り繕っているがちっとも「驚い」ていないから(黒笑)。


つ・ま・り、事前に「知っていた」のさ(黒笑)。本来なら「仰天」していて当然だろう?こっちの立場は繰り返し繰り返し伝えていたのに「真逆」の提案を「突然」されたのだ。なら「仰天」し一昨年の「リマ」以上に顔面真っ青になっていなければ「絶対におかしい」場面なのよ(-_-;)。なぜこれが判らん?はっきり書く、


安倍晋三は「外交敗北」したのではなく「通謀利敵」したのさ(激怒)!


これが判らないやつが多すぎる(怒)。ついこの間も「CatNA」というブロガーがあの辻正信を擁護した「デタラメ記事」を配信していて激怒した(怒)。「【徹底検証】『ノモンハン・責任なき戦い』とNHKの責任(blog.livedoor.jp/catnewsagency/archives/33400546.html)」という記事だ。はっきり書く、この記事はNHKの当該「インチキ番組」よりはるかにずーーーーと酷い(怒)。なぜなら、


「通謀利敵」した辻を擁護し、「リンチ殺害」された部隊長を罵倒しているからだ(激怒)!


「CatNA」氏は精力的に反日記事やその作り手を検証しているブロガーで、その点ではおれ自身も高く評価し感謝もしている。たがこの「デタラメ記事」だけは許容範囲を大きく逸脱して尽く間違っている(怒)!まず第一の論点は「リンチ殺害」を「軍法会議」と論点を摩り替えているが


井置中佐死亡時どこに「軍事裁判官」がいたのか(怒)?


「弁護人」どころか「裁判官」さえいなかったのだ(怒)。それのどこが裁判?それを「リンチ殺害」と読んで何が悪い(怒)!ついでの論点は信じられないような「デタラメ」な「エコヒイキ」(怒)。壊滅的打撃(兵力半減)の上、やもうえず「無断撤退」した指揮官を正規の裁判にもかけずに


なぜ「敵前逃亡」とでっち上げるのか(怒)?


とある「無断撤退」が「敵前逃亡」であるのか、やむにやまない「戦術的撤退」なのかは軍法的には「軍事裁判」の上で決まる。とある事件が「犯罪」なのかやむにやまない「緊急避難・正当防衛」なのかが法的には「裁判」の上で決まるのとまったく同じだ(怒)。「CatNA」氏に問いたい、


部下を半分死なせる迄頑張った連隊長の「裁判」を受ける権利さえ否定するのに(怒)、

な・ぜ・

その根本原因をつくった辻正信を徹頭徹尾「擁護」するのか(怒)?


はっきり書いておくが、「満ソ国境紛争処理要綱」を起草した辻正信は最初から「味方殺し」をたくらんで小松原師団長、植田謙吉関東軍司令官と共に「通謀利敵」していた。敵下100メートルの崖下の砂地、「必敗」の文字道理「死地」を味方に「死守」させだ(怒)。グーグルアースで確認してみろ!なにが「毀誉褒貶相半ばする」「前途ある中堅将校」だ(怒)。「CatNA」氏には刑法及び陸軍刑法の以下の条文を繰り返し繰り返し読むことをお勧めする。


帝国刑法

第81条[外患誘致] 外國ニ通謀シテ帝國ニ對シ戰端ヲ開カシメ又ハ敵國ニ與シテ帝國ニ抗敵シタル者ハ死刑ニ處(処)ス
第82条[外患援助] 要塞、陣營、軍隊、艦船其他軍用ニ供スル場所又ハ建造物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑ニ處ス
兵器、彈藥其他軍用ニ供スル物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス
第83条[通謀利敵] 敵國ヲ利スル爲、要塞、陣營、艦船、兵器、彈藥、汽車、電車、鐵道、電線其他軍用ニ供スル場所又ハ物ヲ損壊シ若クハ使用スルコト能ハサルニ至ラシメタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス
第84条[同前] 帝國ノ軍用ニ供セサル兵器、彈藥其他直接ニ戰闘ノ用ニ供ス可キ物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ處ス
第85条[同前] 敵國ノ爲メニ間諜ヲ爲シ又ハ敵國ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ五年以上ノ懲役ニ處ス
軍事上ノ機密ヲ敵國ニ漏泄シタル者亦同シ
第86条[同前] 前五條ニ記載シタル以外ノ方法ヲ以テ敵國ニ軍事上ノ利益ヲ與ヘ又ハ帝國ノ軍事上ノ利益ヲ害シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ處ス
第87条[未遂] 前六條ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第88条[外患予備・陰謀] 第八十一條乃至八十六條ニ記載シタル罪ノ豫備又ハ陰謀ヲ爲シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ處ス
第89条[戰時同盟國ニ対スル行爲] 本章ノ規定ハ戰時同盟國ニ對スル行爲ニ亦之ヲ適用ス


帝国陸軍刑法


第二十七条 左ニ記載シタル行為ヲ為シタル者ハ死刑ニ処ス

一 軍隊又ハ要塞、陣営、艦船、兵器、弾薬其ノ他軍用ニ供スル場所、建造物其ノ他ノ物ヲ敵国ニ交付スルコト
二 敵国ノ為ニ間諜ヲ為シ又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助スルコト
三 軍事上ノ機密ヲ敵国ニ漏泄スルコト
四 敵国ノ為ニ嚮導ヲ為シ又ハ地理ヲ指示スルコト
五 敵国ニ降ラシムル為司今官ヲ強要スルコト
六 敵国ノ為ニ俘虜ヲ奪取シ又ハ之ヲ逃走セシムルコト

第二十八条 敵国ヲ利スル為左ニ記載シタル行為ヲ為シタル者ハ死刑ニ処ス

一 要塞、陣営、艦船、兵器、弾薬其ノ他軍用ニ供スル場所、建造物其ノ他ノ物ヲ損壊シ又ハ使用スルコト能ハサルニ至ラシムルコト
二 水陸ノ通路、橋梁ヲ損壊又ハ壅塞シ又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ軍隊、艦船ノ往来ノ妨害ヲ生セシムルコト
三 司令官軍隊ヲ率ヰテ守地若ハ配置ノ地ニ就カス又ハ其ノ地ヲ離ルルコト
四 隊兵ヲ解散シ又ハ其ノ潰走混乱ヲ誘起シ又ハ其ノ連絡集合ヲ妨害スルコト
五 兵器、弾薬、糧食、被服其ノ他軍用ニ供スル物ヲ欠乏セシムルコト
六 命令、通報若ハ報告ヲ詐リ伝ヘ又ハ虚偽ノ命令、通報若ハ報告ヲ為スコト
七 造言飛語シ又ハ敵前ニ於テ叫呼喧噪スルコト

第二十九条 前二条ニ記載シタル以外ノ方法ヲ以テ敵国ニ軍事上ノ利益ヲ与ヘ又ハ帝国ノ軍事上ノ利益ヲ害シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処ス


当たり前だが「敵前逃亡」の「罪」より、「仲間殺し」の「通謀利敵」の「罪悪」の方がずーーーーーーーーーーと「重い」(怒)。当たり前だろ(激怒)!ちなみに「日本国法務省」はこの「通謀利敵」を70年にわたり「組織的」に続けてきた(怒)。その罪、とても許しがたし(黒笑)。いずれ必ずまとめてその「責任」を問う(怒)。だから、今は話を元に戻す。ふーーーーーー(-_-;)、「軍規確立」問題や「法務・治安機関再建」問題と同時進行しなきゃいけない話しだしナ(-_-#)。し・か・し・この話してるのなんで俺だけ?あたまいてーーーー(ToT)。さてと、本題に話を移す。前回、「オプリチニーナ」解説のため、ざっくりモンケ・カーン即位までの「前期モンゴル帝国史」をチャートした。チャートは以下の通り



1、戦争強いが政治ができない突厥(トルコ)帝国が552年に建国される。
           ↓
2、戦争強いので30年ほどで西はカピス海から東は満州までの遊牧大帝国を建国する。
           ↓
3、政治ができないので内ゲバが始まり東西分裂する。
           ↓
4、内ゲバの「負け組(カザーク)」が近隣諸国に亡命し傭兵(マムルーク)となる。
           ↓
5、国内では分裂・内ゲバが止まらず、国境を挟んでもトルコ人同士が殺しあう。
           ↓
6、ついには本拠そのものが近隣諸国に分割統治され際限の無い分裂・内ゲバが続く「地獄絵図」となる。
           ↓
7、その「地獄絵図」の中からテムジンが生まれる。
           ↓
8、テムジンが手段を選ばぬ戦法で高原を統一する。
           ↓
9、部下への「たばね(政治)」を維持するための報償を生み出す「交易路(東部シルクロード)」を制圧する。
           ↓
10、テムジンが部下の推戴を受けジンギス・カーンとして即位する。
           ↓
11、「交易路(東部シルクロード)」の権益で誘うと金帝国の「負け組(カザーク)」キタイ(契丹)部族が簡単にモンゴル側に寝返る。
           ↓
12、キタイ(契丹)部族の活用で宿敵・金帝国があっけなく半壊する。
           ↓
13、意を強くしたジンギス・カーンは「交易路(中部シルクロード)」で同様の戦法を取るよう「四狗」の一人ジェベに命じる。
           ↓
14、ナイマン部族の残党の制圧下にあった中央アジアで「負け組(カザーク)」カラ・キタイ(黒契丹)部族が簡単にモンゴル側に寝返る。
           ↓
15、本隊の到着を待つままでもなくジェベはナイマン部族の残党を単独であっさり制圧。
           ↓
16、ジンギス・カーンはユーラシア全「交易路(シルクロード)」制圧を決意して大西征を命じ親征する。
           ↓
17、ジンギス・カーンは中央アジアのホテムズ・シャー帝国の根幹であるトルコ系遊牧民カルルク族をいつもの手で接収、長子・ジュチに与える。
           ↓
18、「四狗」のジェベ・スブタイ率いる最精鋭部隊をキプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)への侵攻させる。
           ↓
19、ジュチの死、西夏反乱を契機に「大西征」を切り上げ、赴いた西夏王国壊滅戦中にジンギス・カーンが死ぬ。
           ↓
20、ジュチ家をカルルク族の領地へ遠ざけ、トゥルイの領地であるモンゴル本土を兄・チャガタイの協力で押さえたオゴタイが第二代のカーン位に就く。
           ↓
21、即座に全軍を南に向け金帝国壊滅戦争へ突入する。その途上、勝利の最大の功労者トゥルイがなぞの死を遂げる。
           ↓
22、金帝国を壊滅させた後、オゴタイ・カーンが首都カラコルム落成と同時に「クリルタイ(帝国会議)」を召集する。
           ↓
23、「クリルタイ(帝国会議)」でジンギス・カーンの「未完の事業」であるキブチャク草原制圧のため大遠征が議決され軍が組織される。
           ↓
24、ジュチ家の長バトゥ・カンを総司令官とする5万の軽騎兵からなるモンゴル大遠征軍がトランスコーカサスへ侵攻する。
           ↓
25、まず、以前から進めていたカルルク族の地に隣接したボルガ・ウラル地区に侵攻しヴォルガ・ブルガール王国を制圧。
           ↓
26、ついで南北から同時侵攻してトランス・コーカサス全体を包囲してトルコ系キブチャク族を制圧、ヤサの軍律下に再編成する。
           ↓
27、再編成なった10万騎近い大軍を小手調べにボルガ・ウラル地区に隣接する北部ルーシーに侵攻させる。
           ↓
28、リャザン・コロナム・モスクワ・スダダリがあっさり陥落し、防衛出動したウラジミール大公・ユーリー2世を撃殺しウラジミールを占領。
           ↓
29、それ見てガリーチ公ダニールやノブゴロド公アレクサンデル・ネフスキーらがあっさりモンゴルに降伏する。
           ↓
30、補給のためいったん、全軍トランス・コーカサスへ後退するも総司令官バトゥ・カンとオゴタイの子グユクが指揮権をめぐって対立する。
           ↓
31、オゴタイは喧嘩両成敗でグユクとバトゥ・カンの同盟者(アンダ)モンケを部隊ごと本国へ召還する。
           ↓
32、純モンゴルの主力部隊が半減したにもかかわらずバトゥ・カンは遠征を強行する。
           ↓
33、中部ルーシーに威力進駐してチェルニコフ占領後にキエフを強襲して全面破壊する。
           ↓
34、ついでルーシー人を大量徴発して軍を5部に分け、ハンガリーの首都ブタペストでの合流を全軍に指令する。
           ↓
35、ポーランド王ヘンリク2世始めとする東欧軍を根こそぎ撃破し、モヒ草原でハンガリー王ベーラ4世率いるハンガリー・ドイツ連合軍を大破しブタペストを占領する。
           ↓
36、ウイーンに侵攻直前にオゴタイ死去の知らせを聞き、グユク即位後のトランス・コーカサス侵攻を恐れ全軍に撤退命令を下す。
           ↓
37、バトゥはトランス・コーカサスに帰還するも、カーン選出の「クリルタイ(帝国会議)」出席を拒否する。
           ↓
38、グユクがバトゥ抜きで「クリルタイ(帝国会議)」を強行し、カーンに即位する。
           ↓
39、グユクは「新征西軍」を組織しトランス・コーカサスへ向かうも途上で謎の死を遂げる。
           ↓
40、迎撃に出たはずのバトゥは戦うことなくそのままモンゴル高原に到着し「クリルタイ(帝国会議)」を召集。
           ↓
41、「クリルタイ(帝国会議)」はバトゥの二重いとこで同盟者(アンダ)のモンケを第4代にあっさり選出。
           ↓
42、モンケ・カーンはハンガリー攻略の「新征西軍」を解体し、「交易路」ではなく農耕地の「領土」獲得を方針とする「新国策」を宣言する。
           ↓
43、「新国策」モンケ・ドクトリンを実現するため「クリルタイ(帝国会議)」を召集しイラン・南部チャイナ(南宋)侵攻を決定する。
           ↓
44、モンケは2人の弟、クビライを漢地大都督に任じて北部チャイナを統括させ、フレグにはオゴタイ・チャガタイ両家から取り上げた「交易路」付近の領土から徴発した兵力を与えてイラン侵攻を命じ、自分はモンゴル本土の兵力を自ら率いて南部チャイナ(南宋)へと向かった。
           ↓
           ・
           ・
           ・


これから、これを土台にロシア平原に進出したモンゴルの遊牧騎士たちの歴史つまり「北西モンゴル史」を語っていくわけだが、「前期モンゴル帝国史」に少し補足がある。前々回、「モンゴル帝国は552年に建国された突厥帝国の時間差を置いた「継承国家」である」と書いたし、そのこと自身はその通りなのだが、モンゴル帝国は文化史的には「契丹帝国」の影響を「突厥帝国」以上に強く強く受けている。そのことは頭の隅において置いてほしい。いずれ、モンゴル帝国史まとめるときに詳述するが、直接的には関係ないので今回は割愛する。さて、チャートして説明しようか。


1、ジンギス・カーンは中央アジアのホラムズ・シャー帝国を滅ぼし、最精鋭部隊を次の目的地キプチャク草原(ウクライナ・トランスコーカサス)への侵攻させる。
           ↓
2、「四狗」ジェベ・スブタイ率いる2万騎の最精鋭部はルーシー・キプチャク連合軍をカルカ河畔に大破する。
           ↓
3、ジンギス・カーンはホラムズ・シャー帝国の軍事的中枢だったアラル海北方に遊牧するカルルク部族を長子・ジュチに与えるが、ジュチが病死する。
           ↓
4、遠征目的を失ったジンギス・カーンはジュチの子供たちにカルルク部族の統制を命じてジョチ・ウルスを建国させ、全軍を率いて西夏王国討滅戦争へと出陣しそこで陣没する。
           ↓
5、未完の遠征を完遂するためにジョチ・ウルスの遊牧騎士達は隣接するボルガ・ブルカール王国へ威力偵察を繰り返し行う。
           ↓
6、第二代オゴタイ・カーンは未完の「キブチャク草原制圧」のため大遠征を「クリルタイ(帝国会議)」で議決させる。
           ↓
7、議決に従いスブタイ・モンケ・グユク等が率いる35000騎の大遠征軍がモンゴル本土からジョチ・ウルスに到着。
           ↓
8、カルルク部族を主体とする現地軍15000騎と合わせ50000騎の騎兵が勢ぞろいし、「ジョチ・ウルスの長」バトゥ・カンがカーンの命令により総司令官として任命され「侵攻軍」が組織される。
           ↓


ま、ここまでは「前期モンゴル帝国史」と被るんでわかりやすいでしょ(笑)。でも、ここからが違うのよ(-_-;)。「モンゴル」ではなく「ロシア」を規定するさまざまなエピソードを語らなければならない。少し長くなったな、その話はまた次回語ろう。


PS、下記書いてるうちにムカムカしてきた(-_-#)。この危機に「撹乱情報」撒き散らすアルファベット系プロカー共の「寸止め」論法についての「批判的論理分析」とその簡単な対処法をアップする(怒)。そいえば、中川博士批判に転じた某ブロガーも「アルファベット系」に妙にひっかかてるんだよね(-_-;)。これ以上はまた「内ゲバ」の火ばら撒いちゃうといけないんでやめとくけど。そ、いえば、俺のサインも「TC」で「アルファベット系」にされかねないな、なんか考えよう。


おまけにみくしー検索かけてみました。どいつもこいつも脳天気すぎるだろ(-_-#)。俺たちはいま「道東諸島(北方領土)」を失おうとしてるのではなく、「北海道」そのものを失陥しかけてんだよ!近いうちにそれも「論証」する。何で俺だけ。とほほ(ToT)。


「東方経済フォーラム」


新着日記検索結果一覧 (17件)


「ウラジオストク」


新着日記検索結果一覧 (23件)


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年09月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30