去る月曜日も、JR津田沼駅前にて、前のソーリから直々に「かわら版」を戴きましたm(__)m
一応現ソーリのすぐ前任の方なのですが、ずいぶん昔の人のような印象です。
正直、ソーリとして存在感示したとは言い難いですが、この方はプロレス好きとしても知られており、その関係の本などでも、偶にお見かけ致します。
ところで、現ソーリですが、なんでも前九年の役で知られる陸奥の俘囚安倍氏の子孫なんだとか!
安倍頼時や後を次いだ貞任は戦死しましたが、貞任の弟宗任は九州大宰府に流されており、この宗任の42代目の末裔にあたるのだそう。
更には、平清盛や、義経の家臣だった佐藤忠信の血も引いているとも…
ホンマかいな( ・◇・)?
安倍宗任は、高橋克彦氏の「炎立つ」(脇役に近いですが)や、「時宗」(名前だけですが)にも登場します。
そうそう、昔の日記の中で「源氏」と言うのに対し、「平氏」より「平家」という呼称が使われるのは何故だろうと書いており、それに対して、直接には源氏物語と平家物語の影響と、清盛一門の意味で「平家」と言っているのだろうと仮説を立てていました。
調べてみると、半ば正解と言うか…
皇族から臣籍降下して平姓を賜った人全てが「平氏」ですが、「平家」は平安時代末期に我世の春を謳歌した、平清盛一門のみを指す呼称という事なので、いわゆる源平の戦いの一方を「平家」と呼ぶのは理にかなっています。
しかし、そうすると他方を「源家」と呼ぶ事が稀で、「源氏」と呼ぶのは何故かという疑問が出てきます。
なにしろ、「平氏」より「源氏」の方がずっと多く、むしろ「源氏」こそ、義朝〜頼朝一門を「源家」と呼ぶべきではないのかと…
源平の戦いと言っても、源氏全てと平氏が戦った訳ではもちろんなく、要するに清盛一門と義朝〜頼朝一門の争いであり、そのどちらに与したか?という事です。
安房へ渡った頼朝の元に参じた千葉氏や上総氏、そして妻である政子の北条氏は平氏でした。
つまり、「平家」軍と戦った「源氏」軍の中にも、多くの平氏がいた訳です。
源氏将軍が三代で途絶えた後、平氏の北条得宗家が執権を独占したのが、後の源平交替説に繋がる訳です。
足利はもちろん源氏で、信長は平氏、徳川は源氏を名乗りました。
それにしても、現総理の祖先の話…本当なのかな?
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