探し物が探すのを止めた時に出てくるような話ではなく、浦安の舞浜に有る、あの夢の国Dの話です。
夢の国Dを運営するのはオリエンタルランドという企業ですが、この筆頭株主は京成電鉄です。
そう聞くと、イメージが結び付かない!という人も多いでしょう。
おそらく、首都圏の大手民鉄の中でも、京成の一般的なイメージは「野暮ったい」とか「あか抜けない」ではないでしょうか?
現在の3代目スカイライナーによって、ずいぶんイメージアップしたと感じていますが、物心ついて以来の千葉県民であり、幼少の頃から京成を見ている私がそう思うのですから、まして他県の方がそんなイメージを持つのも無理からぬ事かもしれません。
かつて、民鉄各社は自社線沿線に遊園地を持っていました。
西武遊園地や向ヶ丘遊園などがそれにあたりますが、京成には谷津遊園という遊園地が有りました。
この谷津遊園、大正の終わりに開園し、日本初の宙返りジェットコースターが出来るなど、人気を博しましたが、昭和57年に惜しまれつつも閉園。
ピーク期より入園者は減少傾向にあったようですが、それによる閉園というより、主たる原因は、親会社京成電鉄の経営悪化だそうです。
当時、成田空港の開港遅れの影響などで、京成の経営は逼迫しておりました。
現在も残る谷津バラ園を残して、谷津遊園の土地を住都公団に売却したそう。
子供の頃、谷津遊園には親に何度か連れて行って貰いましたが、実はあまり覚えていません。
観覧車も、人気の海上を走るジェットコースターも記憶に有りません。
覚えているのは、菊人形展の催しくらいです。
さて
オリエンタルランドですが、京成と三井不動産の出資で昭和35年に設立されました。
浦安沖を埋め立てて、遊園地を含む開発を行う事になっていましたが、当初は夢の国Dを考えていた訳てはなく、独自の遊園地を考えていたそう。
もし、その予定のままだったら、舞浜がこれほどメジャーになる事は無かったのでは?
昭和49年に夢の国Dを誘致する計画になりましたが、同時期に三菱地所も富士スピードウェイ近くに誘致する計画をたてていたそう。
観光的価値観からは、富士山が見えていた方が有利な気がしますが、夢の国D的価値観では、富士山とは夢の国Dの世界観を破壊するモノでしかなく、平らで他のモノが目に入らない浦安が勝利したのだとか。
こうした経緯で京成出資のオリエンタルランドが、夢の国Dを運営する事になった為、京成にとって夢の国Dは谷津遊園の代替施設という側面も有ったのでしょう。
リソースの集中という意味か、閉園時の谷津遊園スタッフは、夢の国Dのスタッフに転身したそうです。
そうして出来た夢の国Dが「東京〜」を名乗る事から、東京の植民地だなどと揶揄する向きも有るようですが、是非はともかく、言い得て妙という気も…
「東京」のネームバリューは圧倒的ですから、まぁ仕方無いでしょう。
ところで千葉県と夢の国Dの関わりと言えば、実は他にも有りました。
富士山麓の話より更に前、昭和34年に当時の後楽園社長らが設立した手賀沼観光という会社が、千葉県の手賀沼に夢の国Dをつくろうとした事が有ったそう。
手賀沼北岸の我孫子市と、南岸の沼南町(現柏市)に跨がる大規模な施設で、両者をケーブルカーで結ぶ構想でした。
沼の真ん中には人工島が有ったり、ずいぶん壮大な施設となる筈でしたが、昭和38年になり、手賀沼の汚染や財務状況などで事業から撤退…
手賀沼夢の国Dは夢幻で終わりました。
手賀沼と言えば、昭和15年に行われる予定だった東京五輪(中止)、昭和39年に行われた東京五輪でもボート競技会場に名乗りを揚げたものの、どちらも戸田に選考で破れたそう。
あれっ?
昭和39年大会で立候補の時期って、夢の国D構想が進んでいた時期に被るのでは?
こんな大きな計画が進んでいたのなら、どちらも市役所などに計画図面などが提出されていたと思いますが、場所がダブっていたりはしなかったのかな?
万が一、両方とも実現していたら、どんななっていただろう( ・◇・)?
そうそう、私自身、夢の国Dには30年近く前に行ったきりですo(^o^)o
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