〔緊急連載〕ロシア東欧史概論対露アウトライン・ダイジェストその2。さてと、この前お話の前提話してバイキングのリューリクによってノブゴロド公国が建国されたことまで話した。今回はその続き。まずリューリクが起こした都市国家ノブゴロド公国はその後大発展し現在のロシア連邦なるわけだがその「歴史」は大まかに分けて5つの「時代」に分類できる。
1、キエフ・ルーシー時代
2、ウラジミール・ルーシー時代
3、モスクワ・ルーシー時代
4、ロシア帝国時代
5、「革命」専制時代
の五つだ。これらの5つの時代の間には大きな「世界史的事件」と「世代間の民族的断絶」が挟まっている。詳しく語ると百科辞典並みに書かなきゃならないのでおいらの責任で「ポイント」を絞って書きます。今日語るのは「1、キエフ・ルーシー時代」。とりあえず核となるノブゴロド公国とその後継国家であるルーシー・可汗国の君主「大公」の在位年表を公表する。在位年表は以下のとうり
01、リューリク01世 0864年〜0879年 ノヴゴロド公国建国者、ヴァリャーグ(バイキング)のクニャージ(公)。
02、オレグ 0879年〜0912年 882年頃キエフ公国征服。リューリクの弟?。
03、イーゴリ01世 0912年〜0945年 リューリク01世の息子。即位と共に首都をキエフに移してキエフ大公国を建国(ルーシ・カガン国成立)。
04、スヴャトスラフ01世 0945年〜0972年 イーゴリ01世の息子。966年頃ハザール王国へ遠征しこれを滅ぼし、翌年からブルガリアへ攻め込むもビザンツとペチェネグ族の挟み撃ちにあって遭えなく戦死。
05、ヤロポルク01世 0972年〜0980年 スヴャトスラフ01世の長男。
06、ウラジーミル01世 0980年〜1015年 ヤロポルク01世の弟。ノヴゴロド公だったがヴァリャーグを引き入れてキエフに攻め込み大公位を兄より奪う。988年ビザンツ皇帝の妹と通婚しギリシア正教を国教に定める。
07、スヴャトポルク01世 1015年〜1019年 ウラジーミル01世の息子。
08、ヤロスラフ01世 1019年〜1054年 スヴャトポルク01世の弟。別名賢公。ノヴゴロド公だったがヴァリャーグを引き入れてキエフに攻め込み大公位を兄より奪う。
09、イジャスラフ01世 1054年〜1078年 ヤロスラフ01世の長子。弟のスヴャトスラフ02世とフセヴォロドの3人でルーシ・カガン国を共同統治していたが従兄弟のポロツク公フセスラフにキエフを落とされカガン国は分裂状態に陥る。
10、フセヴォロド01世 1078年〜1093年 イジャスラフ01世の弟。
11、スヴャトポルク02世 1093年〜1113年 イジャスラフ01世の息子。
12、ウラジーミル02世 1113年〜1125年 フセヴォロド01世の息子。別名モノマフ。ルーシ・カガン国を再統一。北東ルーシ(現ロシア本土)への殖民を促す。
13、ムスチスラフ01世 1125年〜1132年 ウラジーミル02世の息子。
14、ヤロポルク02世 1132年〜1139年 ムスチスラフ01世の弟。
15、ヴャチェスラフ01世 1139年〜1154年 ヤロポルク02世の弟、有利な条件を求めてフセヴォロド02世(スヴャトポルク02世の孫)、イーゴリ02世(スヴャトスラフ02世の孫)、イジャスラフ02世(ムスチスラフ1世の子)、ユーリー01世ドルゴルーキー(ウラジーミル02世モノマフの6男)と「大公位」をたらい回しにする。当然ルーシ・カガン国は再分裂する。
16、ロスチスラフ01世 1154年〜1167年 ムスチスラフ01世の第五子。再びイジャスラフ3世(スヴャトスラフ02世の孫)、ユーリー01世ドルゴルーキー、ムスチスラフ02世(イジャスラフ2世の長男)と「大公位」をたらい回しにする。収拾がつかなくなる。
17、ムスチスラフ02世 1167年〜1169年 キエフを反乱軍に落とされ逃亡する。
18、グレプ 1169年〜1171年 ユーリー01世の子。
19、ウラジーミル03世 1171年〜1171年 ムスチスラフ01世の息子。父称ムスチスラヴィチ。グレプ大公の死の間隙をぬってキエフを占領するもすぐ市民に追い出される。
20、ロマン01世 1171年〜1176年 ロスチスラフ01世の息子。父称ロスチスラヴィチ。再びミハイル1世(ユーリー01世の子)、フセヴォロド03世(ユーリー01世の子)、リューリク02世ロスチスラヴィチ(ロスチスラフ01世の子)、ヤロスラフ02世(イジャスラフ02世の次男)、と「大公位」をたらい回しにする。
21、リューリク02世 1176年〜1210年 ロスチスラフ01世の息子。父称ロスチスラヴィチ。大公位を継いですぐの1167年チェルニゴフ公スヴャトスラフ(後のスヴャトスラフ3世・フセヴォロド02世の子)がキプチャック族を引き入れキエフ軍は大敗(ロストヴェツの戦い)。大公位をスヴャトスラフ3世に簒奪されて以来、スヴャトスラフ3世、イングヴァリ1世(ヤロスラフ02世の子)、ロマン02世ムスティスラーヴィチ(ムスチスラフ2世の子)、ロスチスラフ2世(リューリク02世の子)、と「大公位」をたらい回しにする。おかげで1176年に「ウラジミール公国」が1199年には「ルテニア公国」が「大公位」を主張してリューリック朝ルーシ・カガン国は「大分裂」を迎える。
22、フセヴォロド04世 1210年〜1214年 スヴャトスラフ3世の息子。
23、ムスチスラフ03世 1214年〜1223年 ロマン01世の息子。モンゴル征西軍別働隊とのカルカ河畔の戦いで大敗し戦死する。
24、ウラジーミル04世 1223年〜1236年 リューリク02世の息子。モンゴル征西軍侵攻を聞き、ヤロスラフ02世にキエフ大公位を譲ってルテニアに逃亡する。
25、ミハイル02世 1236年〜1243年 フセヴォロド4世の子。モンゴル征西軍が近ずくとハンガリーに逃亡。キエフ壊滅後、何食わぬ顔で戻ってくるもモンゴルに謀殺される。
一般には13世64代とされるが「大公位」は15代ヴャチェスラフ01世以降「たらい回し」になりひじょーーーに判りずらい(-_-;)。そこで「主要な大公」とその他の「大公」をチャイナ史的な「正閏論」で便宜的に分類した。初代リューリク01世から25代ミハイル02世までの379年間を13世実質25代と表記する。また、一般的には「キエフ大公国」と呼称するが、リューリク01世はノヴゴロド公であっても「キエフ大公」ではなく後述する「理由」により、「ルーシー・可汗国」と呼称する。なぜならば、初代リューリク01世を始めとする諸「大公」たちは本質的にボルガ川下流およびドン川流域に番居するトルコ系「ハザール可汗国」からのスラブ系ルーシー族の
「独立戦争」を請け負った「傭兵隊長」たち
だったからだ。ここが最初のポイント。この「スラブ・ゲルマン関係」はさまざまな形を取りながら18世紀「戦争狂」スエーデン王カール12世の死まで延々と続くんだよね(-_-;)。国家・民族の歴史は簡単に考えてはいけない「大きな慣性」を持っているんだ、ある意味「歴史は繰り返す」のさ。もちろん、さまざまな別の要因と絡み合いながらだけどね(笑)。トルコ系君主の称号「可汗(カガン)」を対外的、特にボルガ川下流およびドン川流域のトルコ系遊牧民に示さない限り「独立」は達成できなかったわけ。
しかし、昔からそうだけど「ゲルマン(ドイツ)問題」って「複雑」だよね(-_-;)。
あとで「アメリカ学」や「左翼思想史」の解説でもやるけどさ。ほんとろくなことしねーーよ(怒)。イマヌエル・カントが「ドイツ人は・・・世界を難しくする」とぼやく訳だよね(黒笑)。それでいて、軍事や科学思想といった「コア技術」で先導的役割を果たすんだからほんと始末に追えねえよ<(T^T)>。いずれ、「ドイツ史」もまとめないとな。また宿題増えた(ToT)。はーーーー、話がずれた元に戻す。成立したルーシ・カガン国はノブゴロド公国を拠点として本国スエーデンから呼んだ兵を使って主に「河川水運」を整備して「LLOC(陸上兵站補給線)」を設置して、南へ南へと進みドニエプル川上流の「キエフ公国」に第二の拠点を構え、第三代イーゴリ01世の治世にここを首都として「キエフ大公国」を建国した。「キエフ大公」がヴェリーキー・クニャージ(大公位)を掲げるとはいえ各公国は事実上独立の
「ゆるーーーーい」連邦国家
がルーシ・カガン国なわけ。「キエフ大公」が握っているのは領土や人民ではなく本国スエーデンからの「LLOC(陸上兵站補給線)」だけなのよ。ここが第二のポイント。ルーシ・カガン国から分岐したスラブ系国家においては
「兵站補給線」を握る「外人」が「支配者」
として君臨するのが常態なのさ。ふーーー(-_-;)、あまりの日本との違いに絶句しちゃうよね(苦笑)。でも「事実」。相手の思考法にはこの歴史的体験がしみ込んでるのよ。「革命」が容易という、社会学的な構造が彼らの社会にはあるの。そして、それを極度に「警戒」する社会的機制が必然的に「強く」なるという構造がね彼らの社会にはあるの。いずれ、「ロシア・メシアニズム」の解説で詳しくやるよ。話がずれた元に戻そう。スラブ族と「合同」したヴァリャーグ(バイキング)たちは912年にルーシ・カガン国を建国し、その54年後の966年に宿敵トルコ系「ハザール可汗国」をぺチュネク族と挟撃して滅ぼして
スラブ人たちの「独立戦争」を完遂した。
だが、そこからが困った。「傭兵隊長」スヴャトスラフ01世は何を勘違いしたのか、自分を「ハザール可汗国」の「後継者」とみなしてビザンチン帝国へと攻め込んだ(笑)。あんたヴァリャーグ(バイキング)でしょ(-_-;)。当たり前の話だが「ハザール可汗国」の「故地」を継承したぺチュネク族とビザンチン帝国に挟み撃ちにされ
あっさりぶち殺された(黒笑)。
ゲルマン人時々、これやるよね(苦笑)。よそから見るとあっけ( ゚o゚)にとられるトンチンカン行動(笑)。本拠のキエフもぺチュネク族に襲撃されて陥落寸前、かろうじて守城に成功したが、結局本国スエーデンから「新手」つれてやってきたノブゴロド公ウラジーミル01世が新たにヴェリーキー・クニャージ(大公位)につき立て直す事となった。でその話はまた次回語ろう。とほほ。
PS、くそ!アップしようとしたら北朝鮮が「核実験」に踏み切りやがった(怒)。対米核恫喝が止まらない(ToT)。胃がいたひーーーー(ToT)。河野太郎なんでチャイナのエージェントを外相に付ければこうなって当たり前だろ(激怒)!この絶望的状況で河野のクソ野郎、北朝鮮じゃなくて
アメリカに核武装の解除求めてるんだよ?
先月の23日にアメリカで国連の核兵器禁止条約を礼賛し、アメリカ政府に包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を働きかけてる(怒)。核兵器禁止条約そのものはアメリカと外務省事務方の必死の工作で「反対」議決してるけど、向こうから見れば「正気の沙汰」じゃないぞ!はーーー、ほんとどうしたらいいんだよ。くっされ!
おまけにみくしー検索かけてみました。大部分はビュッフェ・サービスのほうだと思う。
「バイキング」
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