mixiユーザー(id:9389954)

2017年07月22日23:37

81 view

「昭和歌謡」の歴史には欠かせないレジェンドがまた一人……。

作曲家の平尾昌晃さんが死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4681363
平尾昌晃といえば、作曲家として古くは布施明の歌う「霧の摩周湖」、「恋」、じゅん&ネネ(いましたね)「愛するってこわい」、梓みちよ「渚のセニョリーナ」などで売れっ子となりながら、30代の初めに結核を患い信州の病院で約1年にわたる長期療養を経て、五木ひろしの歌う「よこはま・たそがれ」、小柳ルミ子に提供した「わたしの城下町」や「瀬戸の花嫁」、五木ひろしの「夜空」などでレコード大賞や日本歌謡大賞(当時)などを相次いで受賞してきた、当時の日本の「歌謡曲」のジャンルにおいて印象的な作品を残した一人ですが、元々はミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として一世を風靡、「日劇ウエスタンカーニバル」などで人気を博した当時きってのアイドル歌手であり、「星は何でも知っている」(自身の作曲ではない)や「ミヨちゃん」(のちにザ・ドリフターズがカバー)といったヒット作を出しました。
そうした中、やはり多くの人に印象的と思われるのは、作曲家としての名声が確立した後、自身のスクール出身で、言わば“弟子”でもあった畑中葉子とのデュエットで出した「カナダからの手紙」ではないかと思いますね。デュエット曲の“定番”の一つであり、後年、畑中葉子が結婚、離婚、ヌードグラビアの発表、「後から前から」のリリースとにっかつロマンポルノへの出演といった歩みを見せたこともあり、良くも悪くもその存在をクローズアップさせる作品になってしまった側面が大きくなってしまった感がありましたね。
晩年は、宮川泰が亡くなった後を受けて紅白歌合戦のエンディングの「蛍の光」の指揮をしていましたが、所謂「シンガーソングライター」のはしりと言うより、歌手、作曲家それぞれで別々に名を残した人となったと思います。個人的には「重い病(肺結核)を乗り越えた人」と言うイメージであり、復帰後に、特に精力的な活躍を見せた人でもありました。
享年79と言うことで、その意味では“大往生”と言えるのではと思います。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年07月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031