昨年、関ヶ原観光をしてきました。
関ヶ原と言えば、1600年に行われた東西両軍の戦いが有名ですが、その928年ほど前にもほぼ同じ場所で大きな戦いが有りました。
それが、古代日本最大の内乱と呼ばれる壬申の乱です。
天智天皇(大化の改新で知られる中大兄皇子)亡き後、天皇の弟大海人皇子と天皇の第一皇子大友皇子(即位したか不明なものの、明治になって弘文天皇という諡号を贈られた)が争った戦いで、大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位しました。
破れた大友皇子は自害し、妃の十市皇女は父である天武天皇の元に帰った…ようですが、千葉県には異なる結末の伝説が残っています。
戦いに破れた大友皇子は、近臣や十市皇女らと共に上総へ逃れ、鑓水に小川御所を築きました。
しかし、天武天皇による追討軍に破れ、大友皇子は腹を切って自害。
小数の供と更に山奥へ逃れた十市皇女は、筒森の地で産気づき、ここで出産したものの、死産で自らもここで亡くなりました。
それを裏付けるように、付近には「飯給(いたぶ)」「御腹川」「小櫃」といった地名が有り、それぞれ村民が皇子に食べ物を献上した 、皇子が腹を召した、皇子の遺骸を棺に入れた事に因むとされています。
他にも壬申山や御所塚山など、大友皇子伝説に因む山も有るのです。
という事は、大友皇子が上総へやって来たのは本当だったのか!
…と言いたいところですが、それは史実とは認められておりません。
おそらく、源義経や豊臣秀頼が死地から脱出して生き延びた〜という伝説と同じようなモノなのでしょう。
そして、十市皇女が亡くなったのは限山と呼ばれています。
地形図にはその名前は載っていませんが、筒森集落南西に有る標高280mほどのピークという事なので、おそらくはコレでしょう。
地形図を見る限り、登山道は見当たりませんが…
これは、近いうちに見に行かなければいけないな…
今週末日曜日はモガジイさんのツーリングですが、土曜日は別の場所を考えているので、改めて行ってみたいと思います。
御所塚山と壬申山はプチ縦走で行けそうですが、限山は少し離れている為、一番良いのはトレンクル背負ってのプチ縦走か。
限山からも稜線歩いて養老渓谷まで行けそうですが、1日でこれ全部はちょっと厳しいかも?
トレンクルで上総中野まで行けば、いすみ鉄道〜外房線で帰れますが…
この冬のうちに、なんとか実現させたいものですo(^o^)o
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