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2016年07月03日12:21

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テレビを見れば。。。。part0089

 さてと、緊急連載「北方領土史」の第15弾。前回、「維新動乱のイデオロギー的遷移」について軽く触れた。どうもこの問題、途轍もなく奥が深くて「大きな闇」を抱えてるらしく簡単には片付きそうもない。丸山真夫がハーバート・ノーマンと協力して安藤昌益の研究してるの聞いたあたりからいやな予感してたんだよね(-_-;)。なんで日本の学者や役人はこの事を「指弾」しないのか?それどころか森銑三のような在野の立派な書誌学者の本を羽仁五郎のようなクソ役人学者が寄ってたかって潰して「絶版」に追い込んでる。いったい、


どこに「言論の自由」と「学問の自由」があるんだって(激怒)?


ふーーー(-_-;)。最近怒ってばっかだな。血圧に悪い。だが、これは見過ごせない、一項起こすことにする。だーーーー<(T^T)>ま・た・宿題が増えたーーーー。S・O
・S♪S・O・S♪ソラソラ読んでいるわーー♪今日もまた一人オヤジのピンチーー(怒)!ほんと土台腐ってんなこの国(-_-;)。ステマのいらん情報ばっか飛んでて、肝心要の「情報」が何処にも無い。ふーーー(-_-;)。愚痴ってばかりジャ、なんなんで先に進みますか。今回は少し戻って開国直前の経緯から話そう。時は1849年の話。

 
「やつら」が還って来たのさ。


「あぃ・うぃるびー・ばっく」ってか(-_-;)。やめてくれよ(怒)。そう、1807年に信明老中に撃退され、ナポレオン戦争の影響もあってしばらく大人しくしていたロシアが「悪魔のペテン師」エフィーム・ヴァシーリエヴィチ・プチャーチン率いる第6次日本侵略軍を南下させてきたのだ。まず、本隊が英清戦争敗北で弱体化した清帝国領沿海州北部を占拠し、次いで樺太北端に無断上陸して勝手に国旗を掲揚し「領有を宣言」した(怒)。さあ、ロシアン・パラダイスの開幕だ(ToT)。われもわれもとアイヌ人たちは日本軍が守備する「南」に逃げてきた。阿部老中率いる「幕臣・実務派」政権はすぐにでも後詰め(援軍)を送って撃退したかったが、ネオ・バカ殿派政権の「濫費」のせいで


「金」が無い(激怒)!


しかも、国内は開国へ向けてのカウントダウン中で大混乱の真っ最中だ(ToT)。みんな、歯噛みして我慢するしかなかった(怒)。図に乗ったロシアは1553年、ペリー来航の真っ最中に、樺太全土を占拠すべく最南端の久春古丹(大泊)に軍事侵攻。再びこれを軍事占領する。あげくにいけしゃあしゃあと長崎にプチャーチン本人が長崎に来航して「ペリーと同じよう」に交渉しましょうと来たもんだ。正気じゃねーー(激怒)。ちなみにこれも井沢元彦にかかれば「紳士的」で「ルールを守る国」で「誠実で忍耐強く礼儀を守る国」となる、大笑いだ(^〇^)。な、言っただろやつは「他人を騙せる私は賢い」考える「息をする様にウソを付く」「極左(組織)の宣伝要員(プロパガンティスト)」なんだって(怒)。そこから始まる、外交国防・軍事国防の仔細についてはまた次回語ろう。



PS、ちょっと長文だが追加しておく。「維新動乱のイデオロギー的遷移」を知りたいのなら「懐徳堂」を追え。そして、そこで教授されていた陽明学の仔細とそれの国学への影響を分析した上で、三人の門弟「中井竹山」「佐藤一斎」「大塩平八郎」とその強い影響を受けた「頼春水・頼山陽」親子の思想と事跡を追うことだ。これに「水戸学」との対立と葛藤及び混交の論考を加えることができれば「アウトライン」はほぼ完成だろ。ふーーー(-_-;)。誰か手伝ってくれ、マジ話。著作権なんていらねーーよ。この論証がきれば「博士論文」10本は書けると思うぜ。だたし、全国の「左巻き」全部「敵」にする「覚悟」いるけどね(-_-;)。ふーー、ま、結局はこれも俺が書くことになりそうだけどね。とほほ。


PS、2箇所修正しました。すんません(ToT)。


おまけにみくしー検索かけてみました。


「プチャーチン」

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