さてと、緊急連載「北方領土史」の第14弾。もう100枚超えたのに書けども書けども終わらない(ToT)。専業でやっても十二分にキツイのに仕事持ちで味方ゼロ(ToT)。出費は嵩むばかりなのに収入はこれまたゼロ(ToT)。体力落ちる一方なのに回復の見込みこれまたゼロ(ToT)。ナイナイ尽くしの三本締め(ToT)。地獄だ(ToT)。ふーー、キ印役人とキ印メディアの「デマ放題」をオタッキーが修正するしかない国なんて
いやじゃーーーーーーーーーー(ToT)(ToT)(ToT)。
と、とある「中年の主張」でした(笑)。叫んで少し気が楽になったo(^-^)o。先を続けよう。前回、われ等が「幕臣・実務派」の簡単な歴史について触れた。今回はこれまた先に進むのではなく少し寄り道しようと思う。それは幕末維新における「イデオロギー的遷移」についてだ。はっきり書くね。
幕末の「維新動乱」とは「陽明学徒」の叛乱
なんだってことをさ。一般には「尊王攘夷」を掲げる「水戸学」を始めとする「朱子学」が明治維新の「イデオロギー」として挙げられているがはっきり間違っている。明治維新史が一般的に判りづらくなっている「原因」は二つあって、一つは主導勢力であった「幕臣・実務派」の存在が「隠蔽」されている事。もう一つが主任イデオロギーが「朱子学」であると「偽装」されていることなんだ。プロットは実は二つあったわけ。そしてその経緯を簡単にチャートすると
1、「幕臣・実務派」が幕府の二重性を解消するために「開国」を断行「維新」を発動する。
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2、「開国」直後「守旧派」が「幕臣・実務派」を封じ込める。
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3、「陽明学徒」が各地で叛乱を起こす。「守旧派」討伐に失敗。
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4、「尊皇派(朱子学徒)」徳川慶喜が「自爆テロ(大政奉還)」を実行。
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5、「陽明学徒」が各地で藩政府の「乗っ取り」を実行。
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6、「陽明学徒」が乗っ取った藩政府連合が江戸に進撃。
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7、「尊皇派(朱子学徒)」徳川慶喜が部下に交戦を禁じ、無条件降伏。
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8、「陽明学徒」が「守旧派」と「幕臣・実務派」を抹殺。
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9、「尊皇派(朱子学徒)」を名乗り江戸幕府の統治機構を「乗っ取り」明治新政府を建設。
となる。ふーーー(-_-;)。正直、順序だてて細かい経緯を書くべきなのか迷ってる(-_-;)。あまりにも「酷い話」の連続で書く前から凹みまくり(苦笑)。でも日本の「法学」や「歴史学」が異様に「捻じ曲がって」いる原因の一つがこれなんだよね。長州藩閥特に山県有朋一派の「隠蔽工作」の壮絶な悪影響について見過ごせねーーだろ(-_-;)。ふーーー、気おも(ToT)。繰り返すがこれオタッキーの書くネタじゃねーーよなーー(ToT)。はーーーでも、誰も書かないんでしょ。判ってます。判ってます。書けばいいんでしょ(ToT)。はーーー(-_-;)じゃ、みんなには次の二つのことを覚えておいてほしい。
「朱子学」とは「責任逃れ」の思想であり、
「陽明学」とは「責任放棄」の思想である
んだってことをさ(-_-;)。何故そうなるかについては現在執筆中の「亜細亜思想批判要約」のほうに譲って今日は割愛する。ほんとこの話はじめると長いから(-_-;)。ううう、気が重いよーーーーー(ToT)。とっほほーーーー(ToT)。
おまけにみくしー検索かけてみました。三件出てきた。ちょっと意外だった。とほほ。
「陽明学」
日記 検索 (3件)ひっと。
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