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2016年06月20日15:53

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テレビを見れば。。。。part0083

 さてと、緊急連載「北方領土史」の第10弾。ついに二桁だよ(-_-;)。もう70枚以上書いてるのに肝心要の「国際条約」までたどり着かなかった。われながら前振り長すぎ。はーー(-_-;)。さてと、気を取り直して本題はいりますか。前回、「実務派」を裏切り「バカ殿派」に寝返った水野忠成老中は門閥に「バカ殿派」党首の地位を拒否されたのを契機に分派「ネオ・バカ殿派」を創設し、その後継者・水野忠邦老中は「天保の大獄」を開始して敵対するするものは門閥・庶民問わずに大弾圧を加えたが「英清戦争(別名・貿易戦争、俗称・アヘン戦争)」に危機感を持った阿部正弘老中を中心とする「実務派」が忠邦を引き摺り下ろし「天保の大獄」を終結させたってとこまでやった。今回はその続き。

 1845年、よーーやく28年ぶりに我らが「幕臣・実務派」政権復帰いたしました。しかーーし、信明老中の時代と違って「与えられた条件」はほぼ「絶望的」に「悪化」してました。泣きたいです(ToT)。

 まず、政権基盤が弱体です(ToT)。これから「開国」そして「公武合体」の挙国一致体制を造らなきゃならないのに「バカ殿派」「ネオ・バカ殿派」が両足引っ張ってます(ToT)。あげくに「バカ殿派」から分派した「尊皇派」のイッちゃってるテロリスト共が後ろから切りかかってきそうです(ToT)。叩き切ってやりたいのは山々なのですが、相手はなんと「御三家筆頭」(怒)。ぐぞーーーー、協力しろとは言わないからせめて「邪魔スンナ!」っていいたい(ToT)。「バカ殿派」をイナしてれば良かった信明老中の時代が懐かしいっす(ToT)。

 ついで、武士としてはまこと言いにくいことですが幕府の「金庫」がカラッポです(ToT)。「ネオ・バカ殿派」が上下の買収に金持ってく持ってく(ToT)。これから最低限、海軍基地・艦隊・新式陸軍・新出島(開港地)・語学学校・技術学校と莫大な資金が必要なのにホントに無いんです(ToT)。「どーーすんだよこれ(-_-;)」とみんな頭を抱えて思案中(ToT)。大地震(安政江戸地震M7.1・1855年)で江戸城半壊しても最後まで直せなかったくらい(-_-;)。写真が残ってるんでぜひ確認してください(ToT)。信明老中の時代は「号令一下」万の軍を出撃させられるぐらいの金はあったのにーーー(ToT)。

 さらに人材が絶望的に払拭してます(ToT)。「バカ殿派」と「ネオ・バカ殿派」が昌平講(現在の東大)の人事権握っちゃって「パー」しか出てこなくなった(ToT)。あげくに「人間の会話」ができない「尊皇派」テロリストまで続出する始末(ToT)。頼りにしていた「遠山の金さん」もすでに還暦(ToT)。「号令一下」本多・近藤・最上・伊能・間宮・松田といった「精鋭中の精鋭」が即時北へ向かった「あの幕府」はどこいった(ToT)?

 そして、「決起」の直接原因となった外交・国防情勢がほぼ「絶望的」なほど悪化してるんです(ToT)。多少なりとも頭で考えている人はスグわかることとは思いますが


「鎖国」とはチャイナに「渡海兵力」がいない事が「絶対的前提条件」なんです。


当たり前でしょ(-_-;)。判らない人は頭固すぎ。多胡せんせーの「頭の体操」でも読んできてください(-_-;)。阿部老中はじめ「幕臣・実務派」にとっては「自明の話」。話し合う必要さえお互い感じなかったぐらいにね(-_-;)。ホントは地政学の用語解説の方で書くつもりだったんだけど(-_-;)、「英清戦争(別名・貿易戦争、俗称・アヘン戦争)」とは日本にとってイギリス東洋艦隊という「渡海兵力」が十二分な「兵站・補給能力」を持つ香港を始めとする「海軍基地」をチャイナ大陸に設営した、って所に重要性があるのよ。「黒船」がきましたとかいう話じゃないの(-_-;)。その辺を日本国民の大部分が「理解してくれない(ToT)」ことがホントに歯がゆいよ(-_-;)。ま、そのために頑張って書いてるんだけどね(-_-;)。つまり、ペトロパブロフスク・カムチャツカスキー(ロシア)と香港・上海(イギリス)に地政学的に包囲されちゃったのよ(ToT)。もはや


「開国」して英露を分断するしか生き残るすべは無い、それが「武士」の「コモン・センス」なのだ。


ふーー、これオタッキーが言う台詞じゃねーーよなーー(ToT)。なんで「言うべき人」が言ってくんねーーのかなーー(ToT)?「外務省」は、「防衛省」は、「文部科学省」は、「旧帝国大学」はなんでいわねーーの(ToT)?????はーーー、ほんとにやになるぜ(-_-;)。ごめん、また愚痴った、話をもとに戻そう。どんだけ情勢が悪化したか少しは理解してもらえた?そんな「絶望的」な状況下、「幕臣・実務派」は果敢に打って出た。

 まずは何より「人集め」が先決だった。そして、開国へ向けて外交工作に着手した。とにかく人手が足りなかった。本来幕府の人材供給源のはずの昌平講が両「バカ殿派」に占拠されちゃってて「寝言は寝てから言え!」としか言いようの無い「パー」しか出てこなくなっちゃってるんだから(ToT)。まさに、魚は頭から腐るだよ(-_-;)。阿部正弘老中は文字道理「身分を問わず」人材を集めた。外様大名にさえ危機を訴え、協力を求めた。それが「幕法」を犯すものと知りながら「切腹覚悟」で邁進した。代表的な例が薩摩藩の島津斉彬だろう。だって、徳川家臣団「バカ殿派」「ネオ・バカ殿派」しか居なくなっちゃてるんだもん(ToT)。将軍様「大奥(ハーレム)」に引きこもっちゃて全然頼りになんないし(-_-;)、代替わりして変わるかなとおもったら12代さまも虚弱体質のくせに「そっちのほう」だけはお盛んでヒッキー生活満喫中(ToT)。わざわさ、


長崎出島のオランダ商館に手を打って「開国を勧める国王親書」


までもらってきてるのに「よきにはからえ」と「知らん振り」・・・・・絶句(ToT)。なんなんだ、なんなんだ、何なんだこの状態は(激怒)!とりあえず首都直撃を避けるために沿岸要塞(お台場)を設置した。敵上陸部隊迎撃のために諸藩を含む「火力増強」の策も施行した。鍋島直正と島津斉彬には火器の新造と火薬の輸入を依頼済み。


いよいよ「ヤルぞ!」。


後はタイミングを計るだけ。1851年、遂にその時がきました。「ネオ・バカ殿派」党首・水野忠邦がよーーやくくたばってくれた\(T^T)/\(T^T)/\(T^T)/のだ!跡目争いで一時的にだが「バカ殿たち」の圧力が減る。チャーーーンス。そこにノコノコやってきた「間抜け」の名前は「マシュー・ガルブレイス・ペリー」(笑)。そして始まる激しく火花散る国際法をめぐる「外交戦」の話はまた次回語ろう。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。お、出たと思ったら自分のブログでした。とほほ。



「阿部正弘」

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