さてと、緊急連載「北方領土史」の第9弾。前回、松平伊豆守信明老中亡き後、実務派出身の水野忠成老中が「老中首座」に昇格したが1821年に「バカ殿派」に寝返り1822年に北方警備体制を解除してしまったってとこまでやった。今回はその続き。
1822年に北方警備体制を解除され、蝦夷地の統治権は松前藩に返還された。前後の経緯から考えれば最低限松前藩は「改易」が当然でその話も大分でたらしい。たが、バックの「バカ殿派」が得意の「寝技」で猛烈な「買収工作」を展開してこれをひっくり返した。「鉄の掟」であるはずの
「幕法」、曲がる、曲がる、ビックリだΣ(OoO)。
幸い、1814年にナポレオンがモスクワに攻め込みロシアは「対仏神聖同盟」を主導してヨーロッパ遠征の真っ最中。こっちにはこなかった。ってか「実務派」が確りしてれば勘察加(カムチャツカ)奪回、アラスカ分捕りの「大チャンス」だったんだけどね(-_-;)。役満見逃した。これをやっておけば「北方領土問題」も「開国問題」も平和裏に解決できたんだけどね。裏切り「バカ殿派」政権だもんね(-_-;)。はーーー<(T^T)>。なきてーーよ。ま、幕府はこうして
甘い甘い腐敗と堕落の平和に沈殿して「最後のチャンス」を失った。
ってわけだ。国内的には貨幣改悪のインフレ政策が取られアダ花的な「化政文化」の一時的繁栄を貪った。喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重、円山応挙といった天才絵師たちが美を競い、成田屋・市川團十郎が芸を磨き、杉田玄白や前野良沢が蘭学を修め、本居宣長や平田篤胤が国学を学び、十返舎一九、曲亭馬琴、頼山陽、小林一茶が文芸を著した時代。江戸文化オールスターズだなこりゃ。なんか書いてて思うんだけどさ。この時代
不気味なほど「今」と似てね?
背筋がゾクゾクしてるんですけど(ToT)。この後起こる破局が再びやってこないように願おう。そして、この時代の直後1829年6月「バカ殿派」筆頭・松平定信がよーーやくくたばってくれた\(T^T)/\(T^T)/\(T^T)/んだけど、我らが「実務派」はすでに壊滅状態(ToT)(ToT)(ToT)。そこに追い討ちを掛けるように
事態は一挙に「暗転」する。
なんと、勝った「バカ殿派」が分裂し「内ゲバ」が始まったのだ。絶句。定信死後、水野忠成が「バカ殿派」党首の地位を要求し、これを拒否されたことに腹を立て言うなれば「ネオ・バカ殿派」を設立したのさ(笑)。まさに「貧すれば鈍す」そのまんま(ToT)。うんざり(-_-;)。その渦中1834年水野忠成が死ぬ。あとを継いだのが「あの」水野忠邦だ。やったのは「天保の大獄」で元祖「バカ殿派」を大弾圧した。そのあおりで市川團十郎や葛飾北斎はじめ多くの文化人が弾圧されて「獄死」し「化政文化」は消滅。商業に頼りながら商業を憎み弾圧したため、経済は「下枯れ」をおこし流通機構は壊滅し、地方は「天保の大飢饉」へと落ち込んでいく(ToT)。ぞーーー(ToT)。さすが「ネオ・バカ殿派」やることがえぐい。幕末、松平定信が「名君」に見えるわけだよ(-_-;)。ちなみに幕末「大獄」という名の「大弾圧」が3回起こっている。以下のとおり
1、寛政の大獄 1786〜1793 首謀者は松平定信、「実務派」松平信明老中が定信を引き摺り下ろして終結。
2、天保の大獄 1834〜1843 首謀者は水野忠邦、「実務派」阿部正弘老中が忠邦を引き摺り下ろして終結。
3、安政の大獄 1857〜1862 首謀者は井伊直弼、「尊攘派」テロリストが直弼を暗殺して終結。
・・・。絶句(-_-;)。みんな、前二つを「改革」とか習わなかったか?繰り替えすが「左巻き」の宣伝情報工作がどんなにしつこいか少しは実感してもらえた(笑)?その徹底した「幕臣・実務派隠し」を?井伊直弼が暗殺されずに「実務派」に引き摺り下ろされてたら「安政の大獄」は「安政の改革」にされちゃって、それを実際にやった阿部正弘老中は「安政の先達」とか言われて井伊直弼の「部下」にされちゃってたはずだ。信明老中が「寛政の遺老」にされちゃってるのと同じようにね。「左巻き」の宣伝情報工作においてよく使われる「キー操作」の理論においては
「事実」より「印象」を操作するために「評価」をコントロールする
のよ。「大獄」を「改革」に、「引き摺り下ろした敵対者」を「寛政の遺老」にって具合にね(-_-;)。心底うんざり(ToT)。うんざりだよ!(ToT)。「キー操作理論」はみんなが考えているよりはるかに「ディープ」な話で、最低限「階層性」と「イコン信仰」と「音節コントロール」について仔細に語らなければならない。しかもこれ出自の違う複数の国の文化的背景について一通り解説した上で無ければ理解できない構造になっててとても「ややこしい」(-_-;)。いずれ「必ず書く」がも少し待ってくれm(_ _)m。
さてと、話がずれた。もとに戻そう。「天保の大獄」の最中チャイナでは「英清戦争(別名・貿易戦争、俗称・アヘン戦争)」が起こり清が大敗する事態が起こる。ことここにいたって「ネオ・バカ殿派」に付き合いきれなくなった「実務派」は阿部正弘老中の下に結集決起して、忠邦を引き摺り下ろした。はっきり書けば
「開国」するためにね。
元祖実務派田沼老中の時代から100年。伸ばしに伸ばしてきた「悲願」を「実行」に移すためにだ。もはや返り血は覚悟、もう他に選択肢は無かった(-_-;)。幸い、「ネオ・バカ殿派」は門閥である「元祖・バカ殿派」に対抗するために「遠山の金さん」こと遠山景元はじめ鳥居要蔵や土井利位といった「実務派」を登用せざろう得なくなっており、引き摺り下ろすのは比較的「簡単」だった(苦笑)。そして始まる「疾風怒涛の維新動乱」の話はまた次回語ろう。とほほ。
おまけにみくしー検索かけてみました。ま、当然だけど、ふーーーー(-_-;)。
「天保の改革」
日記 検索 (3件)ひっと。
「天保の大獄」
日記 検索 (0件)ひっと。
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