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2016年05月27日20:06

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テレビを見れば。。。。part0074


 さてと、緊急連載「北方領土史」の第4弾。前回、江戸時代初期、松前藩・武田氏はアイヌの自由貿易を禁止し、北方領土の直轄統治を始めたがそこに満州で清帝国にボロ負けしたロシア軍が無茶苦茶なやり口で攻め込んできた、ってとこまでやった。今回はその続き。

 1697年アトラソフ率いるロシア軍が当時日本の「属領」だった勘察加(カムチャツカ)に攻め込んできてこれを制圧した。これがロシアの「日本侵略」事始。今から319年前の話だ。「北の守り」を任されていたいた筈の


松前藩・武田氏はなんとこの緊急事態を「放置」した。


絶句。ありえねーーーー。若狭系とはいえあの「武田家」だろ?新羅三郎義光公以来の「武士の名門」としての「誇り(プライド)」はどこいった?「仲間が殺られ」、「国土か侵された」んだ、「武士」なら「ここが命の捨て所」だろ?「武士」とは一番とーーい「オタッキー」がなんでこんなこと言わなきゃなんないのよ?「言うべき人」がいってくれよ(ToT)。源氏の御曹司、平家の公達ドコいった?旗本八万騎は今ドコに?俺が言っても「説得力」が出ねーーーんだよ(泣怒)!それと国民に注意を喚起しておきたい重要な「事実」がある。


対ロ国防は「放置」すれば必ず「悪化」する


という「事実」だ。なぜそうなるのかについてはロシアの思想史に深く踏み込まなくてはならないのでここでは割愛する。そしてこの時も事態は当然「悪化」した。勘察加(カムチャツカ)航路の日本船がロシア海軍に襲撃されて「全滅」し航路が「封鎖」されたのだ。それでも松前藩・武田氏は事態を「放置」し続けた。げんなり(ToT)。当然、事態はさらに悪化した。

 1711年「悪魔の申し子」ダニラ・ヤコヴレヴィチ・アンツィフェロフとイヴァン・ペトロヴィチ・コズイレフスキーが率いるロシア軍が「日本固有の領土」である千島列島の占守島・幌筵島に侵攻を開始。ロシア軍による「北方領土占領」が始まった。今から305年前の話だ。占守島・幌筵島の千島アイヌはアンツィフェロフとコズイレフスキーの朝貢(サヤク)要求を日本への朝貢を理由にこれを拒否。戦いが始まった。当然千島アイヌは松前藩・武田氏に後詰め(増援)を求めるがなんと松前藩・武田氏はこれを拒否!!!正気か?あまりの冷酷さにぞーーーーとしてるの俺だけか?後詰め(増援)を絶たれた占守島・幌筵島の千島アイヌは圧倒的火力を誇るロシア軍に対して2年間の絶望的な交戦を続け1713年「全滅」した(ToT)(ToT)(ToT)。泣かずにいられるか(ToT)!はっきり書くぜ!


これは松前藩・武田氏の「敵前逃亡」であると。


なんたることか(激怒)!幕法に照らせば松前藩は「改易」、当主松前矩広は「切腹」、筆頭・次席家老は「市中引き回しの上打ち首獄門」が当たり前だ(怒)!将軍・家継と新井白石と間部詮房は何をやっていたんだ?馬鹿め!馬鹿め!馬鹿めーーーー!おかげで事態はどんどん悪化した(怒)。ロシア軍は1716年にはオホーツクから勘察加(カムチャツカ)の新航路を開設してドンドン増援を送り込んだ。1722年からは拉致した北海道アイヌを脅迫して千島列島の仔細な海図の作成に入っている。1739年には千葉県沖まで偵察隊が来てるよ(-_-;)。将軍・吉宗よ、ちゃんと撃沈しろっつーーーの!身に危険を感じた国後・択捉の酋長たちが1731年に献上品をもって松前藩主に再び後詰め(増援)を頼みに行ったが、松前邦広は献上品を受け取っておきながら後詰め(増援)を拒否した。ふーーー(-_-;)。松前邦広よ、「お前鬼か?」。おかげで1747年には生き残った千島アイヌに対するロシア正教への強制改宗政策さえ始まる(怒)。そして偵察を終えたロシア軍は第三次日本侵略軍を出撃させる。

 1766年「地獄の護送者」イワン・チョールヌイ率いるロシア軍が得撫・択捉両島へ侵攻。いつものようにいつものごとく「男は奴隷労働、女は強姦」の「ロシアン・パラダイス」の開幕だ(ToT)。この時も、松前藩・武田氏は出兵を拒否した。当主、松前道広は吉原に入り浸っていたそうだ(怒)。しょうがないんで得撫・択捉両島のアイヌが連絡を取り合い1770年に「一斉蜂起」して独力でロシア軍を撃退した。頑張ればいい事あるもんだね。1771年に「奇跡」が起こる。ロシアに抑留されていた神聖ローマ帝国軍のモーリツ・ベニョヴスキー中佐が勘察加(カムチャツカ)を脱走。長崎に来航してロシア軍の「暴虐」を告発したのだ。よーーやく、これで全世界中に全部バレた(^〇^)。よくやった!「ハンペンゴロウ」さんよo(^-^)o。これがよっぽと悔しいのかウィキると笑えるよ。中佐、何の根拠もなくいきなり「犯罪者」にされちゃってるもんね(笑)。しかも元ネタはドナルド・モースと渡辺京二。モースは名高き対日KGB工作員で渡辺は共産党員だ。ちなみにググるとヒットはなんとたった88件Σ(OoO)。いつものことながらロシアの対日情報工作網の「強大さ」と、対抗すべき日本の官僚と知識人の悶絶するような「無能」さにうんざりするよ。ほんとウンザリ(-_-;)。同時に前々回も書いたがアイヌ人たちが「カナ文字」を受け入れてくれなかった事が悔しくて悔しくてたまらない(ToT)。「文字さえあれば」「文字さえあれば」敵前逃亡者の松前藩などではなく江戸の知識人にそして幕府にもっと早くその窮状を訴える事ができたのに(ToT)(ToT)(ToT)!「アイヌの窮状」は出島からオランダへ、そしてオランダから出島へ地球をまるまる一周してからよーーやく江戸へどどいた。みんな心底仰天した!当たり前だ!ここでようやく


「愛国の知識人」が決起する!


まってました。キターーーーー(ToT)。ようやく、ようやくキターーーーー(ToT)(ToT)。待ちに待ったヒーローの名前は工藤平助と林子平。だか、相手はあのロシア人何事も簡単にはいかなかった(-_-;)。その話はまた次回語ろう。とほほ。




おまけにみくしー検索かけてみました。数だけ多くて表題見るだけでウンザリ(-_-;)。なぜかって?次回の「検索」見てみて、トホホ。



 「国防」

日記 検索(134件)ひっと。
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