君子に三畏(さんい)あり。天命を畏(おそ)れ、大人を畏れ、聖人の言を畏れる。 小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎(な)れ 、聖人の言を侮(あなど)る。
(季氏第16)
君子に三つの畏れがある。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人のことばを畏れる。
小人はこれに反し、天命を知らないのでそれを畏れない。大人になれなれしくし、聖人のことばをあなどる。
以下、樫野紀元「心を元気にする論語」より。
超一流と言われる人は、例外なく天を畏れる気持ちを抱いている。
ノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹は、人智を越えた大きな力に畏怖の念を持ち、それに関する多くの書を出版されている。相対性理論を唱えてアインシュタインは、「直感を頼りに試行錯誤を繰り返す中で、特別のひらめきを得、新しい成果を上げることができる。これは天の配剤である」と言っている。
神の手を持つといわれる外科医は、きまって手術の成功を天に祈るという。
彼らはこのように謙虚に、自分の進む道は天から授けられたものと思い、与えられた場で自分を磨き、努力し、得られた成果を世に還元することを使命と信じている。だから、その実力に加えて多くの人からサポートが得られ、超一流の域に達するのである。
孔子は「命(めい)を知らざれば、以て君子たること無き也 」と言っている。
命(めい)は、天からの命令、天からの運命を意味する。この言葉には也がついているので語気は強い。
この意味は<天の命令を知らないようでは君子とは言えません>である。
要するに<天命を避けがたいものと自覚しなさい>が、孔子のメッセージであろう。
超一流の人は自分が与えられた使命をよく知り、謙虚な気持ちでそれを遂行している。
他方、それなりの地位にいるのに、人徳がなく実力がない人は尊大に構え、横柄にものを言う傾向がある。少しの成功でうぬぼれ、人を見下す。そして、満ち足りているのに不平、不満を言い、損得勘定で人と接し、自分に利益をもたらすと思える人には媚びへつらう。
人に偽りの思いやりを見せることはあっても、謙虚な姿勢は微塵もない。
彼らは、その地位で何をすべきか、自分に与えられたものは何かを、まるで理解していないように思われる。これは紛れもなく小人の姿である。
さて大人(たいじん)は少年のような純粋さと素直な心を持っているので、その様子が、ときに愚鈍に見えることがある。世界的な仕事を達成し、名をなした人でも、「えっ、あの人が・・・・」というくらい、ざっくばらんであることが多い。
金盥(かなだらい)やバスタブに張った水に小さなものを投げ入れると、波紋は、ほぼ瞬時に隅々まで行きわたる。池や湖に小石を投げると、部分的に波紋ができるがすぐ消えてしまい、遠くまで伝わらない。このように。器の大きさによって、外からの刺激の伝わり方が大きく異なる。
人の器量もこれと同じである。大人は器が大きいので、少しの雑音は全く気にならないのである。
小人は、いつも人の外側しか見ていないので、大人の器量がわからず、たとえ世界的に名をあげている人であっても、ちょっと気を許すと、軽く見て粗雑に扱う。また小人は、その人が有名になったのは自分が応援したからだ、とでも言わんばかりになれなれしく振る舞う。
いつの時代でも、聖人の言葉は、人の世に生きる知恵の宝庫なのである。
しかし、小人は学ぶことの本質を理解せず、その必要性もわからない。聖人の言葉を二つ、三つ知っていると、それで、その聖人の教えをほとんど知っているつもりになるのだ。
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