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2016年01月27日13:50

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最近、考えたこと。Part0030

 さてと、話を続けますか。前回、「日本が韓国を建国した」ってとこまでいった。ここまでは良かった。作戦は成功した。だが、戦闘民族が国王殺られて黙ってるわけ無いでしょ、って話をします。1650年前に極東に存在した5つの国家は以下の通り


� �扶余王国        扶余系の本国、君主も国民も扶余族

�◆�高句麗王国       扶余王国から独立、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

��、百済王国        旧馬韓諸国。君主は日本人、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ⊃畦綛顱        ゝ戝ご攴�国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ァ�大和国         現・日本国、当たり前だか君主も国民も日本人


満州族・高句麗王国は当然反撃の機会を得かがった。だが、満州族は気が荒くしょっちゅう異民族とトラブルを起こし争いが絶えないためなかなか南下の機会が無かった。そこで外交工作を始めた。君主が日本人の百済王国ははじめから無視した。当然、ターゲットは新羅国に絞られた。当時、新羅国では君主の漢族・金氏が日本人が撤退したことをいいことに「漢化」を進めだした。韓国人の姓がチャイナ風の一字姓になっていくのはこのころからだ。半島最初の「創氏改名」ってわけだ。これは韓国の文化に「破滅的悪影響」を与えた「文化破壊」の最初の一歩だった。ま、本稿は日本法制通史概論で韓国文化史ではないので詳しくは語らないがほんとうに「破滅的」だった。長い間韓国人はこのことに気が付かなかった。だが、近世以降に日本と交流を再開してからそれを発見し「驚愕」した。


金氏は韓国固有の「伝統文献・伝統文化」を根こそぎ破壊した


のだ。まるで坑儒焚書だ(-_-;)。それでもこの後の政権が文化保護につとめれば再建は可能だったが、その後も「文化破壊」は続いた。なせ続いたのかは後で語るとして話を元に戻そう。満州族・高句麗王国はまずチャイナの北朝に臣従の使者を送る。その上ですでに臣従の使者の使者を送っていた新羅国に同盟を申し込んだのだ。半島をチャイナ領にしたかった漢族・金氏は日本との盟約をあっさり反故にして裏切った。戦争は再開された。これが「神功皇后の三韓征伐」の真相だ。1600年前、第15代応神天皇は国軍を再び半島へ送り新羅国に攻め込むが同盟に従って高句麗王国は百済王国に侵攻。やもうえず軍を分けて高句麗軍を迎撃させるが平壌の南で大敗してしまう。そこで新羅国の攻撃を中止し軍主力を転進させソウル近辺で高句麗軍を撃破した。ここで第16代仁徳天皇は「裏切った」新羅国と講和し外交工作に着手する。南朝・東晋へ臣従の使者を送る。これが倭の五王の遣使だ。バカな漢族・金氏のおかげで


北朝=高句麗王国=新羅国

Vs

南朝=大和国=百済王国


と韓半島でチャイナの南北朝の対立が再現されるバカな展開になった。しかも、国際政治学的に見ればどう考えても同盟関係ねじれてるし(-_-;)。この「捻れ」が後に大動乱の火種になった。それから200年にわたって小競り合いが続く展開となった。まず1500年前に扶余王国が勿吉(モンゴル族)に滅ぼされる。1470年前、北朝側の攻勢で百済王国の首都漢城(現在のソウル)が陥落、大和国は「任那日本府」を放棄する。押され気味だった1400年前に隋王朝がチャイナを統一すると事態が一気に動き出す。滅亡した南朝に遣使していた大和国改め日本国は急いで北朝の流れを汲むチャイナ・隋帝国に使者を送る。有名な「日出るとこの天子、日没するとこの天子に書をいたす」の遣隋使だ。もちろん結果は大失敗!幸いなことに「臣従の盟約」の履行を求めて来たチャイナ・隋帝国の要求を満州族・高句麗王国が拒否して隋・高句麗間の大戦争が勃発したので助かった。大激戦だった。この間隙を縫ってチャイナでは将軍・李淵が決起、隋帝国を打倒してチャイナ・大唐帝国を建国する。再び、チャイナ・大唐帝国は「臣従の盟約」の履行を高句麗王国に要求するが高句麗王国はこれを拒否して唐・高句麗間の大戦争が再開される。ここでなんとバカな漢族・金氏が半島にチャイナ軍を引き入れたのだ。あぶねーーー。1340年前、大唐帝国は苦戦中の唐・高句麗戦争を南北挟み撃ちの形で逆転させるために海路、百済王国へ侵攻。日本は救援軍を送り込むが白村江の戦いで大敗。百済王国は滅亡する。その後、超大国・大唐帝国に南北から挟み撃ちにされた高句麗王国は大敗し満州奥地に逃亡。再建されつつあった旧扶余王国を乗っ取り亡命政権「渤海王国」を建国する。1300年前に極東に存在した4つの国家は以下の通り


� ⌒潦げ�国        旧高句麗王国、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

�◆∧疹蹈灰蹈法�(安東都護府)チャイナ領、住民はの大部分は扶余族で漢族が少々

��、新羅王国        旧辰韓諸国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ�日本国         旧大和国、当たり前だか君主も国民も日本人


さてと、四つに減った。予告道理、後二つ「消える」。冷酷極まりない力だけが支配する国際条理における極東サバイバルゲーム。この過酷な試練を我らが父祖たちはどうやって生き延びてきたのか。その話はまた次回語ろう。



おまけにみくしー検索かけてみました。

 「新羅王国」

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