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レオニード・コーガン

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詳細 2017年2月1日 22:10更新

ウクライナのドネプロペトロフスク出身。父親はアマチュアのヴァイオリン奏者。ヴァイオリン演奏に興味を示し、その実力を発揮ししたため、家族はコーガン少年が音楽を学べるようにモスクワに移転した。12歳でジャック・ティボーに師事。ティボーは少年を自宅に住まわせ、コーガン少年は毎日のレッスンを通じてめきめきと頭角をあらわしていった。
モスクワ中欧音楽学校に通った後、1943年から1948年までモスクワ音楽院に在籍。1948年に卒業後は1951年まで研究科に所属した。
コーガンは、大器晩成型のオイストラフとは対照的に、早熟の天才であった。公式デビューは1941年、モスクワ音楽院大ホールにおいて、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演によりブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏した。同時期にソ連全土で演奏旅行を行う。学生時代にプラハ世界青年音楽祭で準優勝。1951年には、ブリュッセルのエリザベト王妃国際コンクールにおいて、パガニーニの≪協奏曲 第1番≫で驚異的な演奏を披露、エミール・ソーレ作のカデンツァの解釈にも卓越したところを示した。1955年には世界的な楽旅に出発、パリとロンドンに赴き、翌年には南米とアメリカ合衆国にも訪問した。
1952年よりモスクワ音楽院で教鞭を執る。1980年には、イタリアはシエナのアカデミア・キジアーナ Academia Chigiana に招かれ、教鞭を執った。門人に、イリヤ・カーラー、佐藤陽子、天満敦子、アテフ・ハリムなど。
コーガンの夫人は、有名な大ピアニストエミール・ギレリスの妹エリザヴェータ。エリザヴェータもヴァイオリニストで、1952年生まれの息子のパヴェル・コーガンも両親と同じ道を進んだ。
1982年、息子パヴェルと共演するため、オーストリアとロシアの間を列車移動中に心臓発作を起こし、誕生日を目前に58歳で不慮の死を遂げた。1955年に名誉芸術家、1964年にソ連人民芸術家に選ばれ、1965年にはレーニン賞を受賞した。
コーガンの愛器は2ちょうで、どちらもグァルネリ・デル・ジェズーである。ひとつは1726年製の愛称「エクス・コラン」、もうひとつは1733年製の「エクス・ブルメスター」だった。弓はドミニク・ぺキャット Dominique Peccatte 製のフレンチ・ボウを愛用した。
(wikipediaより)

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