扶桑型戦艦2番艦「山城」のコミュニティです。
完成時は世界最大の戦艦で、また初めて排水量が30,000トンを越えた戦艦でもあったがしかし、完成早々に「扶桑」型の二隻はその欠陥を露呈した。。
その生涯は不運ではありながら、今なお多くの人を惹き付けます。
そんな戦艦「山城」が好きな方、戦艦・軍艦が好きな方、関係者様、どうぞご参加ください。
写真出典:『軍艦写真帖』海軍協会・昭和5年改訂版(投稿者所有)
排水量: 39,154t
全長 : 215.80m
全幅 : 28.96m
吃水 : 9.08m
機関 : ブラウン・カーチス式直結型タービン
出力 : 40,000馬力
燃料 : 石炭5,022t、重油1,026t(扶桑の値)
最大速 : 22.5kt
航続距離 : 14ktで8,000浬
兵員 : 約1,400名
兵装 : 主砲35.6cm(45口径)連装6基12門、副砲15cm(50口径)単装16基16門、53cm水中魚雷発射管6門
装甲 :水線305mm、甲板64mm、主砲天蓋152mm
【年表】
1913年(大正2年)
11月20日 横須賀海軍工廠で起工
1915年(大正4年)
11日3日 進水
1917年(大正6年)
3月31日 就役
1922年(大正11年)
3月29日 山城第2砲塔上に滑走台を設け陸上機の発艦実験
1930年(昭和5年)から
1935年(昭和10年)にかけて、大改装。
1942年(昭和17年)
6月 ミッドウェー海戦に主力部隊として出撃するが戦闘には参加せず
1944年(昭和19年)
10月22日午後3時リンガ泊地より出撃
10月24日午前にスールー海でハルゼー指揮の機動部隊の攻撃を受けるが、米機動部隊が栗田艦隊を発見しそちらの攻撃に向かったため、西村艦隊はそれ以降機動部隊の攻撃を受けず予定通りスリガオ海峡を目指して進撃した。
24日午後11時にカミギン島の北方で魚雷艇の襲撃を受けたものの反撃。この時被害なし
10月25日未明
ミンダナオ海を抜けてレイテ沖海戦のスリガオ海峡夜戦において、志摩艦隊に先んじて敵艦艇(戦艦6隻、重巡4隻、駆逐艦26隻、魚雷艇37隻)がひしめくスリガオ海峡に突入。
姉妹艦の「扶桑」がアメリカ海軍駆逐艦が放った魚雷4本を受け右に逸れて戦線離脱、その後「扶桑」は炎々と燃え上がり火薬庫に引火、大爆発を起こして真っ二つに裂けて漂流、その後沈没した。
「山城」は魚雷とレーダー射撃を受けながらも敵艦隊の砲火の閃光を目標に応戦したが、さらなる命中弾と駆逐艦の魚雷攻撃により艦の速度が低下、被雷により機関が停止。火薬庫に引火して爆発を起こした。この爆発までの間、前部主砲は砲撃を続けていたのが米軍でも確認されている。この爆発の衝撃は激しく艦橋が前に崩れ落ちるのが確認されている。
10月25日午前4時19分
右舷へ転覆して艦尾から沈没(-190m / 623 fsw)。
生存者は10名足らずとされている(本当はもっと生き残っていたのだが鮫に食われたり、救助されるのを拒み自殺したり、運良く陸地に上陸した乗組員も原住民に殺害されたりしてこの数になってしまった)。米軍がこの戦闘に発射した砲弾は大口径弾300発、中、小口径弾4,000発と言われる。
1945年(昭和20年)
8月31日 除籍