バーナデット・ロバーツ(Bernadette Roberts)という女性がいる。
彼女はカリフォルニア在住で、幼いころから普通のカトリックの家庭に育ち、ご近所の教会で瞑想をしながらクリスチャンとして4人の子供を育てた、ごく普通の主婦です。
彼女自身は瞑想の経験をつんでいる人ですが、あるとき「自己を喪失する」という奇妙な体験をしました。
自分の体がただの抜け殻。 抜け殻というと、世間でよく言われている「幽体離脱」と呼ばれるようなものや記憶喪失のようなもの・チャネリングやヘーシンクを想像するかもしれませんがそうではありません《そうではなく》究極の自分(自我)自分の身体を切り刻んでいっても最後の最後まで残る「それ」のことですが《その(それ)まで消える》という体験をしました。
私たち人間は、とある何かの拍子に「私は誰(だれ)?」という問いにとりつかれることがあります『私はどこから来て、どこへ行くのか?』
このようなことを考え出すと、最後には「究極の私」と思えるもの《それと呼ぶしかないものにたどり着く》それは意識・神・魂・エネルギー(その他さまざまな言い方があるでしょう)と表現されているものである。
バーナデット・ロバーツは(それ)すなわち「私・自我・自己・セルフ」が消えた(自我が終焉した)
この世をどのように解釈するか?
自分が今あることの不思議をどのように納得するのか?
私はどこから来て、どこへ行くのか?
このような問いに関して(古今東西の)世界中の多くの人が様々なことを言っています。
中には相当(そうとう)胡散・きなくさい(うさん)臭いものも山ほどあるが「それをお金儲けの種にしている者がごまんといます騙される方も悪い)
この世の中に数多くある世界観・宇宙観の中で(これまでのところ)私にとって一番すっきりしているのは「お釈迦さまの諸行無常と縁起(えんぎ)である。
この世のすべては変化する。変化しないものはなにもない(諸行無常)始めがあれば終わりがある。
そして物事はそれだけで存在できるものは何もなく、すべて他のものとの関係性「縁起・えんぎ」の中で生まれ、消えて行く。
たったこれだけである《この二つから派生して「空(くう)」が定義されている。
実にシンプル単純で明快無理矢理何かを・・・何かを信じる必要も、疑う必要もない空なのだから)
修行を、死に物狂いで苦行を積んで悟りを開く必要もない。
後は自分の頭で考えて行けば「このことのすごさがはっきりしてくる」まずこれがひとつ。
もう一つは、お釈迦さま(本当に存在したかどうかは怪しい)に限らず、キリスト教でも、その他の宗教でも、詩人、画家、多くの芸術家といわれる人が言ったり、作品で表現していることであるが「一(いつ)」というのがある。
この世のすべてのもの、私もあなたも、草も虫も、水も星も何もかもが同じものでつながっているという認識。これは宗教に関係なく、実に多くの人が言っている。
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