子どもたちは(私たち大人の)所有物でしょうか? 本当の教育が可能になるのは(私たち大人が)人生の深い意味を理解し始めたときだけです。
しかし理解するには、 精神(頭脳)は恐怖と追従・ついしょう(人や権威・権力に 付き従ってこびへつらうこと)を生み出す / 意図的(暗示や洗脳として)に人間を単なる道具+ロボットとして利用するために(そういうふう)に付き従わせる国家や宗教組織(腐った神=バーチャル=正義)や社会(世間体) マスコミ+媒体(ばいたい) / 大人たち、
・・・見返りを求める欲望から・・・賢明・けんめい(道理に明らかで適切な判断や処置が下せるさま / おかしいものには断固として、おかしいぞ!!と言う賢明な精神)に自分自身を解放しなければなりません。
◇もしも(私たち大人が)子供たちを個人的な所有物とみなすならば / もしも(私たち大人)にとって、
子供たちが(私たち大人の自己中心的な腐・った脳)限定されて偏(かたよ)った偏見(へんけん)の塊(かたまり=過去の蓄積物=事実ではなくバーチャル)である・・・小(ち)っぽけなセルフ(自我)の延長であり、
子供たちが、 私たち大人の《野心・やしん+願望・がんぼうの実現の道具でしかない》のなら、
・・・そのとき、 私たち大人(おとな)は・・・口先だけ言うことは立派で(計算高い)自己中心的(愛と平和と正義という腐った言葉を・・・利用して権威・権力に力ずくで従わせる)なら、
愛のない / 利益・りえき(お金)とシステム+効率+能率の追求しか存在しないような地球+国家+環境+社会構造(世間体)を作り出す他なくなるのです。
困ったときには