司馬遼太郎の小説、「胡蝶の夢」の副主人公、奇形の奇才、幼名島倉伊之助。
長じて後は、日本から一歩も出ていないのにもかかわらず発音も含めドイツ語を完璧に習得し、ドイツ人から「あなたはドイツに何年いたのですか」と聞かれるレベルの語学の天才、司馬凌海。
日本最初のドイツ語辞典の著者、司馬凌海。
そんな佐渡の偉人である彼の魅力について語ってみましょう。
wikiより
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司馬 凌海(しば りょうかい、天保10年11月28日(1840年1月2日) - 明治12年(1879年)3月11日)は、医学者・語学者、愛知医学校校長。佐渡島真野町新町(現:新潟県佐渡市真野新町)生まれ。諱は盈之(みつゆき)、凌海は通称。幼名、島倉伊之助。
語学の天才で通じない外国語はないといわれた。独・英・蘭・仏・露・中の6か国語に通じていた。特に松本順、ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事していたことから、医学用語の日本語訳を多く作っている。
ドイツ語学者の司馬亨太郎は長男、棋士の喜多文子は二女。
その言動から自閉症(サヴァン症候群あるいはアスペルガー症候群)だったのではないかといわれている。
略歴
* 天保10年(1839年)11月28日、島倉栄助・ラクの長男として佐渡島雑太郡新町村(現:佐渡市真野新町)に生まれる。
* 6歳で佐渡の相川学館に入塾。
* 嘉永3年(1850年)11歳で、祖父伊右衛門に連れられ江戸に出て唐津藩儒者山田寛に漢学を学び、13歳で奥医師松本良甫、松本順(良順)のもとでオランダ語と医学を学ぶ。
* 下総国印旛郡佐倉の佐藤泰然の私塾順天堂で蘭学と蘭方を学ぶ。
* 佐渡に帰島
* 安政4年(1857年)18歳で、師の松本順(良順)と長崎へ行きオランダ軍医ポンペ・ファン・メーデルフォールトに学ぶ。
* 文久元年(1861年)、ポンペに破門される
* 文久2年(1862年)、『七新薬』を著し、尚新堂から刊行。
* 肥前国松浦郡平戸で平戸藩医師・岡口等伝の娘の婿になる。子が生まれる(長男・司馬亨太郎)
* 祖父伊衛門により佐渡に連れ戻される
* 横浜に出る
* 江戸の下谷練塀町で私塾「春風社」を開く
o 教え子に生田秀(ビール醸造)、清水郁太郎(医学者、東京大学教授)
* 明治元年(1868年)、医学校(現・東京大学医学部)三等教授。
* 明治3年(1870年)3月、少博士・正七位
* 明治3年(1870年)7月、少助教
* 明治5年(1872年)1月、大学大助教
* 後に文部大教授
* 明治5年(1872年)、日本最初のドイツ語辞典『和訳独逸辞典』を出版。
o 但し、『孛和袖珍字書』という辞典も同時期に出ている。日本初というのは辞典、辞書の定義によると思われる。
* 明治8年(1875年)5月、元老院少書記官
* 明治8年(1875年)12月に辞職
* 明治9年(1876年)公立医学所(後に愛知医学校、愛知県立医学校と改称)(現・名古屋大学医学部)教授
o 教え子に後藤新平
* 明治10年(1877年)名古屋で開業
* 明治12年(1879年)3月11日に肺結核で死去。享年40(満39歳没)。
yahoo人物図鑑
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後藤新平資料館 司馬凌海紹介
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困ったときには