金正恩氏(26)は84年、金正日総書記と大阪生まれの元在日朝鮮人である高英姫(コヨンヒ)氏(04年死亡説)の間に生まれた。03年ごろまでは存在すら知られておらず、生年を82年や83年とする説もある。
96年夏から01年初めまでスイスの首都ベルンに留学した。兄の正男(ジョンナム)、正哲(ジョンチョル)両氏もスイスの国際学校に学んだが、正恩氏は、いったん入学したベルン国際学校を数カ月で退学して公立校に転校した。
ベルンの公立中で同級生だったポルトガル移民の親友は、正恩氏について「バスケットボールが大好きで、歌や漫画を好む気さくな性格。バスケでは、ゲームメーカーだった」と証言する。
米プロバスケットボール協会(NBA)の遠征試合を見るため、この親友を誘って北朝鮮大使館の車でパリまで行ったりしていた。このほか、友人に時計など高価なプレゼントを贈り、身の回りの世話をする大人が自宅に何人も詰めていたなど周囲に違和感を与える面もあったが、放課後に自転車に乗って友人宅を訪れ、学校や自宅近くで友人たちとバスケに興じる姿は普通の少年だとみられていた。
当時の教師によると、数学や体育などの成績はよかった。負けず嫌いで、英語やドイツ語も一生懸命に勉強していたという。ただ、ドイツ語と英語の負担が重いという理由からか、スイスの中学では必修科目であるフランス語は履修を免除されていた。
毎日新聞が入手した内部資料によると、正恩氏は帰国後、金日成軍事総合大学に入学。在学中に北朝鮮で初めてのGPS(全地球測位システム)を使った作戦地図を作ったという。文書は、正恩氏を「現代軍事科学の天才」と絶賛した。大学卒業後は、軍総政治局や国防委員会で経歴を重ねたとみられ、09年4月の弾道ミサイル打ち上げにも関与したとされている。
一方、最近は経済政策にも関与しているとされる。特に、コンピューター数値制御(CNC)の工作機械導入などが正銀氏主導で進められているのではないかとみられている。
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