私たち人類は思考の取扱い方を誤ったのか?
これに記載された一連のお話は『私たち人類は思考の取扱い方を誤ったのか? / 私たち人類は進路を間違えて(その結果)果てしのない / 切りのない区別や分裂-比較-闘争や葛藤-苦悩-破壊を引き起こしてきたのではないでしょうか?』という問いから始まっています。
それから順次に(私たち人間の)性質-特性 / 個人と社会の関係が取り上げられ(さらに私たち人間の)思考のメカニズム-死 / 英知-洞察力の喚起(かんき)宇宙の秩序 / 私たち人間の断片化した精神などに対して《新たな洞察力の光(英知)が投じられています》
私たち人間は、このように問いかけます『現実として / 実際に(自分自身の・・・ありのままの姿を)事実として見ることが出来ないまま、 未来への願望である将来に向かって・・・
・・・自分は【こうならなければならない】という(未来へ向かっての)幻想的(バーチャル)な目標を自分に課そうとします』それが恐怖-苦悩-葛藤の根本の原因になります。
なぜこうも(私たち人間は)思考・しこう(過去の記憶の束)を《事実ありのままよりも》人生のあらゆる面で・・・これほどまでに重要視するようになったのでしょう?
当たり前のことですが 「思考は」自動車の運転を習う-ピアノをひく-技師になるなどの技術的な分野では有用ですが《いつの間にか(どういうわけか)それ以外の》思考には(機能的-構造的にまったく向かない)より微妙な領域に入り込むことを許されてしまったのではないでしょうか?
精神から《過去の記憶の束である時間の蓄積物を拭い去り》自己中心的なプログラム-活動パターンを終焉させることはできるでしょうか?
自己超越的な英知-洞察を得た人は(そのことを他の人々に示唆して)彼らを幻想の世界から抜け出させ・・・自由にすることができるでしょうか?
英知-洞察(あるがままを見る)によって(私たち人類の頭脳が)それ自身を(生まれ変わって)精神的に、いったん死んで新たにさせ(蓄積した-累積した)長年にわたる間違った働きによってこうむった損傷をいやすことができるでしょうか?
最後に再び《私たち人類は思考の取扱い方を誤った / 私たち人類は進路を間違えたという事実に言及します》が、これは出口のない袋小路に入ってしまった!という意味ではありません。
私たち人類は窮地から抜け出すために必要な「根源的な変化を遂げることが出来るといいます」が(それには)自我の狭い円の領域(既知のものである)個別的な関心事から離れて、
より一般的なものを目指し(ついには)思考(自我)時間-さらには空をも超えた基底・きてい(基礎となる事柄。ものごとの基礎。基盤)から生じる慈悲心−愛および英知の純粋さへと入らなければなりません(これは)自分自身の精神−心をひっくるめた全存在(つまり)全身全霊をこの「あるがまま見る」ことに通じてなされることを意味しています。
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