ストラヴィンスキーとクルト・ワイルを足して2で割って、ちょっとプロコ風味をつけたような音楽が魅力のアンタイル。
その音楽はまさにクラシック界の異端児。
変態系クラシック音楽好きにはたまらん味わいです。
アンタイルの音楽を肴に皆さんで楽しみましょう。
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ジョージ・アンタイル(George Antheil, 1900年6月8日 - 1959年2月12日)はアメリカ合衆国の作曲家・ピアニスト。自叙伝『音楽の悪童 Bad Boy of Music 』において「ユダヤ系ポーランド人」と出自を捏造しているが、事実はルター派を信仰するドイツ人の家系であった。
本名Georg Carl Johann Antheil(ゲオルク・カール・ヨーハン・アンタイル)。ニュージャージー州出身。当初はもっぱらヨーロッパにおいて演奏会ピアニストとして経歴を打ち立て、1920年代には、友人エズラ・パウンドの愛人オルガ・ラッジとしばしば演奏旅行を行なったが、やがてストラヴィンスキーに強く影響された前衛音楽の旗手として悪名を馳せるようになる。
最も名高い作品は、1926年の「バレエ・メカニック」であるが、これは演奏会用に企図された作品であって、曲名に反して、舞踏音楽としては作曲されてはいない。この曲において踊り子を演ずるのは機械であり、電子ブザーや航空機のプロペラといった部品が含まれていた。この作品は、初演において、騒動と評論家の非難を巻き起こした。
ちなみに「バレエ・メカニック」の「機械が踊る」というコンセプトは、坂本龍一のアルバム「未来派野郎」に、とりわけ収録曲「Ballet Mechanique」に影響を与えた。
1930年代になるとアンタイルの作風はより伝統的になっていくが、同時に作曲家として生計を立ててゆくことが難しくなり、たびたび映画音楽の作曲や、雑誌への記事投稿などで糊口を凌いだ。一例を引くと、内分泌学の研究が趣味だったので、『エスクワイア』誌に内分泌腺に関する一連の論文を寄せている。自伝『音楽の悪童』(1945年)は成功作で、生彩にあふれた娯楽作だが、体験談については必ずしも事実として受け容れられるわけではない。
1940年代以降は、オペラや映画音楽の作曲家として引く手あまただった。1959年にニューヨーク市にて他界。
困ったときには