ゼロ年代サブカルチャーとは何だったのか、このあたりで総括を試みてみようというコミュニティ。管理人は、2000年に大学進学を機に上京し、4年で卒業したのち、無職、フリーターを経て会社員となっている。別途「90年代サブカルチャーの総括」というコミュニティも持っているが、そちらは古雑誌などによる後付の知識が多い。吉田豪の如く、その場にいなかったのに、さもいたかのように語ることが出来るという矛盾を孕んでいる。当然に映画や音楽などもリアルタイムで触れたものは少ない。その点、2000年以降は東京にいたこともあり、文化状況はほぼリアルタイムで把握出来ていたと思う。「snoozer/スヌーザー」が示した98念世代のジャパニーズロック、くるり、ナンバーガール、スーパーカー、+して中村一義、七尾旅人、プリスクール(pre-school)、ハスキン(huskingbee)、クラムボンあたりは熱心に聴いていた。金はあまり使わなかったが。「スタジオボイス/STUDIOVOICE」と「リミックス/REMIX」が休刊を迎えた今、ゼロ年代を総括すべき時に来ていると考える。ゼロ年代サブカルチャーについては、すべてを肯定で受け止められないものもあった。それを忌避した理由や時代の空気も探れればと思う。私が未だに避けている三つは菊地成孔、安めぐみ、サンボマスターである。他、お笑いロッキングオンジャパン化した「クイックジャパン」や、飽和状態に陥った「アダルトDVD」も苦手として追っかけることを放棄してしまった。図書館には足繁く通っていたので、わからずとも最新刊の字面は追っていて、宮台真司に代わって、鈴木謙介(文化系トークラジオlife)、北田暁大、仲正正樹、姜尚中といった新しい書き手(後の二人は90年代からいたが目立ち始めたのはゼロ年代に入ってから)の台頭、藤井誠二が死刑廃止から存置へ、森達也「A2」作り活字の世界へ、同じアベレージをキープする上野俊哉、椹木野衣、大塚英志、四方田犬彦。既存の文芸誌ではない所から出現した福田和也、坪内祐三の「en-taxi」から超ベストセラー「東京タワー」リリー・フランキーについて。ゼロ年代に醸造されたものは数多い。(1→2)ゼロ年代最も変容した空間としては大学があると思う。ことに、サークル棟、学生会館をはじめとする厚生施設が次々と縮小化し、活動停滞は学園祭/文化祭の在り方を変容させる。01年7月に早稲田大学の、地下部室が撤去され学生会館に統合される。闘争の模様は井土紀州の映画「レフトアローン」に記録される。新しい場所には監視カメラが付いた。01年8月、東京大学の駒場寮が強制執行により廃止。学生寮は、山形大、東北大始め全国で無くなる。04年法政大学の学生会館が出火を起こし解体。早大、東大、法大の三つが大きな出来事だが、その他、和光大や武藏大といったスポットにも24時間365日解放のサークル棟が存在したが現在はどうなっているのだろう。特定の政治党派やセクトの根城であったとの批判もあるが、自主映画、バンド、創作文芸、詩作、ミニコミ、その他サブカルチャーもろもろ、飲酒、など雑多な文化を寄せ集め醸造された魅惑的な空間であったことは違いない。時を同じくして、映画監督、ミュージシャン、作家、漫画家、小説家、果ては編集者やライターといった人々までが大学教員のポストに収まっていく。それまでサークルが担っていた文化創造的な素養は、表現者たちのタレント教授化によって補完される形となる。と、ここまで書いてサムさに戦慄する。学生側に最大限寄った意見に過ぎず、何より自身が学生ではなく、空間として関わりがないのでどうでも良い。結果として、現時点ではこれらの空間から何者かが出現するということはない。その点ストリートの方に軍配が上がる。宮沢章夫「地下文化論/ノイズ文化論」を読んだある方のコメントで、高校中退の自分には大学文化のなにがしかが全くわからない、というものがあった。これは貴重な指摘だろう。大学文化はクローズドになっている。あと実際は大したこと無い、身内褒めに終始する感もある。皆が集い、飲み語らい何かを発信する空間という原理的な部分を詰めていくと、大学に限定する必要はなくなる。そこで素人の乱だ、だめ連だと持ちだすのも短絡的に過ぎる。この話はもうやめにしたいが、ゼロ年代と大学の関わりは重要なので記しておく。(2→3)
困ったときには