バラード第4番 (ショパン)
バラード第4番ヘ短調作品52は、フレデリック・ショパンが作曲した4曲のバラード中最後に作曲されたもの。彼の作曲技法が尽くされており、最も演奏困難とされる作品でもある。ショパンのピアノ作品の中でも傑作の一つとして数えられ、最高傑作とする評価もある。
作曲の背景など
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作曲は1842年(作曲者32歳)。この時期のショパンは、夏はノアンのジョルジュ・サンドの生家で過ごす生活を続けており、サンドとの関係も良好で、円熟期の作品を数多く生み出していた。この曲が作曲された年は、幼少期の恩師ジヴニーやワルシャワ時代の親友マトゥシンスキが他界するなどの不幸があったが、作曲の方面では、英雄ポロネーズ作品53、スケルツォ第4番作品54などの大規模な傑作を生み出し、創作面では絶頂期を迎えた。この年以降、彼の作品数は減少の傾向を見せるようになる。
困ったときには