三国志・三国演義の蜀中国随一の天才、奇才、不世出の大政治家であり名軍師。
生年:181〜234年
姓は諸葛(Zhuge)、名は亮(Liang)、字は孔明(Kongming)。(中国では諸葛亮孔明という呼び名はされず、諸葛亮もしくは諸葛孔明というのが正しい)
琅邪郡陽都県(現在の山東省沂南県)の人。
三国時代の蜀の丞相。千年に一人と言われる名軍師。政治面でも軍事面でも非凡な才能を発揮。その知略で劉備を支え遂に蜀建国を成し遂げた。
若くして天下に“臥龍”と称されて臥竜岡の草盧で晴耕雨読の生活を送っていた。
その折、戦略的な参謀をさがしていた劉備の「三顧の礼」(三度の訪問)によってその人柄に惚れ込み仕える事となる。この時孔明は27歳という若さであった。
以後、数えきれない程の活躍によって持論である「天下三分の計」を実現させる。
呉に敗退させ、劉備亡き後の蜀を建て直し南蛮攻略を成功させて漢室復興を掲げ、有名な「出師の表」を作り魏討伐を開始する。が、結果として北伐は成功しなかった。
日頃の激務がたたり第5次北伐の際、五丈原の陣中で没する。享年54歳。
中国と日本に現代にも伝わるいくつもの諺に名前が残るほど、知と忠誠の象徴としてポピュラーである。
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