頑固一徹の語源となったとも言われる美濃の雄を愛するコミュです。
以前あったコミュニティがなくなったようなので、僭越ながら作成しました。
稲葉一鉄
「1515〜1588(永正十二〜天正十六)
(通似・通朝・貞通・良通・六郎・彦四郎・彦六・右京亮・伊予守、道号一鉄、 似斎・洪圭斎、法印・法名宗勢)美濃の国人。土岐、斎藤、織田、豊臣に仕える。父は通則。母は国枝大和守正助の女。幾度も名を変え、最後は良通。 幼時、長良崇福寺で喝食となっていたが、大永五年(1525)、還俗し、安八郡曾根城主を継ぐ。土岐、斎藤に仕え、氏家常陸介、安藤伊賀守とともに西美濃三人衆と呼ばれた。永禄十年(1567)織田信長に内通して、斎藤氏滅亡の足ががりを作った。以後近江、摂津、伊勢、越前に従軍し、姉川合戦では、徳川家康の加勢となり、浅井長政軍撃破に大功があった。その後大野郡清水城に移り、石山合戦、越前朝倉攻め、長島一向一揆鎮圧、長篠合戦、岩村城攻めに戦功があった。天正二年(1574)ごろ入道して一鉄と号した。本能寺変後は美濃で一時自立の勢いを示したが、やがて豊臣秀吉に従い、小牧、長久手合戦に奮闘した。同十三年に秀吉が関白になると三位法印に叙されたという。同十六年十一月十九日清水城で死去。墓所は大野郡清水月桂院。」(阿部猛他編『戦国人名事典コンパクト版』新人物往来社(1996年) 一部省略)
困ったときには