お陰様をもちまして、のんびりやってます。
のんびりすぎて、レスポンスが大変悪くなっており、誠に申し訳ありません。
改善を心がけます。
★★★★★★★
足利直義(徳治2年(1307年)〜観応3年/正平7年2月26日(1352年))
「尊卑分脈」に「本名高国」、また「公卿補任」に「忠義」とありますが、これについては、またいずれ。法名は惠源。
室町幕府初代将軍足利尊氏の二歳違いの同母弟であり、幕府草創に当たって、政務の多くを尊氏から任されていました。
建武5年/延元3年(1338年)8月11日尊氏が征夷大将軍に任じられ、同じ日に直義が左兵衛督に任ぜられたことを、「太平記」は「日本ノ副将軍ニ成給ウ」と書いています。
しかし、権限の二分化は結局対立を生み、日本を二分する戦乱と長い社会混乱の芽となったのです。
兄尊氏に、「今生のくわほうをば直義にたばせ給候て、直義あんおんにまもらせ給候べく候」と願われ、
当時において「ゲニゲニシク(誠実で)偽レル御色ナシ」と評されながらも、悲劇的な最期を迎えなければならなかった足利直義とは、どんな人物だったのでしょうか。
★★★★★★★
硬軟とりまぜて、楽しくお話ができればよいな〜と思います。
なにぶん不慣れな素人が管理人を務めてもおりますので、間抜けた事もしでかしてしまうかも知れませんが、よろしくお付き合い頂ければ幸いです。
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