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近鉄 バファローズ 有田修三

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詳細 2017年9月20日 12:49更新

来歴・人物


宇部商業高校時代の1969年に夏の甲子園に出場。新日鉄八幡を経て1972年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位で指名され翌1973年入団。2年目の1974年から1軍に定着。エース鈴木啓示とのコンビが有名で、温厚なリードの梨田昌孝に対し、内角主体の強気なリードで鈴木の持ち味を引き出す。どんなに調子が悪くても、鈴木の登板試合には必ず有田が起用された。また、有田と梨田は「ありなしコンビ」と呼ばれ、この「ありなしコンビ」の成功により、複数の捕手を使い分けるといった戦術が近鉄が消滅する2004年まで続くことになる。捕手だったが打撃成績が良く、一時はバッティングに専念するため一塁手に転向するという話も出た。1985年シーズン途中に鈴木が引退し、光山英和や山下和彦といった若手捕手が台頭したため出場機会が激減した。

1985年オフに読売ジャイアンツの定岡正二との交換トレードが発表されたが、定岡がトレードを拒否し引退を表明。一度は破談になりかけたが、淡口憲治・山岡勝との交換トレードが成立し、巨人に移籍した。当時の巨人には正捕手・山倉和博がいたが、精彩を欠いていたため、山倉と併用の形で起用された。一時は山倉の陰に隠れる形で2番手の捕手に甘んじていたが、1988年に山倉の怪我により正捕手の座を獲得。本塁打も久しぶりに12本放ちカムバック賞を受賞する働きを見せた。翌1989年には中日ドラゴンズから中尾孝義が移籍してきたため再び控えに回り、シーズン後半戦は出場機会が激減。古巣・近鉄との日本シリーズはベンチ入りしたものの、出場機会はなく、トレード相手の淡口とは対照的だった。1990年に福岡ダイエーホークスに移籍したが、1991年を最後に現役を引退。

引退後は阪神タイガース、古巣・近鉄のバッテリーコーチをそれぞれ4年間務めた。2000年から朝日放送の解説者を務め、捕手の配球に対する分析力には定評がある。またマスターズリーグでは大阪ロマンズに所属している。

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2008年4月25日

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カテゴリ
スポーツ
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