2011.5.5心機一転
明治時代の書家「中林梧竹」について語り合い、梧竹から書の神髄や楽しみ方を学ぶコミュニティです
あるフランス人が梧竹の作品をみて、「ミロみたいだ」といったそうです。
では。。
ジョアン・ミロ(Joan Miró, 1893年4月20日 - 1983年12月25日)
中林 梧竹(文政10年4月19日(1827年5月14日)- 大正2年(1913年)8月4日)
そう梧竹さんの方がずっと年上なのです
「ミロが梧竹みたい」なのです
他にも金文を筆の表現に変換したのも清国人よりずっと先んじている、木簡の文字を予言していた等、当時としては傑出した芸術家なのです
それなのにあまりにも知られていない。。。
こんな優れた芸術家をほっておくわけにはいきません。
まずはトピックを覗いてみて下さい
総合トピックは下記へ。
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幕末から大正まで生きた「梧竹さん」
佐賀小城では親しみを込めて「ごちくさん」と呼ばれています
明治に入り、弟子もとらず書を書き続けることだけで生き抜いた梧竹さん。
本当の意味での「書家」と呼べる先駆けとなった人物です
56歳で本場中国(当時は清国)に渡り書を学んだ梧竹さん
その後、東京の銀座に30年居座りながらも、
全国を旅した梧竹さん
72歳の時、富士山のてっぺんに「鎮国之山」と自分の書の碑を建て「わしの書は日本一じゃ〜」といった梧竹さん
80歳で韓国に渡り、九州から東京に戻る途中、
突然「富士山に登る」といったとてつもない老人パワー
その書は80歳を過ぎてから凄みを増していきます。
世界一墨を消費した人物といわれることもあります。
また、現在でも愛読者が絶えない『梧竹堂書話』という中国でも例がない日本人のための書論も遺しています
こんな書家は今後現れないでしょう。
反面茶目っ気あふれるエピソードも多い梧竹さん
そんな人間味あふれる人物だったからこそ、佐賀では「ごちくさん」と親しみを込めて呼ばれているのでしょう。
知っている人も初めて知った人も
みんなで気楽に「梧竹さん」の魅力を語り合いましょう
コメント大歓迎です。よろしくお願いします
こんなこと知りたいなど、トピックもどんどんたてて下さいね
それは違うんじゃないかということでも結構です
いろいろと教えて下さい
訪れた記念にひとことどうぞ〜
「ひとこと帳」です。
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参加されたら
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中林梧竹 略年譜はこちらです。(フォトへのリンクあり)
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