Aleksander Mikhailovich Rodchenko
(December 5, 1891 [O.S. November 23] - December 3, 1956)
1891 ロシアのペテルスブルグで舞台装飾職人の家庭に生まれる。モスクワのストロガノフ応用美術学校に入学するも、1年で退学。画家を志す
ゴンチャローヴァやマレーヴィッチの影響を受ける
1916 タトリン組織の倉庫展に招待されて抽象的ペン画を出品
1917 タトリンのサポートとしてカフェ・ピトレスクのデザイン(室内装飾)を行う
1918 革命後、人民教育委員会造形美術部門のメンバーとなり、美術館および購入基金部門の責任者となる
タトリンとともに生産芸術論を推進
その後、構成主義的様式によるタイポグラフィ、写真、舞台芸術が主要な仕事となる
1923 「われらが産業」シリーズの菓子の包装なども手掛ける。<広告−構成者 マヤコフスキー−ロドチェンコ>の商標をつくり、さまざまなポスターを手掛ける
1956 死去