★トップ画像:浮世絵「越後十七将之肖像上杉謙信公」(一部拡大)
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宇佐美 定満(うさみ さだみつ)
越後国琵琶島城(新潟県柏崎市)に勢力を持っていたとされる武将。軍記物では上杉謙信の軍師とされるが確実な史料からその事実は確認出来ていない。伊豆国宇佐美荘(静岡県伊東市宇佐美)を発祥とし、越後守護上杉家の重臣を務めた宇佐美氏出身。
生誕:延徳元年(1489年)?
死没:永禄7年7月5日(1564年8月21日)
別名:宇駿、受領名:駿河守
通称:四郎右衛門尉
墓所:雲洞庵(新潟県南魚沼市)
経塚:宇賀神社(長野県上水内郡信濃町)
主君:上条定憲→長尾晴景→長尾景虎(上杉謙信)
氏族:宇佐美氏(藤原南家・工藤氏支流)
父母:宇佐美房忠
子 :定勝? 勝行?
宇佐美定満は「宇駿」「宇佐美駿河守」「宇佐美駿河守定満」「宇駿定満」の名で一次史料に登場し、その活動が確認出来る。
定満は、守護代長尾為景と守護上杉家一門上条定憲との抗争(越後享禄・天文の乱)において定憲側の武将として登場する。当初為景側であった定満は離反した後、諸方へ計略を巡らせ、天文4年(1535年)5月に上田長尾氏・柿崎氏・大熊氏らと共に定憲側に集結した。
宇佐美・柿崎勢は天文5年(1536年)4月10日に行われた三分一原の戦いで為景勢に敗北しているが、この戦いの後に為景は隠居しているため、定満にも相応の成果があった戦いと言える。
天文17年(1548年)に長尾景虎(上杉謙信)が家督を継ぐと定満はこれに従い、景虎と対立した上田長尾家の当主長尾政景に備えて要害に入る。一時、景虎より離反するが後に復し、天文20年(1551年)正月には政景側の発智長芳・穴澤長勝らと交戦した。一方、同年夏頃に定満と平子孫太郎の間で対立が発生したらしく、孫太郎や大熊朝秀・直江実綱(景綱)・本庄実乃ら景虎の奉行人に対して裁定への不満を訴えるとともに、知行の加増が無く家臣の戦意も失われている状況を嘆いている。
永禄2年(1559年)に景虎が上洛して帰国した時、越後の諸将と共に太刀を献じて祝賀した。その時の記録によれば「琵琶島殿」としてみえ、定満は外様・譜代衆の第12位の序列にあったとされる。
その後、景虎と政景の抗争が終結すると定満の名は確実な史料上から消える。ただし、宇佐美家そのものが断絶したわけでは無く、永禄10年(1567年)8月、武田信玄の信州侵攻への防備強化に携わった者の中に「宇佐美平八郎」の名が見えている。
永禄7年(1564年)7月、定満は長尾政景を舟遊びに誘い共に溺死したといわれる。一説には、永禄5年(1562年)武蔵上尾原における後北条氏との戦いで戦死したとも伝えられている。
定満は多くの書籍等で、越後国・琵琶島城(新潟県柏崎市元城町)主として紹介される。しかし、定満の父房忠の琵琶島在城については万里集九の詩文集「梅花無尽蔵」の記述によって裏付けられるものの、それ以降の宇佐美氏と琵琶島城の関係を明確に示した史料は現在確認されない。
宇佐美定満と琵琶島城の関係の一説として信濃国・琵琶島城について触れておく。定満は長尾政景と共に溺死したと言われる。溺死した場所は諸説あるが、その一つが野尻湖(長野県上水内郡信濃町野尻)で、湖に浮かぶ琵琶島には城が築かれ、琵琶島城(野尻城)と呼ばれた。さらに、琵琶島城跡には宇佐美定行(定満)の供養塚があり、政景の墓も湖に近い真光寺に現存する。
なお、16世紀前半の史料から、定満の父房忠の在所が小野城(新潟県上越市)であること、また、柿崎氏が宇佐美一族であったことから、宇佐美氏の本拠地は現在の上越市柿崎区域であったとする説がある。
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