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田村勤(たむじぃ)

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詳細 2022年2月9日 00:56更新

自分が野球に、ひいては阪神熱に火をつけてくれた人物。
物心ついた頃の野球観戦、彼が9回に登場し見事三者三振に打ち取った時のインパクトは今でも頭にこびりついて離れません。
同志の方、おられたらどうぞ!

トピックの作成等はおまかせします、皆さんご自由にどうぞ☆
はじめましての方や田村選手に関するエピソード、近況の報告などございましたら初対戦の間の方へどうぞ♪

田村勤のプロフィールはこちら↓Wikipediaより引用(一部訂正)

田村 勤(たむら つとむ、1965年8月18日 - )は、静岡県榛原郡川根町出身。平成期(1990年代)のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。


[編集] 来歴・人物
駒澤大学4年次にサイドスローに転向し、本田技研和光に入社(『プロ野球ドラフト大化け伝説』によると本人曰くサイドスロー転向は本田技研入社後 )1年目の1988年には都市対抗に選手登録されるも出場はならなかったが、2年目の1989年には初出場。さらに、翌1990年にはチームは敗れるものの、補強選手として出場。なんと、1回戦に先発として起用される(通常は初戦には自チームの投手を起用することが多い)。同年ドラフト4位で阪神に入団。背番号は一貫して36を背負った。ちなみにドラフト1位は本田技研鈴鹿の湯舟敏郎だった。

入団後はルーキーイヤーから中継ぎ・抑えとして大車輪の活躍。球速は最高141kmながらもキレがよく、ストレートで狙って三振が取れる投手として50試合に登板する。一見物静かそうに見えるが、一度マウンドに上がると叫びながら闘志を剥き出しにして投げ続けた。2年目の1992年は球速も146kmまで上がり守護神として大活躍。前半戦だけで5勝1敗14セーブ、防御率1.10という抜群の成績を残す。しかし、肘の故障に泣き、後半戦は登板することができなかった。この絶大な安定感を誇る抑えの切り札の故障離脱が尾を引き、この年阪神は優勝を逃してしまう。

これ以降、肩・肘の故障が田村に常に付きまとう。翌1993年には22セーブを挙げるも、1995年には一軍登板なし、1996年、1997年にはショートリリーフとして2年間で90試合に登板するが、1998年には二軍登板すらできなかった。1999年には野村克也監督に遠山奬志とともに対松井秀喜用のワンポイントとして起用されるも、すでに以前の球威はなく、気迫と投球術でカヴァーする投球に終始した。2000年オフに自由契約を言い渡され、オリックスに移籍。しかし、活躍はできず、2002年の最終戦となった10月14日の日本ハムファイターズ戦で引退試合を行う。この試合で田村はプロでは最初で最後となる先発マウンドに立ち、打者1人を三振に取って降板した。

あだ名は「たむじい」。これは本人が「おっさん顔」で、歩く時はちょっと猫背気味にとぼとぼと歩き、また、静岡出身でお茶に目がなく、自前の急須をいつも持ち歩いていたというエピソードがまるでおじいさんみたいだと言われたことに由来する。マウンドでの激しい姿とは違う、普段の穏やかな田村に、ファンは親しみをこめて「たむじい」と呼んだのだった。また、自動車メーカーの出身ながらなぜか自宅から甲子園球場まで自転車通勤をしていた庶民派で、1992年の契約更改を伝えるスポーツニュースでは、当時巨人の駒田徳広が颯爽とスポーツカーで契約更改に現れた映像の直後に、自転車で契約更改に現れる田村の姿が大写しになり、彼の人柄が浮き彫りになった。

確かに、通算記録は一流と呼ばれる選手のそれとは程遠いが、「故障さえなければ佐々木主浩以上のストッパーになれただろう」と言う評論家は多く、伊藤智仁と並んで、「記録よりも記憶に残る選手」と呼ばれる。光が当たった時間は確かに短かったかもしれないが、打ち上げ花火のような一瞬の強烈な印象をファンに残して消えた偉大な選手の一人である。記録においても、1993年には当時の球団記録である10連続セーブを達成している(2008年4月23日に藤川球児が更新)。

2002年の現役引退後は大学チームのコーチ等を務めていたが、駒大時代の恩師・太田誠監督に「お前は怪我で苦労したから、体を診る仕事はどうだ」と助言を受けたのを機に2005年10月から西宮市市庭町に『田村整骨院』を開業。

現在は、5人のスタッフと共に西宮市で接骨院を営みながら、少年野球の指導にも携わっている。最近では、2008年4月22日の日刊スポーツ(大阪版)1面で、自身の持つ球団記録に並んだ藤川球児についてコメントを寄せている。また、 「その記録のことをうちに来る子供たちに自慢したら『抜かれたんでしょ』と言われました」と苦笑いしてインタビューに答える様子が2008年5月8日の産経新聞夕刊・球界今昔物語で報じられている。




[編集] 通算成績
通算登板 287試合
通算完投 0完投
通算完封勝 0完封
通算無四球試合 0試合
通算勝利 13勝
通算敗北 12敗
通算セーブ 54セーブ
通算勝率 .520
通算投球回 257回2/3
通算被安打 217本
通算被本塁打 23本
通算与四球 101個
通算与死球 18個
通算奪三振 260奪三振
通算防御率 2.90

田村整骨院HP
http://www005.upp.so-net.ne.jp/tamura36/

関連キーワード
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2007年3月2日

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カテゴリ
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