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★笹の才蔵。槍の才蔵。
名は吉長。美濃出身と言われ、宝蔵院流槍術の開祖、覚禅房胤栄に槍術を学んだ。
仕えた主君のもとを転々としているが、その主君の大半が滅亡している。
笹の才蔵
才蔵は関ヶ原の戦い(一説には小牧・長久手の戦い)に福島正則の武将として参戦している。当時の戦では、敵将を討ち取ると、その証として首級を持ち帰るのだが、才蔵の場合、17首というあまりの多さに持ちきれなくなった。そこで、自らが討ち取った証とするべく、敵将の口に青竹の笹を噛ませておいた。
論功行賞の際にこれを聞いた徳川家康は、笹の才蔵と絶賛したという。
晩年
晩年は福島家の采地だった広島で暮らし、深く信仰していた愛宕権現の縁日に死ぬと予言、そのとおりに没したといわれている。現在広島市東区東山町の才蔵寺に眠る。
才蔵の主君
斎藤龍興
柴田勝家
明智光秀
織田信孝
羽柴秀次
前田利家
福島正則