享禄2年(1529年)−天正3年5月21日(1575年6月29日)戦国時代の武将。武田信玄の家臣。源四郎、三郎兵衛尉。初め飯富姓で飯富虎昌の実弟。『源四郎の赴くところ敵なし』と言われた。『信長公記』の長篠の戦いの部分で、討ち取った首のリストの筆頭に上げられているのは、彼の名前である。それほど彼の名は敵方にも広く知れ渡っており、武田の重鎮の中の重鎮であったことがわかる。彼の戦死で、武田の滅亡は10年早まったとも言われる。
そういった武勇に優れる昌景ではあったが、実は非常に身長が低く、今で言えば130センチ程度しかなかった。
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