石を投げたい。
サジではない、ましてやイスでもない。
誰もいない海岸の浜辺から、あるいは山せまる深き峡谷の川べりから、石を投げたい。
世界の政治渦巻くきなくさい地域で行われる「投石」とはその投げるものは同じでも、その投げる心に彼我の差がある。
「投石」には憎しみがこもっている。怒りがその石に意志となって込められている。イシン伝心なんちゃって。
投げられる相手や建物にはたまったものではあるまい。
「石投げ」はその猛きこころなるものを捨て去って、忘れ去って、ただ本能のパパに、いやママに、投げたいから投げる。それだけでいいのさあ。
海辺で波も遠く水平線まで届けと、あるいは川辺で草木茂る向こう岸にまで届かんと石を投げる。
ああそこになにがあるか。
地球への愛があるだけではないのか。
ああ石を投げて残るは憎しみの増幅ではなく、シャツに残る汗のみなりか。
気分よし。
近くにコンビニあれば発泡酒を買い求め、グビグビ。食堂があればカレーうどんを注文して、ツルツル。
石投げ後のアッシの正しい過ごし方である。
参集者を求む。
どこの場所がいいか。あるいは石投げの前やあとはどこで何を食って何をするか。
世界に広げたいね、石投げの輪。
「石投げ協会コスモポリタン」ここに設立せり。
石投げで心に平和。社会にも平和を。
困ったときには