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ヘルマン・シェルヘン Scherchen

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詳細 2017年4月23日 09:10更新

幻の巨匠、ヘルマン・シェルヘン(Hermann Scherchen 1891-1966)は、ドイツ出身の指揮者であり、現代音楽の作曲家、そしてその推進者でもありました。

彼の残したベートーヴェン、マーラーの交響曲などの録音は、とてつもない爆演、奇演、珍演、迷演として今日でも知られています。

指揮者シェルヘンの演奏を熱狂的に愛する人もいれば、徹底的に嫌う人もいるのも事実。まさに毒にも薬にもなる比類なき指揮者と言えるでしょう。

このコミュニティで、そんなシェルヘンの魅力を、大いに語り合いましょう。

★詳しい経歴など★
1891年ベルリンに生まれ、ヴィオラを学びました。1907年からブリュートナー管弦楽団、ベルリン・フィル、クロール・オペラなどでヴィオラ奏者として活動する一方、生活のためナイトクラブなどでも演奏しました。

1912年にシェーンベルクに出会い、11月5日、ミュンヘンでシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を演奏し、指揮者デビューを果たします。 リガ交響楽団の指揮者としてロシアに滞在中、第一次世界大戦が勃発し、捕虜として抑留されましたが、音楽活動は継続、弦楽四重奏曲などの作曲を行ないました。

1918年にベルリンに戻り、以後、ドイツを中心としたヨーロッパ各地のオーケストラで指揮活動を行いました。ヒンデミットやクルシェネク、オネゲルなど現代音楽の初演も数多く手がけ、一方で、音楽教育や、労働者合唱団の指導にも力を注ぎ、さらに新音楽擁護のための雑誌を発刊するなど、精力的に活動しました。

シェルヘン自身はユダヤ系ではなかったのですが、1933年にナチス政権が成立すると、これに反対してスイスに移住、第二次世界大戦が始まるまでは、ドイツを除く欧州諸国のほか、パレスチナや中国にまで足を伸ばしました。1936年には、本番直前に指揮をキャンセルしたウェーベルンの代役として、ベルクのヴァイオリン協奏曲をルイス・クラスナーとともにバルセロナで初演しています。しかし、開戦後はほぼスイス国内のみに活動範囲が制約されました。

戦争終結後は南米やトルコへ演奏旅行を行うなど活発な活動を再開、また、新しいレコード会社ウェストミンスターに参加、1950年以降ウィーンで数多くのレコーディングを行いました。現代音楽のための活動も一貫して続け、ノーノやクセナキス、シュトックハウゼンなどの作品を初演したほか、1950年に出版社「Ars Viva」を設立、1954年にはグラヴェザーノに電子音楽スタジオを開設しています。1964年に初めてアメリカを訪れ、フィラデルフィア管弦楽団を指揮して大成功をおさめました。

1966年6月7日、フィレンツェの歌劇場でマリピエロの「オルフェオ」を上演中に倒れ、5日後に市内のホテルで亡くなりました。

シェルヘンはいち早く前衛的な現代作品の価値を認め、晩年にいたるまでその演奏に力を尽くしました。シェルヘンが行った多くの初演は、時に聴衆に大きなショックを与え、音楽界におけるスキャンダルになることも。しかし、彼は不屈の闘志を持って難解な作品の紹介を続け、20世紀の音楽史に大きな足跡を残しました。彼の努力により、世に認められるようになった作曲家も少なくありません。

教育者としての業績も大きく、彼の弟子やアシスタントをつとめた指揮者として、カレル・アンチェル、イーゴリ・マルケヴィッチ、ブルーノ・マデルナ、エルネスト・ブール、フランシス・トラヴィスらを挙げることができます。

シェルヘンのレパートリーは極めて幅広く、バロック、古典派以前から、当時最先端の現代音楽までをその範囲としていましたが、J.S.バッハ(とりわけ「フーガの技法」)、ベートーヴェン、マーラー、さらにシェーンベルクなどの新ウィーン楽派の作品を特に愛好していました。

演奏スタイルは基本的には知的で明晰なものを指向していましたが、一方(特に古典作品で)伝統に反旗を翻すような、奇抜な解釈による演奏を行うこともあり、さらに実演では表現主義的な激しさを見せることもま多かったようです。

著書に「指揮法ハンドブック」、「音楽の本質」などが残されています。

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開設日
2006年6月13日

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カテゴリ
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