Cool resistance for capitalism!!
資本制経済という過激な競争、乱売、マネーゲーム機構を守るために、われわれは莫大な税金を毎年国家からむしりとられ、腐った官僚機構と世界中に根を張る企業集合体、強力な警察権力、自衛という名目のカモフラージュによる違法な軍隊をでっかく育て上げ、世界に誇示するにいたった。
普通の、おしゃれな、すばらしいわれわれの愛すべき「生活」のために、莫大な無駄、浪費が毎日毎日生産され、第三国では多くの人々がとてつもない低賃金、悪条件で搾取される。100円ショップに並ぶ品々を見ればいい。そういった品々によって保証された「かけがえのない生活」の維持のために、イラクで、中東で、南米で、罪のない人間がテロリストと名づけられ、正義というの名の爆弾と銃弾によって殺される。今こそわれわれはブレヒトの「貧乏人が作り出した爆弾で他の国の貧乏人が殺される」という言葉を強く胸に刻みつけるべきだ。非人間的な殺人マシンと呼ばれるテロリストの多くがヒューマニストであり、人間的である。それに対して、ヒューマニズムによってテロを批判し、その国家暴力的な手段による根絶を実行、支持している愛国主義者の実態はファシストであり、テロリストである。テロの悪循環の原因はあきらかに帝国主義的資本主義国家による植民地的民主主義の強制と、18世紀から以前変わらない搾取構造の再生産過程にある。もはやイラクという戦場から毎日リビングのTVへと届けられる残酷な映像は、われわれが資本制にケツの穴まで浸りきり、「日常という名のぜいたく」、つまり、「安心という名の退屈」にどっぷりと浸ることを再確認するためにふりかける、安っぽいスパイスでしかない。
われわれは自分自身という奴隷を育て上げる資本制養豚場の中間管理職だと思い込まされたマヌケな豚であり、また、イラクにおける殺人者の手助けをするアメリカの飼い犬であり、奴隷であり、この国における投票権という一億2千万分の一のどうでもいい微弱な権利を保証された地図に写りもしないカスである。われわれの人権は国家と企業に搾取される限りで保証されるにすぎない。われわれに与えられた自由は消費する組み合わせの自由であり、たとえ生産者であっても、マネーゲームの中での創造の自由しか与えられない。もちろん、これを書いている僕自身もその中から一歩として抜け出してはいない。
パーフェクトなこの檻の中で、僕たちはどう生き残ればいいのか?いかにして人は非暴力的なアナーキストになれるのだろう?
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