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タイ東北弁 イサーン語研究会コミュの地方で学ぶ標準語

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現在僕は中国で中国語を学んでいるのだが、次の学期どこで普通語を学ぼうか迷っている。 色々調べて見たのだが、西安という街が良さそうだということがわかった。 西安というのは唐の国があった事で知られる古都だ。

今僕が居る昆明という街は、決して普通話を学ぶのに適した街ではない。 普通話があまり通じないからだ。 みんな普段は昆明話と呼ばれる独特な言葉を話しているし、無数の少数民族が住んでいてそれぞれ違った言語を話してもいる。話す普通語もそれぞれ出身の民族によってまったくちがう訛りがある。 僕は方言が好きなので、こういう言語的に複雑な環境が嫌いではない。 ただし、こういう環境に適応する為には方言を学ぶ必要がある。 今回僕は普通話を学ぶというはっきりした目的を持って中国に来たので、ここで方言を学ぶというのは本末転倒である。方言を学ぶということはとても時間がかかる上、方言というものは一般的に言ってごく一部でしか通じないのである。 この点タイと大きく事情が異なる。 僕はタイで方言を研究していたが、タイは方言の方が重要と言う点でとても特殊な国だ。 タイでは、実は標準語を話す人よりも方言を話す人の方がはるかに多数派で、方言の方が標準語よりもずっと通じ易い。 標準タイ語とは実はタイ語バンコク方言のことだ。 この言葉をネイティブで話す人は実は非常に少ない。 タイ語を学んでもせいぜいバンコク人と話せるようになるだけである。 しかしタイ語とラオ語を学ぶと、タイ周辺地域に住むラオ語・タイ語の亜型言語を話す人のほとんどコミュニケーションを取ることが出来る。 タイでは方言の威力を無視できない。 ところが、中国は状況がまったく異なる。 中国は巨大で、無数の少数民族が住んでいる。 同じ方言でも地方によって表現や発音に大きな違いがあり、意思疎通に大きな障害を伴う。 方言が話せるようになっても、まさにごく一部の地方に住む人としか意思疎通が出来ない。 これはとても不便なことだ。 中国では標準語が持つ重要性が格段に高い。

方言の中で標準語を学ぶということは、大きく精神力を消耗する作業でもある。 僕は中国語を学ぶに当たってもうこの様な消耗は絶対に避けたいと考えている。 僕はウドンタニーでタイ語を勉強していたので、地方で標準語を学ぶ苦労を嫌というほど知っている。 地方では、自分が話す標準語が通じないからといって、標準語を学ぶ努力を重ねると、余計に通じなくなるのだ。 これは外人に取って非常に混乱することだが、現地の人は決してこの混乱を理解しない。 正しく発音しても通じないし、発音を直してくれてもその発音がそもそも正しくないので、結局通じない。 何を言っても「外人は発音が悪いから何を言っているかわからない」と言われる。 それを毎日の様に言われる。 たまに都心に行くと魔法をかけたように標準語が通じる。 標準語の上達したことのはっきりした手応えを実感する。 長い間の苦労の末の上達を喜ぶ。 ところが地方に戻ると何を言っても通じない事、相変わらずだ。 標準語で話すと圧倒的に理解が遅い。 つまり、標準語が通じていないのである。 なのに、みんな標準語を話したがるし、外人に標準語を話させたがる。 しかし標準語だと意思疎通に大変な障害を伴う。 発音の悪さを指摘しても絶対に認めない。 標準語の学習は遅々として進まない。 僕はもう、そういう遠回りをしたくない。

だからこそ、僕はラオイサーン語を学び始めた。 ラオイサーン語を学ぶことは極めて難しい。 外人がラオ語を話すと正しいラオ語でなく間違ったタイ語に修正しようとする。 これがラオ語の学習を非常に困難にする。 ラオイサーン語を学び始めて5年たちようやっと少しだけ話せる様になった程度であるが、ラオイサーン語を話すと「いやぁ君はタイ語が上手だなぁ」と言われる。 僕が話しているのはタイ語ではないというのにタイ語が上達したと言うのだ。 標準語が話せないということを決して認めないばかりか、自分は標準語を話しているつもりでいるのだ。 そういう矛盾を柔らかく受け入れるデリカシーが求められる。

僕は昆明に来て、僕がウドンタニーで体験したこの悪夢が、再度始まっている事を感じている。 ここで、昆明語を勉強するというのもとても興味深い事なのだが、僕はここでは敢えて、もう少し普通話をネイティブとして話す人たちが住む地域に行って勉強したいと考えている。 少なくとも、zhi chi shi をネイティブの言語として発音する地域に行きたい。 昆明・広州・四川で話す言語は、zhi:ジ chi:チ shi:シ の発音を持っていないようだ。 これらが それぞれ zi:ズ ci:ツ si:ス に変化する。 そして ci は 多くの場合 si に変化する。 だが、人によって異なるらしい。 見ていると「是不是」を シープーシーと読む人、シェープーシェーと読む人、スープースーと読む人、千差万別である。 これが、そもそも発音を持っていないから変化してしまっているのか、それともそういう言い方が方言なのか、頑張って普通話を話そうとして間違ってしまっているのか、さっぱり判別がつかない。 それがウドンタニーの様に、人の往来が少なくその地域にいる人に一定の傾向が存在するなら、発音変化が起こる理由をはっきりと判別することが可能なのだが、雲南省は省だけでタイと同じくらいの大きさがある上、僕がすんでいる昆明は人の往来がものすごく激しいので、区別のつけようがない。

僕は日本人がラオイサーン語を話したら、おもしろい事だと思っていた。 だけど、時としてあまりよいことではないことがわかってきた。 僕はタイ人からよくタイ人であると間違えられるのだが、何故か、セレブ日本人好きで日本人ぶっているタイ人と間違えられているらしいのだ。 ウソ付きと思われているのである。 確かにそういうタイプのタイ人はいる。 僕は日本人で日本には32年住んだし16年働いた。 この僕をどう捉えようが勝手であるが、僕は少なくともウソはいっていない。 だが僕は絶対に外人が知らないような事を知っていて、絶対に外人が言わない様な事を言うということで、これが褒められるどころか、逆に怪しまれる。 ウソツキの多いタイにあって、僕もウソツキと思われる。 生兵法は怪我の元というが、語学も中途半端に極めるとこういう危なさがある。

日本人の僕が昆明語を話したらどうなるか。 僕は今、中国語が話せない事がはっきりと明らかになっているにも関わらず、しょっちゅう中国人と間違えられる。 中国の超多民族環境の中では、日本人の顔が巨大な中国のどこかの民族であってもまったくおかしくないのだ。 そんな僕が昆明語を話したら、どうなるか。 昆明人と同じように田舎者として蔑まれて多くの人から相手にされなくなるだけである。 これはおもしろいどころか、非常に危険なことだ。 (ところで、これを昆明に住んでいる日本人が読んだら「そんなことないよ」とか言いそうだ。 それは勉強の仕方が足りないだけである。 ここで想定しているレベルは彼らの想定するレベルとまったく違う。 自分が無意識のうちに昆明の発音を拾ってしまっているのに気がついていない日本人もいる。こういう人は、他の地域に行くと初めて自分が訛っていることに気がつくのであるが、やはり同様に極め方が甘いので自分が訛っている事に気がついていない。 いずれにしても大学周辺の外人街に住んでいるだけでは本当のことはわからない。本当に語学を極めようとするなら外人街から出なければいけない。)

昆明にいて、ある日僕がヘタクソな中国語で話しかけたら、狐につままれた様な顔で僕をジッと見る人がいた。 昆明人で通じていないのかも...と一瞬不安がよぎったが、突如ものすごい流暢な中国語で話し始めた。 僕が言っている事は全部通じていて、しかも間違っているところも全部修正されていた。 多分北部の人だ。 普通語がネイティブなのだ。 どんなにボロボロに間違っていても相手がネイティブだと通じてしまう。 しかもきちんと修正されている。 歯車がガッチリと噛み合って言葉が通じているのを感じる。 これがネイティブの威力である。 昆明の人だとこの現象が起こらない。 「この人、何いってんの?」で終了である。 ウドンタニーでタイ語を話しているのと同じである。 四国で東京弁を話しているのと同じである。 通じている様で通じていない。 僕は、外人と日本語で喋る時、外人の日本語がいかにボロボロに訛っていても、たちどころに何を言おうとしているのか理解出来る。 ネイティブだからだ。 これと同じである。 この感覚が無いと言葉を学習することは難しい。

僕は小学生の頃少林拳が大好きだった。リーリンチェイが大好きで、本当に中国に行って少林拳を習いたいとすら思っていた。 実際に日本の少林寺拳法を習っていたこともある。 これはよく考えたら、漢民族の誇る一大文化だ。 漢民族というのもひとつのマイノリティーだ。 真っ赤な部屋に真っ赤な提灯真っ赤なテーブル、人民服、太極拳、マオタイ、バクチク、チャイナシンバル、というあのコテコテのリアル中国人に会いたいのである。

西安は、古都でもあり非常に大きい街で、北部・東北部の人も集まるそうだ。 中国の各地から人が集まるからこそ、みんなきちんと普通話を話すという。

コメント(35)

いまノンカイにいるのですが、「ありがとう」、「こんにちは」はシャム語では「khoop khun khrap」、「Sawatdii khrap」、ラオス語では、「khoop cai」「Sabaaidii」だけどイサーン語ではどう言うのですか?と現地にいる人にきくと、「ラオ語と同じだ」と言う人もいれば「シャム語と同じだ」と言う人もいますが、実際はどうなのでしょうか?

もともとはイサーン語ではラオス語と同じだったなのでしょうか?
丁寧な解説ありがとうございます!

タイ語の 「カップ」にあたる ラオス語、イサーン語の 「チャオ」は 「あなた」 または 「はい」 「いいえ」の 「はい」 の 「チャオ」と 発音が同じでしょうか? チェンマイ語の「Sawatdii caw」の「caw」とも同じでしょうか?

日本語の「です、ます」のように丁寧な言い方にする場合,語尾につける言葉は, タイ語では「khrap」,「kha」で,ラオス語、(昔ながらの)イサーン語、チェンマイ語の3つは すべて「チャオ」なのでしょうか?
ノンカイの鉄道駅の売店のおばさんに 「コプチャイ」と言ったら、 「コプチャイはラオスの言い方です。タイではコップンカップと言いなさい。」言われました。ぼくが、「イサーンだからコプチャイでもいいでしょ」と言うと、そのおばさんは不機嫌そうな顔して「ダメだ」といいました。

そのおばさんが現地人ではなくバンコクのあたりの出身で、ラオス人やイサーン人を軽蔑してる人だからそう言うのでしょうか?

それともそのおばさんはイサーン人だけど、自分の母語イサーン語に誇りをもっていなくて恥ずべき方言だと思っているからそう言うのでしょうか?
それとは別にサコンナコン出身のイサーン人と話していたら、 「イサーン語よりもタイ語やったほうがいいよ」と言いました。

また別のイサーン人はぼくが「イサーン語教えて」といっても タイ語ばかりを教えようとしてきます。

そういう人は、自分たちの言葉に誇りを持っていないのでしょうか?
それとも誇りはもっているけど外人が自分達の領域に入って来るのは望まないからでしょうか?
それとも本当は外人がイサーン語を学んでるのはすごく嬉しいんだけど テレ隠しでそうやっているのでしょうか?
なるほど、やっぱりチェンマイ語もどちらかというとラオスの言葉に にてるのですね。

しかしそうなると1つ疑問が出てくるのですが。
出典がウィキペディアなので本当かはしりませんが- - - -。
ウィキペディアの「北タイ語」に

- - - - - 女性の喋る北タイ語はいわゆる「チェンマイ美人」と結びついてバンコクでは非常に上品な言葉とされる。 - - - - - -

と書いてあるのですが、チェンマイ語とイサーン語は似た言葉なのに、バンコク人はイサーン語に対しては「田舎者の言葉だexclamation ×2」と軽蔑をし、チェンマイ語に対しては「チェンマイ美人の言葉だあハート達(複数ハート)」と もてはやすのでしょうか?

>イサーンには色々な本音と建前が共存していますが、そういう複雑な事情を理解出来るほどの高い状況認識力がある外人が、ほとんど存在しないからです。

うわぁー、ぼくは実はアスペルガーで、そういうのが最も苦手なタイプの人間なんですよ(笑)。

ぼくみたいな人間にとっては、ラオ語を話すのはラオス国内だけにして、イサーンでは全部タイ語にする、というのが一番安全なんでしょうかねー?

それでも ぼくは あえて空気を読まずにラオ語を話してみて 相手の反応を見てみるつもりですけど。

イサーン人やバンコク人にラオ語で話しかけてみて、イサーン人がどれぐらいイサーン語に誇りをもっているのか、そしてバンコク人がどれぐらいイサーン語を差別してるのかみてみます.
>正にその通りです。 バンコクの人は、北部タイ語(カムムアンやチェンライ語)と北部ラオ語・イサーン語が似ている言葉だなんて、夢にも思っていないと思います。

おもしろいですね!
ところで 中国語ついてですが、四川、貴州、雲南などの西南官話の大部分はzhi:ジ chi:チ shi:シ の発音がなく zi:ズ ci:ツ si:ス に変化しますが、たぶん一部の地区では 北京方言と同じくzhi:ジ chi:チ shi:シ の発音と zi:ズ ci:ツ si:ス の発音を区別します。
ぼくが昆明に行った時の記憶ではたしか昆明とその周辺の方言はzhi:ジ chi:チ shi:シ の発音と zi:ズ ci:ツ si:ス の発音の区別があったと思いますが - - - -。
ぼくは おかあつしさんよりも もっと昆明滞在の経験が短いので ぼくも自信があるわけじゃありません。 今度昆明に行ったらもっとよくきいてみようと思います。
>>[2]
>>メナム河よりもラオ側では、間違いなく全てサバイディーチャオです。 それが標準ラオス語で学校できちんとそう習うからです。
>>語尾をチャオにするか、カップにするかも難しい選択があります。 ラオス側は100% チャオ又はドーイです。 タイ側(イサーン)では カップです。 相手がおじいちゃん・おばあちゃんの時は、チャオでもいいと思います。

>>[6]
>日本語の「です、ます」のように丁寧な言い方にする場合,語尾につける言葉は, タイ語では「khrap」,「kha」で,ラオス語、(昔ながらの)イサーン語、チェンマイ語の3つは すべて「チャオ」なのでしょうか?

>>その通りです。 つまりチェンマイ語はタイ語の方言ではなく、ラオ語の一種なのです。



ラオスのラオ語では、「はい」と返事するときに「チャウ」や「ドーイ」を使いますが、タイ語の「カップ」「カ」のような語尾に付けて敬語化する使い方はしませんよ? 
というかラオスのラオ語にタイ語の「カップ」のような敬語法は無いですよ。

ラオスのラオ語で「こんにちは」は「サバイディー」であって、「サバイディーチャオ」などとは言いません。

イサーンでも「カップ」は有っても「チャオ」を語尾につけるのは聞いたこと無いですね。

いったいラオ語の語尾に「チャオ」や「ドーイ」をつけるというのはどこのラオ語なんでしょうかね??


>>[21]

これはイサーンのですね?

[2]で

>>メナム河よりもラオ側では、間違いなく全てサバイディーチャオです。 それが標準ラオス語で学校できちんとそう習うからです。

と書いてますけど、本当にラオスでも「サバイディーチャオ」と言うのですか?
「サバイディーアーイ」「サバイディーノーン」は聞きますが、「サバイディーチャオ」は聞きませんね。
>>[22]
>> ビデオ見て研究してみないとわからない。

なぜ現地(ラオス)に行って調べるという選択肢が無いのだろうか?
もしかしてラオスに入国禁止になっているんですか?

>>ドーイの使い方は、王様が出てくる劇を見るのがいい。 ナンポムホームに王様が出てくるが、他にもシヤンミヤンにもよく王様が出てくる。 こういう劇に、古い正しい敬語の使い方がよく出てくるので、解りやすい。


ラオスに行ってラオス人と交流すれば新しくていい加減な(?)現代の敬語の使い方が分かりますよ。

>>[23]
> 語尾につく「ラオ」とか。 語尾につくラオは、ラオ語だと、一人称複数形の代名詞で丁寧語だけど、タイ語だとただの語気助詞としてよく使われる。


「ラオ」とは「เรา」のことですか? ラオ語では「เฮา」ではないですか?


>>[29]

こちらもお礼を言うべきですね。
あのあとラオス人にさらに「サバイディーチャウという言い方は有るか?」と聞いてみました。
ほとんどの人は「そんな言い方は無い。」と言いますが、1人だけ「その言い方は有る。丁寧な言い方だ。」と言いました。
もしかしたら「サバイディーチャウ」は古語風の言い方なのかも知れません。
ラオスで「サバイディーチャウ」という言い方はほとんど無いですが、「全く無い」とは言い切れないかも知れません。
おかげで気づきました。ありがとうございます。
>>[28]
>この辺は、もう既出だから説明しない。 文章にも沢山書いたし、自分で調べてみて。

じゃあもういいです。「おかあつ日記」を全部見て探すのも面倒ですし。
>>[27]は現代のラオスのラオ語にLとRの区別が無いことも知らないようですし。

あかあつさんはべつに共産主義国家を嫌ってるわけではないようですし、入国禁止にもなっていない。
もしかして、誰かから「ラオスに行かないでラオス語が分かるか!」と批判されて、だから「ラオスに行かなくてもイサーンにいればラオスのラオ語も分かるさ!」と意地を張ってわざとラオスに行かないのですか?

もちろんビデオも良いですけど、それだけではなく、やはりラオスに行ったほうが、イサーンのラオ語とラオスのラオ語の違いと共通点が、より分かるようになりますよ。
>>[33]
>>ちなみにビエンチャンの近郊に引っ越して3ヶ月たったんだよ。


>>言ってなかったっけ?


そうですか、失礼しました。

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