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スピリチュアリティーの学際研究コミュのホリスティック医学におけるスピリチュアルヘルス

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2004年度馬渕賞受賞論文です。ようやく出版されます。
今読むと恥ずかしいくらい気負ってるけど、ま、エッセンスははじめからつかんでいたかなという感じです。

要旨:

 ホリスティック医学におけるひとつの目標は、伝統的医療と代替補完医療との、真の統合である。この論文では、スピリチュアルヘルスという概念をめぐってその両者の対話を試みた。
? まず、スピリチュアルヘルスがEBM(根拠にもとづいた医学・客観性)とNBM(語りにもとづいた医学・ケース性)の双方に基づいたものであるということを、ヴィジョンロジックと呼ばれる視点から概観し、伝統的医学の立場と補完代替医療の立場の両方向から納得できる説明を試みた。
? また、トランスパーソナル心理学の立場から、ウィルバーの「意識の4象限モデル」を使い、全象限的、かつすべての段階を考慮に入れたアプローチから、スピリチュアリティーについて考察した。
? その上で、スピリチュアルヘルスの概念が、ホリスティック医学の発展に寄与する可能性について示した。
つまり、スピリチュアリティーは、体と心のあらゆる機能に関係しており、心身をつなぐ機能も持つが、それらを含んで超える、高次のものである。スピリチュアリティーは、心も体も超越したものでありながら、同時に日常生活の体や心に内在している。スピリチュアルヘルスを求めることは、QOLを高めることであり、いのちの意味を問いかけることでもある。さらに、健康生成論(サルートジェネシス)における中心的概念である、人生の意味感に貢献するものである。スピリチュアルヘルスは、主観と客観、伝統的医療と代替補完医療、西洋と東洋、心と体などを統合していく全人的医療のキーワードであり、自然治癒力に関与しているものであると考える。


キーワード:代替補完医療・スピリチュアリティー・EBM・NBM・トランスパーソナル心理学・ホラーキー・4象限モデル・ウィルバー・健康概念・統合

?:序文

1−1.科学的批判的な態度を恐れてはいないか?

ホリスティック医学に賛同する人たちの意識の中には、伝統的医学も補完代替医療も互いに排他的にならず、生かしながら統合していこうというものが見られる。しかしながら現状では、包括的になることを強調する過程で、互いに突き詰めて議論し、違いを明らかにするというより、受容的に窓口を広げ、時に何でも受け入れようとしている傾向が観察されることがある。その理由のひとつとして、伝統的医学、科学主義によって切り捨ててきたものに対する反省の精神が見られる。が、科学的、客観的、したがって時には批判的であることは、真の対話を促すための合理的態度として重要なものである。補完代替医療の中には、現代科学において未検証なものも含まれているのは事実である。科学的に未検証であるという理由でそれを退けてしまうのは、確かにホリスティックな態度ではない。かといって受容的にさまざまなものを受け入れていく態度も、極端な方向に流れると、ホリスティック医学の立場そのものさえ危うくしていく危険をはらんでいると考える。

1−2.科学的合理的精神を極めたところに現れてくるものとしてのスピリチュアリティー

医療の中でスピリチュアリティーというと、スピリチュアルケアーといった概念でQOLとの絡みで扱われることが多い。それ以外では確かに、スピリチュアリティーという概念は、科学から排除されてきた歴史がある。したがって、スピリチュアリティーに関する議論というと、補完代替医療のような、現代西洋医学の枠組みでとらえきれない、つまり、非科学的な印象を伴ったカテゴリーを連想されることも多いのは事実である。したがって、スピリチュアリティーに関しては、EBM(根拠に基づいた医療)の考え方は無効であり、そのような議論はなしえないと考える立場もある。しかし、この小論では、スピリチュアリティーは、科学的思考、合理的思考を否定せずに、むしろEBMの考え方を支持するものであるという立場から論を進めていく。実際、伝統的科学の中で、スピリチュアルという言葉そのものは使われていないが、その概念の記述をみることがある。
たとえば、フランクルの実存神経症における「ノエティック」の概念は、反応的に起こる精神作用とはちがった、意識的な、選び取るという積極的な意識の精神作用であるとされている。フランクルは、これは実際はスピリチュアルなものであるが、宗教性や神秘性を排除するためにあえてスピリチュアルという言葉を使用しなかったと述べている。(1)
また、スピリチュアルな概念を健康憲章にいれるべきかどうかについてWHOでも、1998年以来議論が続けられている。現在では、エコロジカルなあるいは倫理的なといったよりわかりやすい言葉で置き換えながら説明を試みようとする流れもある(2)が、意味していることはスピリチュアリティーだと考えられる。

1−3.スピリチュアリティーに対する両陣営からの抵抗

わが国においては、WHOのスピリチュアリティーの定義をめぐって、「そもそも言葉で表すことができないものを無理に表そうとしている」という意見まであり、必ずしもコンセンサスが得られていない状態である。(3)
このように、スピリチュアリティーという言葉は、科学的に記述しようとすると、「そのようなもので表しきれる概念ではない」という、主に、宗教や哲学者側からの反発がある。また同時に、伝統的医療においては、その重要性に気がつきながらも、禁欲的に受け入れないことが科学的であるという態度も見られる。科学的なスピリチュアリティー概念に関してはこのように二重の抵抗が見られ、学問的対話の桧舞台にはこれまで上ってこなかった。
スピリチュアリティーを科学的に議論するうえで、実際にはこのような様々な困難が予想される。それを解決していくために、スピリチュアリティーのここでの定義を明確にさせた上で進める必要がある。ホリスティック医学の文脈で討論する場合には、次の3点をおさえておかなければならないと考える。

1−4.宗教から切り離すこと

第1に、スピリチュアリティーという言葉の中には、どうしても非科学的な、宗教的なあるいは主観的なというニュアンスがつきまとうことのへ認識である。宗教的信念において癒しの効果などが存在するのは事実であるが、(4)筆者は、医学モデルとして扱う場合には、厳密に宗教と切り離して考える必要があると考える。客観性と普遍性を保つために、また不必要な偏見や脅威を除いて議論するためにも必要だからである。スピリチュアルという言葉には、人類に普遍的な自然なスピリチュアリティーと、宗教的な文脈におけるスピリチュアリティーが含まれるのであるが、科学的に議論する場合には、あえて、宗教から切り離した狭義の定義を使用したうえで進める必要があると判断している。

1−5.医療倫理とスピリチュアリティー

第2に、患者中心主義などのさまざまな医療倫理の議論と混同され、スピリチュアリティー本来の意味が、必ずしも伝わっていないこともあげられよう。インフォームドコンセントや安楽死などの医療倫理の基本理念の中には、スピリチュアルないのちのとらえ方が存在している。しかし、倫理イコールスピリチュアリティーではない。スピリチュアルなとらえ方の結果として現れてくる態度が倫理的なアプローチであろう。ただ、医療倫理観も、時に表面的な態度、行動変容に焦点が当てられると、権威主義的価値観の押し付けとみなされる場合がでてくる可能性もある。スピリチュアリティーを問うことを通して、より本質的な議論が期待される。

1−6.心理療法とスピリチュアリティー

第3に、広義の心理療法の中にスピリチュアリティーが組み込まれ、精神的なもの、イコールスピリチュアルであるというようなとらえられ方が存在することもあげられる。さまざまな心理療法は、人間の心理過程に関して、単純な感覚的なレベルから複雑な思考や存在意義といったレベルまで、障害が現れるそれぞれの段階に対応したアプローチが分類できる。条件反射的、感覚的なレベルに働きかける行動療法から、認知や信念などにアプローチする認知療法、論理療法、また、実存的問いかけに対するロゴセラピーなど、近年では、症状というより、その原因となっている障害のレベルに基づいてクライアントにアプローチするようになってきている。
最近のサイコセラピーの中には、スピリチュアルなレベルにアプローチする療法も存在している。たとえば、フォーカシングにおけるフェルトセンス、プロセス指向心理学におけるドリームボディーなどは、心と体を深いところでつないでいるもの(つまり、スピリチュアルなもの)に気づくための手法である。
超越かつ内在という性質を持つスピリチュアリティーの特質は、すべての心理療法的アプローチに見られるのは確かであるが、ここでは整理するために、狭義のスピリチュアリティーという定義を使用することが賢明であろう。つまり、スピリチュアルな段階にフォーカスしたセラピーのみに、スピリチュアルという表現を使うということである。
患者自身が無意識的にでも治りたくないと思っている場合には、適切な治療法で症状が消失しても、また違ったかたちで訴えや症状が現れる場合が多い。このようなケースには、認知行動レベルのみならず、深層心理的に働きかける治療が必要となる。精神分析学理論を基にした深層心理学のアプローチとスピリチュアルなアプローチの違いは、スピリチュアルなものは、生産的で未来志向であるということである。詳細はこの論文の目的を超えるため、これ以上は触れないこととする。

1−7.物質科学と経験科学

科学的にスピリチュアリティーを記述するといっても、科学には、純粋に物質の秩序のみを取り扱う唯物主義的な外的科学と、経験を重んじる内的科学がある。現代においては、その両方の科学において、スピリチュアリティーは説明されようとしている。前者は量子力学の非局在性の理論などにおいて、(5)後者はトランスパーソナル心理学などにおいて、スピリチュアルなものの、その存在を記述する試みがなされてきた。また、祈りの効果について、二重盲検法など厳密な科学的スタイルで報告している論文の蓄積を読めば明らかなように、医学におけるスピリチュアリティーに対して、科学的根拠は年々蓄積されている。(6)補完代替療法の中には、わが国で認可が下りていないだけで欧米では科学的に根拠のあるとされている治療法、健康法として根付いているものから、霊感商法のような、提供者の経済的効果だけを狙った危ういものまで、様様なものが存在している。これらを合理的な精神で整理していくことによって、スピリチュアリティー本来の意味が明快になってくるであろう。また、選択していくことによって、伝統的医学に納得のいくスピリチュアリティーの説明と根拠を示していく事も可能になっていくと考える。
そのためのツールとして、Wilberの4象限モデルを使い、スピリチュアルヘルスの概念を、伝統的医学と代替補完医療の双方向から考察することが、ホリスティックな考え方で双方を真に統合していくことに寄与すると筆者は考える。

?:方法

この小論では、上記に掲げたような問題意識から、スピリチュアルヘルスに対する議論を検討する。
まずトランスパーソナル心理学の基礎理論から、スピリチュアリティーについて説明する。その理論的枠組みとして、ホーリズムの思想をトランスパーソナル心理学の中で発展させてきたWilberの「意識の4象限モデル」を使用する。
そのモデルにおいて、全象限的、それぞれの立場からのアプローチを、ヴィジョンロジックと言われる視点から概観する。
これらの議論を通し、ホリスティック医学における、スピリチュアルヘルスを導入したモデルを提案する。

?:結果

3−1.トランスパーソナル心理学におけるスピリチュアリティー

トランスパーソナル心理学は、伝統的な心理学理論を含みながら超えていく構造を持ち、対象として、時間、空間、個人を超える意識の場までの広がりまで含んでいる。それがトランスパーソナルあるいはスピリチュアルと呼ばれている概念である。Maslowは、自己実現の概念の中で、至高体験といった悟りに似た意識状態を、人格成長モデルの頂点に上げており(7)、これは、Franklの自己超越の概念につながる。
また、サイコシンセシスを提唱したAssagioliは、自我を、意識の中心的機能を果たすパーソナルセルフと、自我の枠、時間空間を超え、かつすべてを包括しているトランスパーソナルセルフとに分けている。このトランスパーソナルセルフの元に統合されていくときに、人格の成長、真の自己実現が可能となるとしている。(8)その統合に際して重要な役割を果たすのが、意志のはたらきであると述べている。サイコシンセシスでいう意志のはたらとは、欲求や衝動に対して抵抗し克服としていくといった対立概念ではない。むしろ、それらを方向づけ、心と体のエネルギーが最高度に発揮される状態を目指して行動や態度を自ら選び取っていく能力とされている。(9)
FranklもAssagioliも、このように、スピリチュアルなものを、合理的思考である「意志」といった意識的、積極的な精神作用を通じて到達できる段階であると説明しているのは興味深い。ここでのスピリチュアリティーは、受身的で自動的に起こる感性、感覚的なものは強調されていないのである。むしろ自己選択、自己決定、行動という自己責任が強調されているととらえられるものである。

3−2.Wilberの4象限意識モデル

トランスパーソナル心理学において現代を代表する意識のモデルに、Wilberによって提唱された意識の4象限モデルがある。
彼は、古今東西の存在論や心理学などの意識モデルを検証し、永遠の哲学、神秘主義と、近代科学主義の統合を目指した4象限モデルを提唱した。(10)その中で、神秘主義、科学主義それぞれの有用性と限界について述べている。すなわち神秘主義においては、人間の意識の深いところにあるスピリチュアルなレベルを追求しているという成果を評価できるが、人間が物質的な存在であるという基礎概念を軽視した結果、観念論的な説明から抜け出ることがなかった。それですべてを説明していこうとするところに無理が生じ、したがって近代科学主義によって捨て去られる運命にあった。つまり、科学的還元主義において、目に見えないもの、実証できないものは存在しないという、極端な発想によって切り捨てられてきたのだ。(11)このような流れの中に伝統的な医学の犯した過ちも指摘できよう。すなわち、人間を物質の集まりのようにみなして診断治療していくという立場である。このような立場のみに立つことによって、神秘主義的哲学で唱えられている価値観や倫理観といったものが、科学的に語りえないという理由によって排斥されていったのである。
そこで、科学主義、還元主義に対する反省の中で、人間を包括的にとらえようとするホリスティック医学の提唱が起こった。これは、ウィルバーモデルで説明すると、右象限(科学的、客観的)と左象限(内面、意識、文化など)の統合の視点である。このような統合の試みに、陥りやすいわながある。ひとつは微細な還元主義、二つ目はそれに関連するカテゴリーエラー、三つ目は、前・超の虚偽と呼ばれるスピリチュアリティーに関する誤解である。

3−3.還元主義とカテゴリーエラー

微細な還元主義は、誰もが陥りやすいわなであるとされている。(11)すなわち、人の精神状態や内面をすべて脳神経系や遺伝子など物質レベルでのはたらきで説明しきれるとする。すると、愛他精神も喜びも、みなセロトニンやドーパミンの作用、あるいは塩基配列となり、そこには価値や意義は存在せず、すべてが平面状に並べられるだけである。Wilberは、それを価値や意味の存在しない「フラットランド」と呼ぶ。(12)そこには倫理観も生命に対する畏敬の念も無い。生きる意味といった内面の問題を、このように脳神経系、あるいは行動学の言葉で語ろうとすること、つまり左象限で扱うべき事柄を右象限の言葉で説明しようとすることは「カテゴリーエラー」と呼ばれる。(12)つまり、扱うべき分野にふさわしい言葉で説明されずに、違った象限の言葉で語られているというエラーが起こっていると説明されている。しかしこのことは、脳神経学的な研究によって精神作用を記述しようとする試みを妨げるものではない。
言葉の使い方の問題であるとされているのは、つまり、内面や価値の問題を扱う左上象限では主語は「わたし」であり、ナラティブな表現が重要であるのに対し、右上象限で使う言葉は主語が「それ」という、客観的な事実を述べる言葉でなされるべきである。それを混同してしまったところに間違いが生じる、とWilberは述べている。(11)精神的でスピリチュアルな人間は、同時に呼吸し、食べたり排泄したりする物質的存在でもある。左象限も右象限もともに、人間が生きていくうえで欠かせない認識である。両方向から、それぞれにふさわしい言葉を使って科学的に追及していくことで得られるものは大きいと考える。
このように、さまざまな分野での試みを統合しようとして、違う象限の言葉で違う象限を記述しようとすると、厳密な意味でやはりどちらかの言葉に引き寄せた表現にならざるを得ないだろう。ひとつの言葉ですべてが説明できたと考えるのは「カテゴリーエラー」である。これを克服することは現段階では至難の業である。重要なことは、説明する際に、どこの象限によって何を説明しようとしているかを認識しつつ、謙虚に他の言葉で語られる説明も受け入れていくということであろう。どちらが正しくてどちらが間違っているのでもないし,どちらが高尚であるとか価値が高いとか比べるものでもない。どちらも重要なものである。この態度こそが統合的な視点に他ならないと考える。その視点は一段高い次元から、つまりメタレベルにおいて可能となる。そのレベルにおける認識や意識の状態を表すのが、スピリチュアルなレベルであると考える。

3−4.ホラーキーと、前・超の虚偽

次に、ホラーキーという概念について説明しておく。ホラーキーとは、ホロンとヒエラルキーを合わせて作られた言葉である。ホロンとは、部分でありながら同時に全体であるという存在のあり方をあらわす。そのホロンが階層として存在している状態をホラーキーと呼ぶ。Wilberは,意識の進化・発達において、先にあげた4象限のモデルにおいて、中心から外側に向かって進化・発達の方向を示しているが、その構造がホラーキーであると説明している。(12)つまり、人の意識はたとえば感覚的な状態から次第に理性的に発達していくと考えられるが、それぞれの段階においてそれより下のホロンを含んで超えている。理性的な段階は感覚的な段階を破壊して進化するのではなく、感覚的な段階の特徴を含みながら、さらに新しい次元の理性的判断といったものが付け加わったものであると考える。これが、ホラーキーと呼ばれる構造である。右上の象限で考えると、これは伝統的医学,科学的アプローチであるが、もっとも下位にあるのは素粒子や原子、それから、細胞、神経、脳といった進化・発達段階で説明できる。重要なことは、下位の存在は、それより上位の存在を規定すると言う事である。細胞が無ければ脳は存在しないのである。同様に、左象限においていえることは、身体的、感覚的な意識がなければ高次の思考もありえないし、さまざまな精神過程なしには魂やスピリットの存在もありえないと言う事である。つまり、動物的存在としての人間がスピリチュアルな人間を支えているのであり、そこに優劣は存在しないのである。ただ、高次の次元においてはそれより下位の段階(ホロン)をすべて含んでおり、意識は自由自在に行き来することができるというように、自由度は増す。(11)
スピリチュアルな次元が論理科学的態度の上位にあるとするならば、ホラーキーの考え方で行くと、科学的に厳密な接近無くしてスピリチュアリティーへの接近は不可能である。科学的、論理的思考なしでスピリチュアリティーへ到達しようとすると、前近代的で呪術的、魔術的な段階へと後戻りしてしまう。これが、Wilberがその著作で強調している、前(プレ)/超(トランス)パーソナルの虚偽である。至高体験や超越体験といわれるスピリチュアルな体験は、自他とも一体化した感覚を伴うが、これは自我の確立する前の幼児に見られる大洋感覚といった、自他未分化の状態に似ている。そのために、幼児的な自我肥大が起こっているにもかかわらず、スピリチュアルな経験であると誤解してしまう場合がある。(12)その誤解をのぞくために、自我の確立と科学的客観的思考が必要とされるのである。
このように見てくると、スピリチュアリティーは科学的思考と対立するものではなく,すべて肯定し受容しながら新しいものを付け加えていくものであると考えられる。
 もちろん、「いのち」ある人間そのものを対象とする医療においては、科学的態度でありながらも、唯物主義にとどまることはできない。心身医学においては、心理的世界も見据えたモデルを展開しているが、ここで提唱したいのは、その上の次元、スピリチュアルを視野に入れたヴィジョンロジック的なホリスティック健康モデルである。

3−5.ヴィジョンロジック

人間は発達的に、前個的(プレパーソナル)、個的(パーソナル)、超個的(トランスパーソナル)の順に意識が拡張していく。自己実現は、個的な段階、自己超越は超個的な段階である。それぞれの段階はホロンという構造を持ち、上位のレベルは下位レベルを否定するのではなく、含んで超えて行く。(10)
その中で筆者の主張しているスピリチュアリティー、つまり、実存性や生態学的連関に基づくスピリチュアリティーは、ケンタウルス的、あるいはヴィジョンロジックと呼ばれている段階であり、個的段階の最高位に位置する。Wilberによると、これは、スピリチュアリティーでも超個的でもない、単なる個的な段階である。しかしながら筆者は、現時点では、ヴィジョンロジックの立場にとどまりつつ、時として現われてくる神秘的な様相を現象として受け止めていくことが、EBMにのっとったホリスティック医学における、スピリチュアリティーのとらえ方として妥当であると考える。
意識の段階は連続的なものであり、ひとつの段階においてはその上下の段階を15パーセント程度含んでいるというWilber自身の記述もある。また調査によると、75パーセントの人類は未だ論理的思考にようやくたどり着いた段階であり、ビジョンロジックという統合的なものの見方の意識レベルに到達している割合は0.2パーセント、あるいは少なすぎて数値化できないという報告がある。(11)ヴィジョンロジックの上方向が純粋にスピリチュアルな段階であり、下方向が科学的合理的段階である。とすると、ヴィジョンロジックの立場は、伝統的医学と対立することなく、スピリチュアリティーの概念を論じることができるのである。
したがって、伝統的医学と補完代替医療を統合していくために必要で有用な立場は、ヴィジョンロジックの視点であると言う事ができよう。スピリチュアリティーをヴィジョンロジックの立場で説明すると、実存や生態学的な言葉で話すことになり、確かに脱落する部分はあるかもしれない。しかしながら、これがEBMを尊重し、伝統的医学との対話を可能にするホリスティック医学における限界であろう。それ以上となると、現在のところ、形而上学的、あるいは哲学的語りになることは免れない。すなわち、伝統的医学の領域では対象外とされるのである。しかしながら、そこに働く超自然的エネルギーは、気、サトルエネルギーなどとして科学的手法で解明されつつあり、将来的には物質レベルでの説明も可能となるかもしれない。現段階では、そのような存在を否定するのではなく、知識のひとつとしてニュートラルな態度で捉えていることが懸命であろう。

?:考察

スピリチュアリティーを科学的に記述するという立場で、Wilberの4象限モデルを使い、ヴィジョンロジック的な統合の視点から概観した。このようなスピリチュアリティーのとらえ方は、医学的な文脈で伝統的医学にも補完代替医療にも受け入れられやすく、対話が可能となることを期待して定義したものである。これが最高で完全であると主張しているわけではない。本宮のスピリチュアリティーのとらえ方、「東洋の古典的合理主義」(14)、あるいは「気の合理主義」(15)といった観点と共通するところは、今、ここでの合理的な精神の強調である。東洋的、あるいは日本的神秘主義の中に存在する観点について学んでいくのはこれからの課題である。
WHOのように、スピリチュアリティーを、肉体・精神・社会に対して独立したひとつの軸として扱うのは、実存的うつ状態や、末期患者のQOLを考えるときに有効なとらえ方である。しかしながら、スピリチュアリティーには、これらすべてを同時に包括しているという位相も存在する。(16)精神(メンタル)・肉体・社会といった側面をスピリチュアルな視点を見据えたヴィジョンロジックの視点で統合していくことで、より包括的な健康モデルが可能となる。これは、垂直方向に、医療倫理や実存的な広がりを持ち、また、水平方向には、場の意識やエコロジカルな視点ももつ。さらに時間軸も超えた超越的な、いのちとのつながりという面もあるがこれはここでは触れないこととする。  
Antonovskyは健康生成論の理論の中でコヒアレンス感について述べている。これは、個人が健康を増進する上で助けになる能力であり、人生の出来事に当たって?理解可能 ?処理可能 ?有意味性 の要素から成り立つとされている。(17)このうち、「理解可能」、「処理可能」という要素は単に個人の能力だけを頼りに成し遂げられるものではなく、他人や環境の資源をいかに活用するか、危機や避けられない状況に対する受容、忍耐といった性質を持ち、スピリチュアルなものとの関連をうかがわせる。また、「有意味性」に関してはまさにFranklの主張しているロゴセラピーの真髄であり、すなわちノエティック(スピリチュアル)な能力であると言い換えることもできよう。
自然治癒力は、視点を変えるといかにして健康を創造していくかということであり、これを探っていくことにより、積極的な健康増進に寄与する理論が生まれてくるであろう。その際に、スピリチュアルヘルスの概念を再検討することにより、伝統的医学と代替補完医療との真の統合が進んでいくことを期待している。



本論文は一部加筆訂正した後、以下の文献に収められています。
尾崎真奈美、奥健夫.心身医学におけるスピリチュアリティーの位置づけ−トランスパーソナル心理学的接近からみたBio-Psycho-Socio-Spiritual Model. 心身医学2006; 46(9)827−9(10)915−8 .









文献

(1)Frankl V:Psychotherapy and Existentialism: Selected Papers on Logotherapy, Simon and Schuster,1967
(2)久保木富房:会長挨拶、日本心身医学会ホームページ
(3)田崎美弥子・松田正己ほか:スピリチュアリティに関する質的調査の試み-健康およびQOL概念のからみの中で、日本医事新報、4036、2001
(4)Byrd R C:Positive Therapeutic Effect of Intercessory Prayer in a Coronary Care Unit Population.Southern Medicai Journal 81(.7)1988
(5)Josephson B D and Pallikara-Viras F:Biological:Utilization of Quantum Nonlocality. Foundation of Physics 21,1993
(6)Dossey L:Healing Words.Harper,1993
(7)Maslow,A:Toward a Psychology of Being Van Nostrand Reinhold Company Inc. 1968(上田吉一(訳)完全なる人間ー魂のめざすもの、誠信書房、1998)
(8)Assagioli R:Psychosysthesis, Psychosynthesis Research Foundation,1965(国谷誠朗、平松園枝(訳):サイコシンセシス、誠信書房、1997)
(9)Assagioli R:The Act of Will, Psychosynthesis Institute,1973(国谷誠朗、平松園枝(訳):意志のはたらき、誠信書房、1989)
(10)Wilber K:The Spectrum of Consciousness, Shambhala, 1977( 吉福伸逸、菅靖彦(訳):意識のスペクトル、春秋社、1985)
(11)Wilber,K:IntegralPsychology-Consciousness,Spirit,Psychology,Therapy,Shambhara,2000
(12)WilberK:Sex,Ecology,Spirituarity :The Spirit of Evolution, Shambhala,
1995(松永太郎(訳):進化の構造、春秋社、1998)
(13)Wilber,K:The Eye of Spirit-An Integral Vision for a World gone slightly Mad,Shambhara,2000(松永太郎(訳):統合心理学への道―「知」の眼から「観想」の眼へ、春秋社、2004)
(14 )本宮輝薫:スピリチュアリティーとは何かー救いの諸形式と東洋の古典的合理主義―、トランスパーソナル学研究6:2004
(15)本宮輝薫:スピリチュアリティーを議論する際にー土着信仰と普遍宗教―、トランスパーソナル学研究6:2004
(16) )西平直:スピリチュアリティ再考、トランスパーソナル心理学・精神医学 4(1):2003
(17)Schuffel,ed:Handbuch der Salutogenese.Konzept und Praxis,Ullstein Medecal Verlagsgesellschaft mbH&Co.(橋爪誠(訳):健康生成論の理論と実際、心身医療、メンタルヘルス・ケアにおけるパラダイム転換、三輪書店、2004)

コメント(2)

ビルシャナさん
ありがとうございます。甘いところや調べ不足のとこがいっぱいありますが、これをたたき台にして、心身医学のができました。そちらはこれよりずっとカタイものになっています。

今書いてるのはきっと、もっと堅くて細かいです。洗練されていくというとかっこいいですが、いい論文はわかりやすいはず!!がんばります。

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