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江ノ電コミュの江ノ電の遺構

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「雑談@江ノ電」でちょっと話題に出た江ノ電の遺構について、少しずつアップしていきたいと思います。

「江ノ電讃歌(1985)」「江ノ電で行こう(1998)」「江ノ電百年物語(2002)」「江ノ電の100年(2002)」などを参考にしています。

コメント(42)

こんにちは。
江ノ電とは直接関係ないですが、1枚目に写っている3階建ての商業ビルができる前はびゅープラザがありましたね。
その後ろにはリンク先の跨線橋の一部が近年まで残っていました。

江ノ電に関係あるところだと、
腰越駅のホーム延長前は現在ホーム入口になっているあたりの路地はそのまま直進して表の道路へ繋がっていました。
今はクランク状になっていますが。
その繋がっていた部分は看板がありますが、踏切跡です。
今ではもうないかもしれないですが昔は停止線が残っていました。

鵠沼〜柳小路の間ですが、
鵠沼を藤沢に向かって行くとカーブしたところが少し広くなっています。
その昔は駅のあった所らしいですが子供の頃はすでになく、
鵠沼駅新駅工事の関係で一時的に信号場になっていました。

仮鵠沼駅はそのすぐ江ノ島寄りの直線部分にあり、
鎌倉方面列車が信号場へ入ったあと藤沢行きがホームで客扱いをし、
すぐに信号場へ。
一時停止ののち双方発車。
鎌倉行きが仮設駅へ停車、と言った感じだったかと思います。
当時は小学生でカメラを持っておらず、
今となっては記録できずに惜しいことをしたな、と思っています(;^_^A
藤沢駅その2

現在は高架となっている江ノ電藤沢駅(1974(S49)/6/7:現在地に移転)ですが、旧駅では、左画像の手前の江ノ電バスが停車しているあたりからデッキの下を斜めに、旧江ノ電藤沢駅のホームがありました。

また元の線路は、現在グリーンベルトになっているところです。
現藤沢駅を出ると左にカーブし、並木が終わったあたりから直進しますが、かつてはこの下の地上を走っていました。
>>[3]

そうなんです。
幼少時は江ノ電はあまりにも当たり前すぎて、中学にあがってからカメラをいじり始めましたが、江ノ電を写真に撮っておこうという発想は全くありませんでした。
特殊続行運転もやっていたし、藤沢も地上駅だったし、鵠沼の鉄橋も付け替え前だったのですが。
藤沢〜石上は、上記に書いたグリーンベルトが旧線路。
旧石上停車場(1944(S19)/6/30廃止)は現在の石上駅よりも藤沢寄りに設置されていましたが、位置はわかりません。

石上〜柳小路の石上2号踏切に資材置き場があります。
ここが旧川袋停車場(1950(S25)/7/15廃止)。

線路から東に少し歩いたところに、大きなマンションがあります。
ここが片瀬発電所跡です。
柳小路を過ぎて柳小路2号踏切野崎に、少し広くなったところがあります。
ここが旧藤ヶ谷停車場(1944(S19)/11/18廃止)の跡。

その先の直線になったところが#3でかなさんがおっしゃっている、境川橋梁の付け替え時に仮鵠沼駅があったところです。

そして鵠沼駅前の石畳は、併用軌道区間で使われていた敷石です。
奇しくも、彩流社から「江ノ島電鉄&湘南モノレール 街と駅の今昔物語」が出ていました。
駅ごとに、現在の写真とかつての写真、古地図が載ってます。

しかし…。
鎌倉駅の古地図、大正2年となっているけれども、江ノ電の駅が西口にあります。
鎌倉駅の西口移転は1949(S24)年3月1日のことですから、完全な間違いですね。

その他も、大正2年とされている地図に134号線や街区表示の名称が書かれていたりするので、何を間違えてしまったのでしょうね。
>>[9]
この本、間違いが多すぎて買いませんでした。
>>[10]

そうでしたか。
まあ、間違い探しクイズのネタには使えるかもしれませんね。

地図の件はあんまりなので、いちおう版元にご注進しておきました。
「江ノ島電鉄&湘南モノレール 街と駅の今昔物語」の編集部の方からお返事をいただきました。

こちらの不手際で誤った情報を掲載してしまいました。
ご指摘の通り、正しくは大正2年ではなく、平成14年の地図でした。
増刷の際には、必ず訂正させて頂きたいと思います。

とのことでした。

地図を訂正するのかキャプションを訂正するのかはさだかではありませんが、大正2年ではなくてもいいけれど、古地図であることがミソだと思うのですが、どうなるやら。

そして、江ノ電が監修に名を連ねていることでは、掲載された地図のことまでは責任はないだろうけれど、ちょっと後味はよろしくないですな。
境川橋梁を渡り、鵠沼変電所の上をカーブして行くと、次第に高架はさがっていきます。
鵠沼1号踏切に至るまでの間に、新屋敷停車場(1944(S19)/2/29廃止)がありました。


湘南海岸公園駅を過ぎて、湘南海岸公園2号踏切そばには、旧浜須賀停車場(1944(S19)/2/29廃止)がありました。

そして、湘南海岸公園3号踏切の酒屋の前には、旧山本橋停車場(1944(S19)/11/18廃止)がありました。

ただし、旧浜須賀停車場が上記の旧山本橋停車場の位置に書かれている古地図もあります。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002415669.html
この地図だと、西方停車場と湘南海岸公園駅の位置もずれているように思います。
西方とあるのは、新屋敷かもしれません。
>>[13]
新屋敷駅は、地図にある片瀬1952番地あたりにあったそうです。
西方駅は、今と反対側にホームがあり湘南海岸公園1号踏切のところもホームだったそうです。写真の郵便ポストのとなりあたりの狭い空き地が旧ホームだそうです。
>>[14]

情報、ありがとうとざいます。
江ノ電沿線の設備機器が置かれているところが昔の停車場だった歴史は、ほかにもありますね。

新屋敷が片瀬1952番地あたりだったということは、鵠沼変電所の敷地もその関係だったのでしょうかね。
>>[15]
鵠沼変電所あたりは、昔は一面の田んぼだったそうで、なんでそんなところに駅があったのか疑問ですが、西方町(西方駅)、下之谷町(片瀬駅→江ノ島駅)に駅があるので、新屋敷町にも地域サービスで駅を設置したのかもしれません。
鉄道施設ではありませんが、江ノ島駅の上りホーム待合室に、00形303号車先頭部があります。

江ノ島と腰越の間の併用軌道区間には、旧中原停車場(1918(T7)/6/24廃止)、旧土橋停車場(1944(S19)/11/18廃止)、旧神戸橋停車場(1918(T7)/6/24廃止)がありましたが、当時の様子は何も残っていません。

腰越を出ると満福寺の下に腰越2号踏切がありますが、この一角の空き地が旧満福寺前停車場だったと思われます。

そして、海岸に出るところの空き地が、旧腰越停車場(1944(S19)/11/18廃止)でしょう。
「小動」のバス停があります。
>>[16]

湘南海岸公園駅のホームが南側にあった頃の写真がありました。
「江ノ電写真集―湘南の風吹く街を走り抜けた車輌たち」(吉川文夫編/著・2006年・生活情報センター)です。
キャプションは、次のとおり。
駅ホームが移動前の貴重な写真。かつては今と逆の位置にホームがあった。走る電車は300形。トロリーポールで集電しているのが分かる。

昭和37年の撮影のようです。
>>[19]
さすがに鎌倉にいた吉川さんですね。最後にお会いしたのは友の会の500形撮影会の時でした。
腰越駅から鎌倉高校前駅までの間に、旧袂ヶ浦停車場(1944(S19)/11/18廃止)がありました。
後に恵風園前に改称されているので、恵風園前のあたりにあったのでしょうね。

鎌倉高校前駅は、日坂停車場だった頃は上り下りの交換が行われていましたが、列車交換は昭和28年に峰が原信号所に移されています。
峰が原信号所までに、旧谷沢停車場、旧七里ケ浜停車場がありましたが、その跡はわかりません。

顕証寺付近から七里ヶ浜駅間約270mは、、線路上を車が走ることはありませんが、線路と道路の間に柵もなく、併用軌道区間です。

七里ケ浜駅は、現在地になったのは1944年のことで、それまでは旧田辺停車場、後に行合停車場に改称され、1944年に廃止されました。
行合橋の七里ケ浜側かと思います。
旧行合橋停車場(大境に改称後1944(S19)/11/18廃止)は、現七里ヶ浜作業場・変電所。

旧キャンプカー前臨時停留所(1944(S19)/6/30廃止)は、七里ヶ浜2号踏切あたりにあったらしい。

旧追揚停車場(1944(S19)/11/18廃止)は、134号から離れて併用軌道区間になって併用区間となる、広くなっているところではなかろうか。
#17の訂正です。
「龍ノ口」が抜けていました。

江ノ島と腰越の間の併用軌道区間には、旧中原停車場(1918(T7)/6/24廃止)、旧土橋停車場(1944(S19)/11/18廃止)、旧神戸橋停車場(1918(T7)/6/24廃止)がありましたが、当時の様子は何も残っていません。

と書きましたが、

江ノ島と腰越の間の併用軌道区間には、旧龍ノ口停車場(1944(S19)/11/18廃止)、旧中原停車場(1918(T7)/6/24廃止)、旧土橋停車場(1944(S19)/11/18廃止)、旧神戸橋停車場(1918(T7)/6/24廃止)がありましたが、当時の様子は何も残っていません。

とします。
旧姥ヶ谷停車場(1944(S19)/11/18廃止)は、七里ヶ浜3号踏切から鎌倉寄りあたりにあったかと思います。

そして音無川の橋梁の手前が旧音無橋(1945(S20)/4/28:廃止)でしょう。
稲村ケ崎駅は、何度か移転を繰り返しています。

1904(M37)/4/1:左画像の稲村ケ崎1号踏切の西、線路の南側に設置された(7キロポストが立つ緑の柵のあたりの線路の左側あたり)に初代稲村ヶ崎として設置
1925(T14):初代のやや西より(安価画像の左カーブのあたり)に移設され交換駅化
1930(S5)〜1931(S6):単線化
昭和に入ってから現在地に移転

旧砂子坂停留所(1944(S19)/11/18廃止)は、稲村ヶ崎2号踏切からの併用区間の道路が線路からはなれていくあたりにあったらしいが、線路際の空き地がその跡かもしれません。
>>[24]
姥ヶ谷にも駅があったんですよね。マンガ鎌倉物語に出てきましたよ。
>>[26]

姥ヶ谷は、路線が極楽寺まで延長された1904(M37)/4/1に設置され、1944(S19)/11/18に廃止されました。
軌道業が地方鉄道業に変更許可されたのがこの年ですあkら、何か関連があったのかもしれません。
>>[28]

まとめてみると、以下のようになると思います。

どの時代で数えるか、位置がかわったところをどう数えるかで若干数字は変わりますが、全線開業後は40と言われています。
ということは、約250mにひとつ、ということになりますね。

藤沢:1902(M35)/9/1:藤沢として設置→1974(S49)/6/7:現在地に移転
旧石上:1902(M35)/9/1:石上として設置→1944(S19)/6/30:廃止
石上:1920(T9)/4:高砂として設置→1944(S19)/6/30:廃止→1950(S25)/7/15:石上として復活
旧川袋:1902(M35)/9/1:川袋として設置→1950(S25)/7/15:廃止
柳小路:1920(T9)/4:柳小路として設置→1944(S19)/6/30:廃止→1950(S25)/7/15:柳小路として復活
旧藤ヶ谷:1902(M35)/9/1:藤ヶ谷として設置→1944(S19)/11/18:廃止
鵠沼:1902(M35)/9/1:鵠沼として設置
旧新屋敷:1902(M35)/9/1:新屋敷として設置→1944(S19)/2/29:廃止
湘南海岸公園:1902(M35)/9/1:西方として設置→1958/12/1:湘南海岸公園に改称
旧浜須賀:1902(M35)/9/1:浜須賀として設置→1944(S19)/2/29:廃止
旧山本橋:1902(M35)/9/1:山本橋として設置→1944(S19)/11/18:廃止
江ノ島:1902(M35)/9/1:片瀬として設置→1929(S4):江ノ島に改称

(つづく)
その2

旧龍ノ口:1903(M36)/6/20:龍ノ口として設置→1944(S19)/11/18:廃止
旧中原:1903(M36)/6/20:中原として設置→1918(T7)/6/24:廃止)
旧土橋:1903(M36)/6/20:土橋として設置→1929(S4):腰越に改称→1944(S19)/11/18:廃止
旧神戸橋:1903(M36)/6/20:神戸橋として設置→1918(T7)/6/24:廃止
腰越:1903(M36)/6/20:谷戸として設置→1948(S23)/7/15:腰越に改称
旧満福寺前:1903(M36)/6/20:満福寺前として設置→1918(T7)/6/24:廃止
旧腰越:1903(M36)/6/20:腰越として設置→1918(T7)/6/24:腰越浜上に改称→1929(S4):小動に改称→1944(S19)/11/18:廃止
旧袂ヶ浦:1903(M36)/6/20:袂ヶ浦として設置→1918(T7)/6/24:恵風園前に改称→1944(S19)/11/18:廃止
鎌倉高校前:1903(M36)/6/20:日坂として設置→1953(S28)/8/20:鎌倉高校前に改称
旧谷沢:1903(M36)/6/20:谷沢として設置→1915(T4)/10/18:廃止
旧七里ケ浜:1903(M36)/6/20:現在の峰ヶ原信号所近くに七里ケ浜設置→大正時代に廃止
峰ヶ原信号所:1903(M36)/6/20:峰ヶ原として設置→1945(S20)/4/28:廃止→1953(S28)/8/20:峰ヶ原信号所設置
七里ヶ浜:1903(M36)/6/20:現在の七里ケ浜より藤沢よりに田辺として設置→1915(T4)/10/18:行合に改称→1944(S19)/6/30:廃止→1944(S19)/11/18:現在地に移動し七里ヶ浜に改称
旧行合橋:1903(M36)/6/20:行合橋として設置→1915(T4)/10/18:大境に改称→1944(S19)/11/18:廃止
旧キャンプカー前臨時停留所:1935(S10):キャンプカー前臨時停留所として設置→1944(S19)/6/30:廃止
旧追揚:1903(M36)/7/17:追揚として設置→1944(S19)/11/18:廃止(134から入るところあたり)
旧姥ヶ谷:1904(M37)/4/1:姥ヶ谷として設置→1944(S19)/11/18:廃止
旧音無橋:1904(M37)/4/1:音無橋として設置→1945(S20)/4/28:廃止
稲村ヶ崎:1904(M37)/4/1:稲村ヶ崎として設置
旧砂子坂:1904(M37)/4/1:砂子坂として設置→1944(S19)/11/18:廃止
極楽寺:1904(M37)/4/1:極楽寺として設置
旧権五郎社前:1907(M40)/8/16:権五郎社前として設置→1944(S19)/11/18:廃止
長谷:1907(M40)/8/16:長谷として設置
旧由井ヶ浜:1907(M40)/8/16:由井ヶ浜として設置→1945(S20)/4/28:廃止
由比ヶ浜:1907(M40)/8/16:海浜院通として設置→1915(T4)/10/18:海岸通りに改称→1945(S20)/4/28:廃止→1950(S25)/7/15:由比ヶ浜として復活
旧原の台:1907(M40)/8/16:原の台として設置→1944(S19)/11/18:廃止
和田塚:1910(M43)/11/4:和田塚として設置
旧学校裏:1907(M40)/8/16:学校裏として設置→1944(S19)/11/18:廃止
旧琵琶小路:1915(T4)/10/18:琵琶小路として設置→1945(S20)/4/28:廃止
旧大町:1907(M40)/8/16:大町として設置→1944(S19)/11/18:廃止
旧蔵屋敷:1910(M43)/11/4:蔵屋敷として設置→1944(S19)/11/18:廃止
鎌倉:1910(M43)/11/4:小町として設置→1915(T4)/10/18:鎌倉に改称→1947頃:二の鳥居よりに移設→1949(S24)/3/1:現在地に移転
おまけです。
ちょっと戻りますが、稲村ヶ崎1号踏切から線路沿いを鎌倉方向に歩くと「俺たちの朝」(1976年〜1977年、日本テレビで放映)のアパートがあります。

極楽寺検車区近くの、阿仏尼邸跡への登り口、阿仏尼碑あたりに「車庫前」停留所があった時期があったようですが、詳しいことがわかりません。

極楽寺検車区に入る稲村ヶ崎4号踏切手前右の門柱は、かつての江の電バス車掌の女子寮の名残りです。(S40頃廃止)
遺構とは言えませんが、2013(H25)年1月1日の、極楽寺駅構内への土砂崩れ関連。
左:2009年11月7日
中:2013年2月11日
右:2013年10月5日
旧権五郎社前停車場(1944(S19)/11/18廃止)は、御霊神社のそばだったのでしょうが、場所はわかりません。

長谷駅の引き込み線跡は、鎌倉方ポイント右手の空き地から先、ホームの山側に引き込み線が伸び、続行運転が行われていた頃まで使われていました。

旧由井ヶ浜停車場(1945(S20)/4/28廃止)は、長谷5号踏切脇の変電設備が置かれているところです。
現由比ヶ浜駅は、海浜院通として設置(1907(M40)/8/16)され、海岸通りに改称(915(T4)/10/18)された後一時廃止され、由比ヶ浜駅として復活(1950(S25)/7/15)しています。
#33と#34、なぜか画像がアップされなかったので削除し、やりなおしました。
和田塚を過ぎると、現在は鎌倉まで駅はありませんが、昔は「学校裏」「琵琶小路」「大町」「蔵屋敷」がありました。

学校裏停車場(1944(S19)/11/18廃止)は、画像の正面の白い建物(鎌倉市立第一小学校)のフェンスのあたりでしょう。

琵琶小路停車場(1945(S20)/4/28廃止)は、和田塚3号踏切の道路が琵琶小路なので、この辺りにあったと思います。
和田塚3号踏切といえば、2012年8月5日に、1552号車(1501F+1502F)が自動車と衝突しました。

旧大町停車場(1944(S19)/11/18廃止)は、現在和田塚4号踏切そばに停車場の表示がたてられています。
最近飲食店(FARM TO YOU)がオープンし、画像とは雰囲気が変わっています。
現在の江ノ電は、和田塚4号踏切を過ぎて直進すると、左にカーブし、和田塚5号踏切を過ぎてJR鎌倉駅の西側の江ノ電鎌倉駅に入ります。
カーブする当たりに鎌倉変電所がありますが、このあたりに旧蔵屋敷停車場(1944(S19)/11/18廃止)がありました。

また線路は直進し、横須賀線が走る高架線の石垣の右横を走って若宮大路に出ていました。
下馬ガードの付け替え工事前は、江ノ電の線路があったところが歩道として使われていました。
>>[35]
 駅前の通りの名称が使われている時期もあったのですね(由比ヶ浜)
”海岸通り”この名があの場所に自然とあっていて好きです。
現在の江ノ電鎌倉駅は、JR鎌倉駅西口に設置されていますが、これは1949年(昭和24年)3月1日にできたもので、それまでは、若宮大路の道路上にありました。

1910年(明治43年)11月4日に、おんめさま(大巧寺、中画像の信号の横、赤い柱塀)前あたりに小町として設置され、1915年(大正4年)10月18日に鎌倉に改称されました。

1947年頃、二の鳥居寄り、鎌倉警察署前(右画像の右の建物が鎌倉警察署、2013/2/11)あたりに移設されています。
#8の鵠沼駅の敷石のうち、西口前の敷石は、2014年夏の改修工事により撤去されました。

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