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舟越保武【作品と人間】コミュの■雑談トピ

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舟越氏に関する裏話、自分との関わり、またはこのコミュに対する御要望などなどなど、何でも話したい事がありましたらこちらに♪

コメント(35)

実は‥‥恥ずかしながら‥‥ (/-\*)
舟越氏のお名前をうっかり船越と間違えて表記しておりました。
吾が尊敬する氏に対してと御参加の皆様にも大変御無礼があった事、
この場にて深くお詫び申し上げますm(__)m
1月24日のNHKの「その時歴史は」の時間に島原の乱についての新しい歴史の見方が紹介されるそうです。
 ゲストは神田千里氏「島原の乱」中公新書を書かれた方です。まだ、読んだことはありませんが、単なる農民一揆という通説に対して、宗教戦争であると評価しているようです。神田氏は一向宗の一揆に付いてもかかれ、共通性を探られているようです。
 私も、キリシタン禁令と仏教の統制締め付けが重なっていることに注目していたので、先を越されたと思いました。ただ、地方には資料がなにもないから、無理ですが。
明日、二月五日は舟越先生のご命日です。
それと同時に、
舟越先生の作られた長崎の二十六聖人の記念日です。
 四谷のイグナチオ教会でのお葬式に息子が行ってくれたのですが、しみじみとしたお別れであったと聞きます。
そして、皆、記念日に亡くなられたことに不思議さと先生らしさを感じていたそうです。
ヨセフさん、初めまして。

そうでしたね、帰天なさったのは今日5日でしたね。
「日本26聖人殉教者」記念日が奇しくも先生のその日であった事は
何年か前に家内と訪れた長崎の丘でレリーフを拝見した折に
結城神父様の記念館で知りました。。
今日はおじじも心からお祈り申し上げるつもりです。
拙文が掲載されることになりました。
長いのですが、コピーを貼り付けさせて頂きました。

舟越さんから学ぶもの
「美しい」と「奇麗」という言葉は同じ意味に使われます。
奇麗な人を美人と言ったり、「美化する」とか「奇麗にする」と言ったりします。
それが旧ユーゴスラビアにおいて、
民族の浄化(奇麗にする)と称し、
異なる文化や宗教や思想そして民族を排除し、
悲惨な虐殺が行われました。
それは美しいことではありません。
岩手県出身の世界的な彫刻家、舟越保武先生は
「奇麗な人と言うときと、美しい人と言うときでは違いがあるように思われる。
「奇麗」というのは見た目にとどまり、
「美しい」というのは形を超えた
さまざまな生き方や内面性の理解にかかわるように思われる」
と話されました。
「長崎の二十六聖人は殉教した時の姿を頼まれたのだが、
無残な姿ではなく彼らの求めた愛と信仰の理想を描きたかったので
あのような祈りの姿になった。
(秋田の田沢湖の)辰子姫は観音様の姿を頼まれたのだが、
自分はカトリックなので遠慮したところ、
田沢湖の伝説の辰子姫になったのだ」と話されました。
二十六聖人の像は一宗教の過去の出来事を記念するだけのものではなく、
時代を超えて現代の長崎の被爆者と共に平和を祈るものとなり、
辰子姫像の清楚な姿は人の心を慰め、金色に輝き、
田沢湖を象徴する神秘的なものとなっています。
先生の作品には上品な知性と感性が調和した
内面の美しさと深みと平和への願いが感じられます。
これは現代の世界が切に求めているものです。
カトリックとは、
普遍という意味のギリシャ語に由来する言葉で、
本来は多様性を受け入れるもので、
特定の価値観や宗派(セクト)を画一的に押し付けるものではないのです。
そのような理想としての普遍的な美しさを求めたので、
舟越作品は日本の地域に根ざしながら、
東洋も西洋も越えた調和を感じさせるのです。
理解とは謙虚で忍耐強い対話によって生まれてくるもの
その後で製作された「原の城」という、
島原の乱で戦った亡霊のような侍の像は、
戦というものの空しさを語っているようです。
この像の周りを歩き、しかし、それだけなのだろうか、
まだ理解できぬものを感じ、立ち止まり作品に問いかけました。
それからしばらくして、
ハンセン病の人々と共に生きることを願ったダミアン神父の像
(岩手県立美術館に収蔵)を見たのです。
長い間、見つめているうちに、
見た目ですぐに分かる浅い「奇麗さ」ではなく、
もっと大切な心の「美しさ」の深みを感じられたのです。
多くの人の罪と痛みを背負うキリストの姿を見たような気がしました。
ようやく、
この侍は天からの声を聞こうとして耳を傾けていることに気が付きました。
この侍は正義と信じて戦い、敗れたのです。
カトリックでは基本的に非暴力の抵抗は認めても
武力闘争を認めません。
だから、天草四郎は英雄ではあっても、殉教者でも聖人でもないのです。
この侍は戦の空しさを知りつつも、
自分のやったことにはどんな意味があったのか、
国や教会の思惑や勝ち負けを超えた意味を問いかけ、
天からの声に、耳を傾けていたのです。
傲慢な信仰や独善的な信念によって
自分たちのみを正義とし美と称することとは全く異なった
謙虚の極みが表現されていたのです。
先生の亡くなられたのは二〇〇二年の二月五日です。
ちょうど、二十六聖人の記念日でした。
新聞の編集者に、御世辞だと思いますが、
盛岡の県立美術館に問い合わせなど
前掲の文章に反響があったようです。
他の人の文章よりも、これでも読みやすく、
このコーナーが読まれるようになったと言われました。
>ヨセフさん

この文章、深い精神的な洞察力が溢れていて素晴らしいと思います。
なんというか、雑談トピックには勿体無いというか。
できれば、それぞれの像の解説に付加していただけると
作品も喜ぶのではないでしょうか。
お手間とは存じますが、是非お願いしたい所です。

これからも、宜しくお願い致しますm(__)m
それと、コミュ参加の皆様。
トピ立て自由ですので、御自分のお好きな作品や著書など
何でもピックアップしてみてはいかがでしょう。

タイトルの付け方だけ共通フォーマットにしていただければ
美しく見やすいと思います。

是非是非、どうぞ!(^^)        不祥管理人でしたm(__)m
るか様
お褒めの言葉ありがとうございます。
3月の12にに、編集者の言葉を聞くまで
ロレンツォおじじさんの「おお、カトリコス…」という言葉が、
そんなにカトリックくさい文章として読めるのかと思い、
沈黙しておりました。
機会がありましたら書かせて頂きます。
>ヨセフ様

いえいえ、私もカトリック教育で育ち、信者への道を考えたこともありましたが‥‥
別段偏った内容とは感じませんでした。
宗教や信仰は、ある意味媒体としての存在で、氏の作品がそれらを超えた所にあるものだと確信しています。ただ、ベースに存在することは否めないので、氏の作品を理解するにはその知識も必要だとも思っています。
ヨセフ様の文章は、そのようなカテゴリーを超えたところの言葉として胸に響きました。
作品から発せられたメッセージを受け取るには、感性のみでなく氏のひととなりを知ることも重要素だと思います。 私が敢てこのコミュの名称を『舟越保武【作品と人間】』としたのも、そのあたりに意図があるのです。
知ることによって、ますます作品への思いが深くなりました。
ありがとうございます。
>ロレンツォおじじ様

お、お待ち下さい!誤解は理解の第一段階ですよ。
誤解が溶けたのだから良いではないですか?

ネットは難しい‥‥けれど誠実に会話していればノープロブレムです!
色々なタイプの方がいるから面白い。是非これからもお話しましょう(^^

実を申せば、わたしもかなり猫かぶってますから(笑)
気楽に、気楽に。。
るか様
申し訳ありません。
小生のいる状況が
あまり居心地の良い所ではないので、
否定的な意味にとってしまいました。
誤解が解けたのですから、
ロレンツォおじじ様には戻ってきて
欲しいと存じます。
ロレンツォおじじさん
戻ってもらえて良かった良かった^^
かえって皆様と近寄れた気がします。

気楽に行きましょう!
籔内佐斗司さんの「ほとけさまが教えてくれた」
NHK知るを楽しむという番組が本日4月2日10:25より始まります。
仏教が分かるとキリスト教が分かり、
キリスト教が分かると仏教が分かるということがあります。
まずは、ご紹介のみ。
舟越先生の女性像の顔の表情は
「目と鼻の間に繊細な気分のようなもが
漂うように作っている」と
お聞きしたように思われます。

そのなんともいえない留めることのできないものを
先生は表現しようとされてきたのです。

少女の薔薇色のほほを横切る春の風のような一瞬の印象は
永遠なるものを垣間見る一瞬なのかもしれません。
それは殉教者の栄光の光へとつながるものと思われます。
これは書いていたら消してください。
ふと、思い出したのですが、
東京駅の前に両手を上げた男性の像があります。
これは横江嘉純さんの作品です。たまたま、母が
横江先生の娘さんと友人でおつきあいをしていたので、
家に作品を写真に撮ったアルバムがありました。
初めて、舟越先生の所へ行くときになんでだか
高校生の私はアルバムを持っていったのです。
舟越先生は興味深そうにご覧になられていて、
しばらく御貸しすることになりました。
それで、次に、お伺いしたときに、もう少し
お貸ししましょうかと申し上げたら、「もういい、
影響されてしまうから」とおっしゃいました。
息子のメールに次の言葉がありました。

いい彫刻、作品を通して明確に伝えることを伝えられる人は頭の中が澄んでいて、そこから舟越先生のような文や山本先生のような暖かい気を感じる文になるのかなという気がします。
文が立体的なんですよ。 まぁぼくは彼らが彫刻をしている事を知っているからそう思うのですが・・

「文が立体的」というのはどのようなことでしょう。
直観的には分かるのですが。

阿修羅像が人気ですが、マイミクさんが
表情に注目されていたので、舟越先生を
思い出しました。目と目の間ぐらいに
神経が行っているようなところが、似ていると
思います。
カトリックの先生に仏教の阿修羅が影響している
とすれば面白いことです。
舟越先生が像を作られた
ダミアン神父が聖人になったようです。
ネットで検索していたら
埼玉美術館で再びダミアン神父の像が
再び見られることになっていたのを
しりました。
それまでのゆきさつは
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/Artpaper/54/htm/tokusyuu.htm
にあります。
舟越先生が、

井伏鱒二の『釣師釣場」というエッセーを読まれて

いたことを「読書の勧め」のための小冊子の一部に書かせて

いただきました。

数行にすぎませんが、先生が繰り返し読まれ、

同じような表現の微妙な変化の面白さを楽しまれ

ていたことを紹介しました。

あつみさん

是非、キリシタンとカトリックの心に触れてみてください。
> あつみさん
名古屋のデパートでの作品展には独身の頃に、長崎での作品展には家族旅行で見に行った事があります。もちろん盛岡にもね。
今では、遠くに行く元気(若さ)はありませんが、千葉県内にもあちこちに作品があるので、時々、寄り道をしています。
ふと、思い出したのですが、舟越先生の所で

小磯良平さんの絵の白の色はいいですねと

先生にお話ししたら、

ちょっと褒めてくださったことがあります。



つみさん

良かったですね。

桂さんと保武先生の表紙の絵が載っています。

宜しかったら見て下さい。

http://www.suemoribooks.co.jp/ja/new/christmas.html
舟越先生の娘さんである末盛さんと古田堯先生のツーショットを見つけました。
http://www.kandagaigo.ac.jp/ishizue/50th/interview/interview_10_14.html
舟越先生が、石を彫っている時の音を録音して、聞いていたら、ご家族がやって来て、なーんだ仕事をしていると思っていたのに休んでいたのと言われたような話を読みました。今にして思うと石の声を聴いていたのではないかと思います。ノミと石の音で仕事の状態が分かると思います。今まで、彫刻の製作中の音に気を留めていなかったので、この逸話の意味が分かりませんでした。
舟越であって船越ではない。
http://www.pikore.com/tag/%E8%88%B9%E8%B6%8A%E4%BF%9D%E6%AD%A6

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