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橋川文三を考えるコミュの異端のカリスマとは何か

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橋川文三の「超国家主義」では、北一輝や井上日召は異端のカリスマとされる。
正統が存在してこその異端。そうすると、この場合の正統とは何かということになる。橋川にありがちなことだが、自ら定義することに替えて諸相を提示する。さまざまな超国家主義者を自伝的素描によって浮かび上がらせ、素材を提供し、自分も良く分からないが考えてみようという所で立ち止まる。似た用語として主流と反主流、また戦後まもなく、久野収が唱えた天皇制の在り方に顕教と密教がある。顕教は国家神道に近く、密教は天皇機関説である。北一輝は天皇機関説に属するが、通常天皇機関説を唱える者の多くは超国家主義者とみなされない。1920年代から記紀神話を熱烈には信奉しない超国家主義の萌芽が見られる。それはどのようなもので何故生まれたのか。
私の考えでは、国家神道が国家主義者の正統派かつ中央的位置を占める。天皇機関説は左の異端ではあるが主流派となった時期もある。主流派は時代により流動性がある。主流派は権力に近いから利権・利害に走ることもある。正統派の政策は一般に有効性・正当性・効率性・経済性を無視又は度外視することから合法的統治へ立ち位置を替えようとする者も出てくる。
橋川は、国家神道から見て(立憲的様相を示す天皇機関説論者ではなく)右の異端を研究対象にしたと考えている。しかし、国家神道との立ち位置の違いをはっきりさせない。
私の定義では国家神道のイデオロギーは血縁的差別と血縁的擬制を一体にした血縁擬制序列であり、国家神道では天照の超越性を高め血縁的差別の確保を図るが一神教になることはない。あくまでも同質性を残し(抱き込み・擬制)神々、祖先等を序列化しようとする。血縁擬制は血縁的差別の条件・手段となっている。だから天照の主神性を弱めるスサノオ等の準主神化運動を異端視する。祭神論争や大本教弾圧、朝鮮(神宮)への壇君合祀を拒否する。壇君を合祀しようとした葦津珍彦もこの意味で異端であり、血縁擬制派である。中央派は正統派で主流派になりやすく、利権にも繋がりやすい。貴族院や行政は自らが縛られることを、嫌い国民を縛ることを好むので、血縁的序列を軸足とした正統派を指向する。
こうしてみると正統派的主流派は盤石に見えるが、記紀の記述自体から天照の最高神化が神々の再編・上書きによって造作されたことが透けて見えるのでスサノオや大国主の準主神化運動は後を絶たない。
しかし、朝日平吾以後の異端は天照の主神性を弱めるタイプのものではない。維新とは血縁的差別を目的とするはずのものではなかった、君臣一体のものだったはずであるというところから出発している。正統派の血縁的差別を消そうとする。君臣一体とは、大御宝(喜多貞吉に拠れば天皇が所有する公田を耕す者という意味で(私民に対する光民)、所有物自体という解釈もあり得る)を、民を大切にした証拠と思い込む、任侠の徒を善人とする都市伝説のような解釈を下敷きにした国民の願望が霧の中から結晶化し流布したものである。悪人正機説が悪人でも極楽往生できるという発想から、一部で悪人だからこそ極楽往生できるという思想に転換したように、天皇と国民に血縁的一体性だけを感じ生きがい・意味を付与しようというのである。

別の所で説明したが、殷王朝の血縁擬制的構成を説いた松丸道雄氏に次いで、守本順一郎の東洋政治思想史に出会った。守本学派を知っている者はこのリストでも数人しかいないだろう。守本氏はマルクス経済学中でもマックス・ウェーバーと大塚久雄も注目した共同体理論(アジア的・ギリシアローマ的・封建的)の土地所有関係に加え、社会集団(全体)と構成員(個)との関係に着目するものである。弟子の雀部幸隆の言葉によれば、アジア的社会では個は偶有的にしか現れず、古代では全体が個を媒介し、封建では個が全体を媒介するという。
守本氏は丸山真男の「自然から作為へ」という日本政治思想史研究をある意味継承し(丸山は守本氏死去に際し寄稿している)、ヘーゲルなどのアジア停滞論を批判し、儒教・仏教・朱子学をそれぞれアジア的・古代的・封建的イデオロギーと規定し、ヨーロッパ思想と比較して血縁的色彩が強いが、個が全体の羈束を徐々に離脱する(個の主体性が拡大する)傾向が質的に拡大するとして停滞論を批判する。
しかし、数年前死亡した雀部氏はマルクス主義を棄て、ニーチェに接近し何人かの守本学派を離脱させた。比較的有名な者が岡大で岩間一雄ゼミから名大大学院に進み、柳田国男の氏神信仰の研究で知られる川田稔である。岩間に拠れば、川田は日本浪漫派に転向した。今では守本学派を継承しているのは陽明学研究が中心の岩間氏しかいない。岩間氏は中国社会を二重の血縁擬制と説明する。宗族と儒教的血縁イデオロギーの二つを云う。守本氏の場合も血縁擬制・血縁的包摂・血縁的差別などさまざまな血縁イデオロギーの諸相を述べるが私は「血縁擬制序列」との理解でイデオロギー内部の緊張(対立)と癒着が説明できると考えた。23歳くらいの時であった。その後アジア的イデオロギーの理解には全体と個だけではなく自然・全体・個の体系を考えるべきで、擬人化した自然的神を拝跪し、神に成りすまし又は神の代理等に成りすますのがアジア的王と考えるようになり、呪術王・シャーマン王より、祭祀王に固定制・伝統的支配性が強いと考えるようになった。
守本氏の追悼集ではカメラや望遠鏡が好きという面と循環器系の持病があるのに、薬に大きな効果を認めるという副作用や運動効果を無視した傾向があったという。守本理論は理論的構成が堅固なので批判がむつかしく、好き嫌いで判定されることが多い。
しかし、朝日平吾・井上日召・磯部浅一等超国家主義者の異端性は血縁序列に対する血縁擬制性の強調と理解すれば良いと思っている。その線だと記紀神話への一面的拝跪は生じない。

コメント(6)

はじめまして。力のこもった投稿ありがとうございます。わたしはこのコミュニティの外れの方にたまに出没するものなのでここに、レスさせてもらうのはマズイかもしれません。

A:国家神道のイデオロギー=血縁的差別と血縁的擬制を一体にした血縁擬制序列
(権力中枢=血縁的序列を軸足とした正統派 を含む)
B:「維新」派=血縁的差別反対。君臣一体のものだったはず

といった構図ですね。
皇室の藩屏としての華族とかを重視する考えが、Aになるわけでしょうか。

伊藤博文などの作り上げたいわゆる天皇制は、やはり久野修が述べたように、「天皇の国民、天皇の日本」であり、イデオロギーとしては、君臣一体以外のものではなかった。というのが私の意見です。(わりと普通じゃないかしら)

つまり上の整理では、伊藤博文も昭和維新派もBで、その内部で違うだけという理解です。
「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が原理なので、「天皇の国民」です。
議論のお相手ができるかどうか分かりませんが、とりあえず。
野原燐
>>[1] のはらさん はじめまして
のはらさんの国家神道系のアマゾン書評コメントは何度か見させてもらいました。適格なものが多かったと記憶しております。さて、拙論はAを主張していますが、Bは主張しておりません。私は非在日ながら在日MLに参加したことがあり(現在崩壊状態 ?)、葦津珍彦の父が朝鮮神宮に壇君を合祀しようとしたことをプラス評価する論に対して、血縁擬制(抱き込み)のためであり、天照と壇君を同等視するようなものでなかったと批判しました。私の「国体の本義」、三浦重周伝「決死勤皇 生涯志士」、「ユングでわかる日本神話」、川田稔「「意味」の地平へ―レヴィ・ストロース、柳田国男、デュルケーム (ポイエーシス叢書)」などのアマゾン書評を見ていただければ、私がマルクス・ウェーバー・大塚久雄などと共に「資本主義的生産に先行する諸形態」を肯定的に評価し、アジア的専制を嫌っていることはわかっていただけると思います。従って私のAの考えは松丸道雄氏や守本順一郎の血縁擬制解釈を下敷きにしており、GHQの神の生殖による国土・皇統・国民の神聖性起源の見方とも相通ずるものです。

記紀の血縁擬制については大国主の北陸女性婚姻譚にみられる地域ネットワークの起源を婚姻譚に置き換えたものは古く、タカミムスビの子孫物部の祖ニギハヤヒを中心とした神性姓氏録の天神系−ムスビ神血縁擬制序列体系が部族同盟の核にあったが、壬申の乱で天武に味方した地方豪族の多くを天孫に再配置しその一つの核である天火明命をニギハヤヒと重ね合わせる作為により、天照を軸とする血縁擬制序列体性を完成させたものであり、記紀は原国家神道で明治政府の和魂洋才政策はアジア的神々の序列イデオロギーを復興させるものであったと考えています。  「伊藤らの考えが「天皇の国民、天皇の日本」であり、イデオロギーとしては、君臣一体以外のものではなかった。」ということは彼らの頭の中ではそうだった可能性があると思います。しかし、別項で述べたように「天皇の赤子」は漢の高祖の頃の古典であり、アジア的血縁的に統治者を家父長に結びつける思考であり、王陽明は反乱勢力を説諭する際に「朝廷の赤子」と語る。国民の天皇は血縁擬制を(北一輝流に)天皇機関説に転轍しながらも記紀の論理を引き継いでいるのではないか。

日本では三島由紀夫・大塩平八郎等が陽明学に接近する。彼らは気と行動の重視こそ陽明学の核という。しかし、陽明学の標語として明代普及していたのは「天理・人欲」であり、個人や現世利益などゲゼルシャフト的な傾向を排し、孝ゲマインシャフト的契機を拡大してバランスを取ろうとするものであり(守本順一郎・岩間一雄)、明治の和魂洋才に繋がる面があると思います。

ちょっと話がずれてきましたが、私は、のはらさんの論理と少し違い、血縁的イデオロギーは、もともと血縁的差別と血縁的抱き込みがセットとなっている。(血縁擬制序列)しかし、どちらを主とし、どちらを従にするかという論理的視点と、ゲマインシャフト優位の論理か、ゲゼルシャフト進展を認めるがゲマインシャフト的な、たがを嵌めようとする統治論が絡み合いの程度と諸形態が、日本の国家主義の諸相を生み出したという見方をしています。

私は通常の行列表の他に多角形や同心円のマトリックスを考えます。同心円のものを可動多重マトリックスと名付けています。ルーレット・曼荼羅の形状に近く、星占いなどの占いや風水によく使われています。基本的にはオカルト用具であるが、種々の組み合わせを考える手段には使えると考えています。

可動多重マトリックスの形状を下記に示します。
和田さま コメントありがとうございます。
  のはらさんの国家神道系のアマゾン書評コメントは何度か見させてもらいました。適格なものが多かったと記憶しております。>
アマゾン書評欄には書いたことがないので、検索結果などでブログをみていただいたのかもしれません。いずれにせよ、ありがとうございます。

以下、お返事書き始めたのですが、まとまりのある文章になりませんでした。
「タカミムスビの子孫物部の祖ニギハヤヒを中心とした神性姓氏録の天神系−ムスビ神血縁擬制序列体系が部族同盟の核にあった」云々の文章については、あまり勉強したことがないのですが、血縁擬制ということで理解はできます。しかしそれはずいぶん昔のことですね。

吉川惟足(1616−94)という江戸時代初期の神道家がいます。彼は日本記(日本書紀神代巻)について「然れば此の書を読むこと神明の内証に入りて天地の神慮を窺(うかが)はざれば、道体は暁(さと)し難し。」と言っています。
「神明の内証」「天地の神慮」といった神道的語彙ではあるが内実は儒教の影響が色濃いものを作っていったことが分かります。儒教の天の抽象的レベルを横滑りさせた用語だと思います。(子安宣邦は「この神の解釈の背後にあるのは儒教でいう明徳の概念です」と言っている。「本居宣長とは誰か」平凡社新書p128)

次に、宣長がこれをどう転回させたのか?
諸神の本は高皇産霊神・神皇産霊尊の二神であると。
「そもそもこの産霊(むすび)の御霊と申すは、奇々妙々なる神の御しわざなれば、いかなる道理によりて然るぞということは、さらに人の智恵をもって測り識るべきところにあらず。」と、不可知論的なことを言い始めてよくわからない。
「「神の道」を伝えるテキストの絶対化とはそのテキストを生み、それらを保ち伝えてきた皇国日本の絶対化です」と子安は解説する。(これが宣長の本心なのか、むしろ昭和十年代の神国的解釈なのか、とも思います。)

私としては、手探りで反論の契機を探しているので、論旨がスッキリしておらず申しわけない。

言いたいことは、記紀神話には、確かに天皇の血統がアマテラスなどにまで遡れると書いてあるのでしょうが、そこにある「血」あるいは系譜の正当性の根拠という問題意識は、吉川惟足や本居宣長にはないようだ、ということです。

>>「天皇の赤子」は漢の高祖の頃の古典であり、アジア的血縁的に統治者を家父長に結びつける思考であり、王陽明は反乱勢力を説諭する際に「朝廷の赤子」と語る。国民の天皇は血縁擬制を(北一輝流に)天皇機関説に転轍しながらも記紀の論理を引き継いでいるのではないか。<<

王陽明の話は興味深いですね。どんな本に載っていますか。

井上哲次郎『勅語衍義』(1891)の「国君ノ臣民ニ於ケル、猶ホ父母ノ子孫ニ於ケル如シ。即チ、一国ハ一家ヲ拡充セルモノニシテ、一国ノ君主ノ臣民ニ指揮・命令スルハ、一家ノ父母ノ慈心ヲ以テ、子孫ヲ吩咐スルト、以テ相異ナルコトナシ」、こうしたものが家族国家観の典型と言われています。
これは、血縁擬制ですね。
それを北一輝は「実は天皇に非らずして彼等山僧等の迷信によりてほしいままに作りし土偶」と激しく罵った。

といろいろ考えても、わたしにはどうも「血縁」というもの自体がよく分からないようです。
A.権力中枢=血縁的序列を軸足とした正統派 というものがはたしてあったのか?という疑問です。
(マルクス・ウェーバー・大塚久雄などと共に「資本主義的生産に先行する諸形態」を肯定的に評価し>世代的にはこのあたりの教養が私に皆無なのはひどく恥ずかしいことですが)

乱文失礼しました。 
野原燐(わたしの名前は漢字が正しく、「のはらりん」はmixiに入り直したときに無理に入れただけの名前です。まあどちらでもいいですが。)
のはらさん
朝廷の赤子についてはhttp://hikaze.hatenablog.com/entry/2015/06/07/155419
中段「匪賊を討伐」の項を参照。また岩間一雄の「中国政治思想史」記載の書き下し文を下部に掲げます。江戸時代薩摩藩が尾張の治水難工事で死者を多数出した事実が明治時代都市神話となりhttps://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/47058638.html
家老の平田某が「四海同胞と申し、およそ日本国中の人々は、皆我らが兄弟同胞である。皆等しく天子様の赤子でござる。我らが同胞の難儀を救い、朝廷の赤子を助け参らするは、仁義を経とし、忠孝を偉とする薩摩武士の本分でござらぬか」と語ったとの伝説を生んだ。私は当初事実かと騙されていたが、黄門神話の類で後世作為的に創られたものらしい。注目すべきは「天子の赤子」と「朝廷の赤子」が同居していることで、日本も政治過程によっては朝廷の赤子呼称が主流になったかもしれない。
のはらさんの疑問は、私が古代エジプトやインカ時代の論理を持ち出し戦前日本の政治思想を論ずるのはアナクロニズムということだと思います。

私は血縁擬制序列とは、レジテマシー正統の極北だと考える。
維新を神武創業に返る復古と宣伝したことから平田派神道者などが驚喜するが、洋才と抱き合わせであったことに失望、戦前でも記紀神話を先例として墨守しようとした時代は限られることから、葦津珍彦流に血縁的な神道流布などされていない、GHQの神道定義は誤解であるとの主張が根強くされているが、私はむしろ日本会議などが占領軍に祭祀権まで譲り渡していないとの主張を今も、続けることに注目したい。
民族の定義として血統と文化の同一性が云われる。血縁擬制序列はそれ自体で独立していることは少なく、祭天(祭祀)序列などの形式でも現れる。中国古典に「天子は天を祭り諸侯は山川を祭り庶民は祖先を祭る」という意味が記載されているものがある。儒教の五倫五常で血縁的秩序を中心とした道徳を定置するが儒教全体としては、血縁的色彩は薄められる。時代の変化は剥き出しの血縁的差別から祭祀擬制序列→文化擬制序列と変容する。儒教の基本は「修身済家治国平天下」表現のとおり、治国の道を説く政治学。政治学を基本とするが同時に礼楽を補助とする。礼は規範と礼儀・道徳など多義的で楽も音楽に限らず文化的な存在で徳又は仁の政治の補助線ないし後景を構成する。
橋川は三島由紀夫に政治の論理と美の論理は異なり、両者を混同するなと説くが前近代では後者は並立ではなく、一体化もしくは後景・道具として存在する。

現代の超国家主義者は在特会など一部を除き、血縁的差別・優越をあからさまにしない。
1920年代からの超国家主義者もそう見える。しかし、私が曽野綾子の「ある神話の背景」を研究してわかったことだが、日本軍は鹿児島県に属する喜界島の島民を公文書で「住民」と記載するが、沖縄島民を「土民」と記載していた。その点、大江健三郎の沖縄ノートは正確に事実を記載していた。そして、太平洋諸島の島民を「土人」と記載した。
中国・朝鮮についても支那・チャンコロ・鮮人など侮蔑的な呼称をしていたのはご存じのとおり。日本が欧米以外で最初に産業革命に着手したことも優越感の一因を成すが記紀の国生み神話を血縁的差別の基底にしていることは否めない。頭山満などがアジア民族と対等な思いで付き合っていたか。おそらく違うだろう。優越感が垣間見える。下っ端はアジア民族を欧米と戦わせる駒と考えていただろう。北一輝の中国革命観も維新革命の輸出に見える。

儒教と習合した水戸学は政教祭一致を云う。明治以後行政は一般国民には祭政一致を宣伝した。教とは儒教的政治学であり、祭は皇室神道などの祭祀を云う。何故このような三位一体的説明をするかというと「血」あるいは系譜の正当性の根拠を論理で語るとトートロジー(循環論法)にならざるをえないからだろう。国家神道や水戸学・日学同などに拠ると日本は道義国家であり、日本主義が世界統一理念とならねばならない。その根拠は記紀神話の国生み神話・天壌無窮の神勅・神武の大和征服の事実であるという。

超国家主義者から公共性・有効性・効率性の観点からの正当性(ジャステイス)はもちろん、宗派・教理・哲学的な観点(ドグマ正統又は正当)からも日本主義の正当性が語られることはない。 すべての正当性は系譜的(レジテマシー)正統性(起源の正統性)に包摂されるとの軸足は絶対であり、疑問を差し挟むことは許されない。そのような前提でのみ議論が許される。
最近の歴史・伝統・文化の三位一体論も特定の傾向を正統とし、他の傾向を無視又は弾圧し、伝統の改廃を認めない立場であれば、レジテマシー正統論理を超えるものではない。

「血」とは何か?
明治憲法の「万世一系」は、西欧起源のものか?それとも記紀あるいは数千年の中国思想史に遡るものか?
私はよくわかりません。

>>中国古典に「天子は天を祭り諸侯は山川を祭り庶民は祖先を祭る」という意味が記載されているものがある。儒教の五倫五常で血縁的秩序を中心とした道徳を定置するが儒教全体としては、血縁的色彩は薄められる。時代の変化は剥き出しの血縁的差別から祭祀擬制序列→文化擬制序列と変容する。<<

最近、中公新書の「周」という本を読み、周室が800年も続いたと知り、すごいなと感心しました。私の不勉強を棚にあげていうのはなんですが、周室の終末=血の危機!! というふうには同時代の人はほとんど意識しなかったようですね。
論語も少し読みましたが、血縁的正当性を述べたところなどあまりなかったように思います。有名な「君君たり、臣臣たり。父父たり、子子たり。顔淵第十二 11」とは、むしろ君なり、父なりという価値を自分でちゃんと用意しなさいよという思想でしょう。
「剥き出しの血縁的差別」なるものがはたしてあったのか、ちょっと疑問です。わが天皇制の原初も、有力部族間の合議で決まったようなイメージを持っています。

>>しかし、私が曽野綾子の「ある神話の背景」を研究してわかったことだが、日本軍は鹿児島県に属する喜界島の島民を公文書で「住民」と記載するが、沖縄島民を「土民」と記載していた。その点、大江健三郎の沖縄ノートは正確に事実を記載していた。そして、太平洋諸島の島民を「土人」と記載した。
中国・朝鮮についても支那・チャンコロ・鮮人など侮蔑的な呼称をしていたのはご存じのとおり。日本が欧米以外で最初に産業革命に着手したことも優越感の一因を成す<<
沖縄戦における「沖縄人差別」および、それに先立つ大陸侵略期における「朝鮮・中国人差別」について、非常に重要な問題であることは確かです。
曽野綾子・大江健三郎問題については、私も下記で書きました。
http://sogets.o.oo7.jp/re54.html#54-1
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820#p1

この巨大な現象をどう理解するか、ということですが、わたしはむしろ、植民者として現地人と向き合う必要があり、法律や知識だけでは自分を支えられなかったので「差別意識」がその情況に必要なものとして作られたという説です。その元ネタは記紀以来いくらもあるのですが、それらは元ネタにすぎない、と考えます。

「国家神道や水戸学・日学同などに拠ると日本は道義国家であり、日本主義が世界統一理念とならねばならない。その根拠は記紀神話の国生み神話・天壌無窮の神勅・神武の大和征服の事実であるという。」>朝鮮だけならまだしも、大東亜から世界へと拡大するなら、八紘一宇としてむりやり論理に普遍的装いを被せざるをえず、「血の論理」はむしろ隠すしかないものだったのではないでしょうか?

>>宗派・教理・哲学的な観点(ドグマ正統又は正当)からも日本主義の正当性が語られることはない。すべての正当性は系譜的(レジテマシー)正統性(起源の正統性)に包摂されるとの軸足は絶対であり、疑問を差し挟むことは許されない。そのような前提でのみ議論が許される。<<
だれが、そういう議論をしているのでしょうか?

>>ですから、今の皇室問題は皇室典範を改正すればそれでことが済むと思うのは、この正統性、レジティマシーではない。いわば法的正当性にすぎない。
そうすると、皇統で言いますと2665年の長い長い歴史の中で、男系男子の天皇が繋がってきたという、この歴史ですよね、こういうものこそが最高峰の正統性なんです。http://hepoko.blog23.fc2.com/blog-entry-102.html <<
今の皇室問題について、確かに明治憲法以来そういう主張はあえます。しかし千年以上そうした「正統性」が実際に生きていたのかというと私はとても疑わしいと思います。

以上、雑駁な感想でもうしわけないです。 野原燐
血とは何かとは非常に広い概念で、考証対象は思想・構造に限定します。クロマニヨン人がネアンデルタール人との生存競争に勝った原因は、前者は狭い地域に孤立したが、後者はネットワークを構築していた。そのネットワークは物資の交換と配偶者の交換機能があり、後者から氏族組織とトーテム観念が生まれたと思う。下に最古の洞窟壁画フランスショーベ洞窟の最深部の画像を示す。下地が悪く、遺跡保護の観点で全貌を撮さなかった当初は雌性器を持つバイソンとして知られたが、数年後少し奥まで撮すとバイソンと猫科動物の交尾だ。動物が進んで異種交配をすることはないとされるので、トーテムを異にする集団が配偶者を交換する結びつきを表現したと考える。集団相互や集団内部で格差が少ない場合、血縁擬制は長所しか見いだせない。新たに遭遇した集団は異集団で敵になるか新たな血縁擬制で関係を結ぶかだろう。

儒教の基本は五倫五常。「五倫五常 血縁思想」で検索し、4番目のサイトhttp://blog.livedoor.jp/houzaishin1963/archives/2309843.html
に「現実の身分血縁による階層秩序の強化」との記載。5関係の内、親子・兄弟・夫婦は血縁関係である。君臣関係の忠を血縁的に解釈(日本では、より一層忠孝一致を強調)するから朋友関係のみ血縁思想と無縁。中国儒教では血縁は秩序と関係づける。 伝統的支配の典型、家父長的支配を血縁的・自然なものと関係づける。
丸山真男は日本主義のレジテマシー正統について、ドグマ正統のふりをすると語った。丸山は正統と正当の区別がいくらか緩い。だから、ウェーバーの支配類型の訳語に正当ではなく、正統を当てる。しかし、レジテマシーとドグマ正統の区別をしているのは丸山の功績だと思う。そして、日本主義の伝統を古層とか、執拗低音と名付けた。執拗の前に通奏低音と名付けたこともあり、一般人はそちらを使うことが多いが宿命論になる。私は、運命は女神である。だから運命を支配するには殴ったり蹴ったりしなければならないというマキャベリの後半部分に一抹の真理を認め、永遠の伝統はないと思う

執拗低音は記紀による神話改竄から始まった。一般人で大国主・天照・神武・吉備津彦などを実在の人物と信じているものが多い。記紀神話と神社の祭神になっていることが大きい。記紀神話が血縁擬制序列関係の創立又は再編であることは間違いない。津田左右吉の欠史8代論が先後普及したが、最近神武実在説を唱える面々も増加している。たとえば、安本美典は九州邪馬台国説と邪馬台国東遷説をセットにする。その前提として天照を卑弥呼に比定し神武を実在とし、欠史8代も否定する。だが誤りである。日本書紀は本記など司馬遷の史記を参照している。史記は周王朝の前の殷と夏王朝の実在を記し周・殷・夏は三皇五帝などの子孫として王朝創設者の前にも長い10代程度の系譜を記載する。これは、周・殷・夏を中華の系譜を引くとする論理から創られたものである。中華民族の創設だ。落合氏の研究などで史記の殷王に実在しない者がいることも確実。

私はそれらの論理の類推ではなく、安本氏の29代実在説と物部の祖ニギハヤヒの実在を認める論拠から導かれる系譜の矛盾を指摘し、安本流の論理と確率論からしても29代実在説が成り立たないことを論証してみたい。多数の神話学者が指摘するようにタカミムスビを祖とする血縁擬制関係は天照の改変以前に形成されていた。安本は初代の神武から29代の欽明まで実在性を認め王の在世1代10年少しが世界的にこの時代の平均で、系譜が長くなればなるほど確率的が効いてくるので合致したという。しかし、溝口睦子の「古代氏族の系譜」で天皇系譜より古い伝承を持ち伝承の改変が少ないとされる物部系譜は神武と同世代のウマシマジから欽明の代までで13世代。もう一つ天皇系譜に遜色しない古さを持つ大伴氏の系図は神武と同世代のアメノオシヒから欽明の時代も生きた大伴金村まで14世代。確率論から物部と大伴の世代数の違いが少ないことと相俟って29代のうち半数は実在性が疑われる(後世の造作)との結論しか出てこない。もちろん物部・大伴の先祖も名称などの正確性は疑わしいが、伝承が改竄された可能性は天皇系譜より格段に低くなるとの結論にしかならない。安本は都合の悪い事実は隠す。朝倉市に分布する地名が飛鳥の地名や位置が数十箇所一致することを持って朝倉市を邪馬台国とし、邪馬台国東遷の証拠とするが、数百年前の小字は記憶から消えやすい。朝鮮出兵に具え朝倉遷都した斉明は道教に凝り、道行きを決めたりしている。験を担いで飛鳥の現地名を元に朝倉の諸地名を変更したと考えるのが自然だろう。
安本の論考過程に見られるように記紀神話の真実性を信じることが執拗低音の発信源であることは否定しがたい。

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