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橋川文三を考えるコミュの網野善彦をどうとらえるか?

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僕が今はまっている渡辺京二の文中に、日本中世史学者・網野善彦を糞味噌に批判する箇所があって驚き、mixiの日記に引用しました。網野氏の著作は断片的にしか読んでいないものの、網野氏が提示した著作がここ20、30年で最も影響力ある日本史像の一つだったことには異論が少ないと思います。

以下の渡辺氏の網野批判は、根拠のない言いがかりなのか、それとも当たっているのか、今の僕には判断がつかないので、皆さんの忌憚のないご意見を伺いたいと思います。

*************

渡辺京二の網野善彦批判

2015年12月26日22:54全体に公開
読みかけの渡辺京二『アーリイモダンの夢』(弦書房、2008)に日本史学者・網野善彦への批判がある(2002年発表「徳川期理解の前提」中の一節)。引いてみると、

<戦後の左翼史学は散々馬鹿の限りを尽して来たのだから、彼らの最近の言説になし崩し的な方向修正の気分が出て来ているのは当然の成りゆきといっていい。しかし、現代フランス思想や文化人類学的視点などを輸入しながら行われる彼らの最近の言説は、パラダイム転換の花火を打ち上げながら、依然として古典左翼的な骨格に貫かれている。
 網野善彦の言説はその典型である。(中略)この人は史学の最新の動向をよくフォローするが、根本的には自説を崩壊せしめるはずの他者の説を、まるで自説を補強するもののように扱ってゆく手つきにはおそれいらざるをえない。
 そもそもは網野が、ヨーロッパ中世におけるアジールを、古ゲルマン以来脈々と流れる人民の原初的自由などと解釈するのがナンセンスなのだ。(中略)アジールには人殺しだって何だって逃げ込んだのである。(中略)
 網野の書くものには人民的な自由・平等といったスローガンが溢れ返っているが、そのいずれもが極めて近代的に解釈された自由であり平等であるに過ぎない。…>

網野善彦はここ20〜30年で最も多数の読者を獲得した日本史学者だろう。しかし、渡辺氏にかかれば形無しの観がある。若かりし頃の吉本隆明の批評文を思い出した。

コメント

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イイネ!(1) まつき
コメント
まつき
まつき2015年12月26日 23:00
呉智英もこういった文脈で網野を批判していたかと思います。

コメント
GandhiGanjee2015年12月26日 23:11
> まつきさん 
コメントありがとうございます。そうですか、呉智英のほうは読んでいませんでした。

かまいち2015年12月27日 11:47
渡辺さん、ちょっと悪口雑言がすぎますね。
彼も左翼崩れだったはず。
いつ転向声明したのでしょうかね。
困ったものですね。

かまいち2015年12月27日 11:48
> まつきさん 呉智英はもう芸の領域に入ってますねー(笑)。

GandhiGanjee2015年12月27日 22:22
網野善彦は「マルクス主義史学」終焉後の日本史研究者で最大の存在に見えていたので、渡辺氏の仮借ないコテンパンの批判に一瞬絶句したものの、論の内容そのものは説得力があると思います。

具体例として上記でも挙げた「アジール」は、後期というかブレークしてからの網野史学を構成する重要な概念だと思いますが、その理解は渡辺氏のほうが正しいのではないか、と思える。

かまいち2015年12月27日 23:54
アジールには善人も悪人も存在した。そんなことは当たり前のことです。それだけで網野さんのことを批判するなら、敬愛する渡辺さんをあきらめるしかない。所詮、アカデミズムに容れられなかった人間のル・サンチマンを感じます。

じゃあ、渡辺さんは、阿部勤也さんの西欧中世史研究はどう評価するのでしょうかねw。ドイツ語読めねえから無理かw。

なんかこの問題、コミュでやりたくなりましたねw。

佐渡行以降、ずーっと、小説書きと電子工作に淫して、でサボってましたからね。

コメントしてくれた人もコミュの人ばかりなので、問題ないと思いますので、コピペお願いします。

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引用箇所を見ると、アジールを「人民の原初的自由などと解釈するのがナンセンスなのだ。」という点、「アジールをどうとらえるか」「アジールとは何か?」が渡辺氏の網野批判のポイントの一つのようですね。 by GG

コメント(2)

網野氏の著作は何冊か持っていたものの、引越などの際に全て処分してしまったのか、手元にないので、すぐには再読、確認できない状態。

現時点で考えられるのは、フランス歴史学の動向などの影響を受けて網野氏が導入した「アジール」の概念の中に、必要以上に理想化する部分があり、渡辺京二はその辺に対し敏感に反応、反発した、ということでしょうか。
ことは「アジール」に限らず、上記の引用の最後に、網野氏の書くもの全般に見られる「極めて近代的に解釈された自由であり平等」への批判があるから、やはり渡辺氏は網野氏の「歴史観」そのものを批判していると考えられる。

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