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橋川文三を考えるコミュの2012年の橋川文三

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「2011年の橋川文三(←http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59399401&comm_id=938199&page=all)」というトピがあるのに、「2012年の橋川文三」がないのは解せません。

いろんなテーマで分岐するのはよいことですが、<橋川文三を考える>コミュである以上、肝心かなめの橋川文三本人を真正面から語るトピは必ず必要です。

よってこのトピを設けます。トピ立ての趣旨、これだけで充分かと思いますので、さっそくこのトピのオープニングの問題提起に入らせて頂きます。

このトピの最初の問題提起。それは、これ↓です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆橋川文三の正統的後継者としての猪瀬直樹(?!)◆
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まず括弧の中の記号に注目頂きたい。この「?」は、なに言ってるの、どういう意味、ありえない、の「?」です。「!」は、そうかもしれない、ちょっとだけ賛成、全面的に賛成、の「!」です。いまのところこのコミュのほぼ全員の方が「?」かもしれません。

このコミュの管理人(隠遁中)であるかまいちさんはかってこう述べていらっしゃいます。批判対象は匿名ですが、この対象者が猪瀬直樹氏であることは明白でしょう。かまいちさん曰くーー、

ーーー橋川の弟子でとんでもないヤツは皆無ですね。おそらく。頽廃して害毒を都道府県民に流し続ける小物はいるでしょうが…・(笑)。あいつはゼミ員ではありません。院生の身分で自分の原稿を売り込みに来てた男です。橋川さんの目の黒いうちはなかなかよいものを書いていましたが、没後はあのていたらくです。
(【「3.11以降のこと」にたいして思想は何ができる】トピ・?134(2011年05月24日)

ところで私はこういう日記を最近書きました。⇒「猪瀬直樹の明治大学での講演」(2012年05月07日) (http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1843345839&owner_id=4498150)。

この日記の内容は、猪瀬直樹氏の今年に入ってからの明治大学での講演を紹介し、結論として、「 私の猪瀬直樹氏に関する『直観』は、彼は橋川文三に関する敬意を失っていない、したがってその一点において、猪瀬直樹氏の才能に対する共感を失うことはありえない、あってはならないというものです」と述べたものです。

このコメントを含む私のその日記に、かまいちさんは「イイネ!」をつけておられます。1年前のかまいちさんからは考えられない事態です。「?」から「!」へ。このコミュにおいて猪瀬評価が変わることはありうるのか、ありえないのか。そのための叩き台の資料を提出したいと思います。

            ★

松本健一氏と猪瀬直樹氏が、『図書新聞』平成8年1月20日号において、猪瀬氏の著書『ペルソナ 三島由紀夫伝』を巡って、両者が対談を行っています。
(【対談】三島由紀夫と官僚システム 『三島由紀夫と戦後』中央公論特別編集 2010年10月20日刊)

この対談において、二人は、「橋川文三の方法」(←対談第一節の表題)を巡って激突しているのです。そしてその激突は、結果からみると、猪瀬直樹の方にやや分がある、というふうに感じてしまうのは私だけでしょうか?

ふたりの対話のエッセンスと思われる部分を引用してみます。本日の時点では、この引用に関して、これ以上私はコメントを加えません。問題提起終わりです。それでは。

            ★

【対談】三島由紀夫と官僚システム  松本健一●猪瀬直樹


松本 僕は橋川は非常に直観的な人だと思います。この辺りに何か暗い影がかかっているな、と。そういったキーポイントを捉えるのがうまい。

猪瀬 大学院で、僕が修士論文を提出した時、橋川はまず文章がいいかどうかを見るんです。文章がいいとなると次には引用の一字一句を全部チェックする。事前の指導はしません。そういうことはしない人だから。で、内容に問題はないとなると、次には引用の漢字がひとつでも間違えていると指摘する。校閲みたいにね。極端に言えば正しい引用だけあればいいんだみたいな言い方もしていました。つまり、重要なのは事実であると。引用というのもひとつの事実なんですね。彼の手法はノンフィクションのものだと思うんです。ファクトがあればいい。正確な引用を求めているんです。

松本 橋川の方法はあなたのやりかたとは逆のものとしか思えなかった。あなたはノンフィクションだと言うけれど、その方法はあなたの方法であって、彼のではない。橋川の「三島由紀夫伝」は、あなたにとって反面教師ではなかったんですか。

猪瀬 いや、いちばん参考になったんですよ。竹内好さんの文章について橋川さんは、彼の文章は引用だけなんだけれど、引用だけ上手にできればいんだと言った。そんなもんかな、なんてその時は思ったけど。

松本 あとは文章がよければいい?

猪瀬 引用をつなげる文章がきちんとしていればいい、というわけです。もっともどこを引用するか、じつはそれが一番むずかしいんです。引用する場所でその人の理解度と主張がはっきりするわけですからね。

松本 彼は編集者としての名残なのか、そうではなくて資質的なものなのか、非常にファクトを大事にする。事実の手触りをあんまり下手にいじらないでいようとするんですね。そのような意味では資質的なものなんでしょうか。

猪瀬 ファクトとについての緻密さというのは、じつは引用の緻密さに通じる。それが彼の方法論だと思いますね。彼の場合には、一つひとつのファクトの積み重ねが緻密で、絶対矛盾がない、そういう完璧さというものがあるんです。

              ★

※追記:考えてみれば、このコミュに参加して今回が私の最初のトピ立てです。べつに遠慮していたわけではありませんが、感無量のものがあります。

コメント(69)

猪瀬の『鏡子の家』評、良いでしょうか。僕にはごくありきたりな切り口だと感じられました。猪瀬直樹よりもダンボールさんのほうが興味深い思想家ですから、なぜダンボールさんが猪瀬にまなざしを向けるのか、には興味があります。

23、26 

勉強になりました。橋川と三島、二人の往還についてはまだ知らないことが多々ありそうです。宮嶋書にも当たってみたいと思います。

>。結果から逆算して橋川は三島を少しナメていたのではないかと言われても私は仕方がないと思う。

ひじょうに説得力があり、頷きたいのですが、橋川の冷たさにもやはり深い理由があるように思います。橋川はある種の冥いパトスを抱きつつ明晰に書いた希有な思想家でした。その奥底の部分に三島は共鳴したし、慕っただろう。そしてそれを分かっていたからこそ、橋川は三島を突き放したのだろうとも思うのですね。三島と森田必勝との関係とは決定的に違う。
橋川の、葦津珍彦への応答にも、同様のパトスの理解と共有と・その瞬間に離れていく冷たさを感じたことがありました。
何でしょうかね、これは。

わかるようで、いまいちよくわからない。しかし、わかるような気もする。?
なるほど、そういうことですか。

ハタと心の膝を打ちました。勉強になります。大変、期待しております。
37 ダンボールさん

<丸山が語っている如く「戦前の日本は一億総オウムの時代だった、そう考えると非常によくわかる」。>

丸山真男は、そんなふうに言っていたのですか。
オウム事件の頃、橋川さんはすでに亡くなっていましたが、吉本隆明は丸山の言葉にどう反応していたのか…。
真面目にオウムのことを考えていませんでしたが、戦後の精神史や、戦後史にどう位置づけるのか。確かに問題ではありますね。
世代的要因もあって、僕自身は、連合赤軍、あさま山荘、テルアビブ空港乱射…と続いた新左翼過激派のほうにインパクトを受けましたが。
ダンボールさんの気持ちはわかります。が、が、が、が......
猪瀬知事の都治世を見てみたい気もあります。
橋下や河村よりは勿論、石原よりもずっとましだと思う。
ところで、政治思想史家で、リアル政治家になった人って誰がいるだろう?

うーん。思い浮かばない。
あえて、近いのを探せば川勝平太、神山茂夫、北岡伸一?
>これ以上猪瀬直樹氏が橋川文三の正統的後継者かどうかを考察する意味はなくなったと判断し、本日を持ちまして上記連載を終了させて頂きます。

よく理由がわかりません。正統な後継者という発想そのものが<宗教>を産むのではないですか。
私的には猪瀬はキライですな。
久しぶりの、酔言かまいち。
おもしろい問題提起ですね。

ただ、シュミットの言う友敵理論は意外に難しくて、ハードルが高いのですね。ダンボールさんもよくおわかりのように、シュミット自身の友敵理論のものさしというのは簡単なものではないのですね。シュトラウスによっておびき出されるようにして導き出されたシュミット自身の友敵理論の具体例というのは、たとえば次のようなものなのですね。私が以前日記に書いた文章の中から引用してみますと−−


――大規模な政治の頂点は、同時に、敵が具体的な判明さで敵として洞察されるような瞬間である。−(略)−私が見做すのは、――クロムウェルがカソリックのスペインに対して戦ったような、そうした敵対関係の極めて強大な勃発である。(シュミットからの引用)

ピューリタンのクロムウェルが、カソリックのスペインを不倶戴天の敵とみなした瞬間。そしてもうひとつ挙げたのが、「教会の聖戦と十字軍」。ここにあるのは、「道徳」ではない。そこに生まれた者はひとり残らずその精神と肉体に刻印された運命である。(これは私の日記の文章)


続けて私は、次のように書きました。


シュミットの国家観は厳しい。戦争においては、国家は個人に殺人を命じ、さらには命の提供さえ求めることができる。ほかの集団であれば、どのような集団であろうとそのようなことが許されるはずがない。しかし、国家間の戦争においては、それが許される。すでにして「絶対者」と呼ぶに値する国家は、なぜそのようなことが許されるのだろうか。

シュミットは「パトリオティズム」や「ナショナリズム」という言葉は使わない。「大規模な政治の頂点」、「敵が具体的な判明さで敵として洞察されるような瞬間」、「敵対関係の極めて強大な勃発」。そこにあるのは、その国家に生まれた者の「運命」であり、マイヤーの言葉で言えば「信念」である。シュミットは「友−敵理論」という政治力学を強力に説いたが、その自らの核心部分には、ほとんど語られざる「信念」、マイヤーの別の言葉で言えば「政治神学」が存在していたのである。かくして、シュミットとシュトラウスの間には、政治神学と政治哲学の「深い差異」が横たわっているのである。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1852322931&owner_id=19663839


マイアー(シュトラウス)という梃子を使って捉え得たシュミットの友敵理論の真の姿というのは上記のようなものだと思うのですね。その時に、橋下において実見される政治的な動きというのは、私の目には、あちらと思えばまたこちらに動くような、シュミットが「政治的ロマン主義」と命名したようなものに見えるのですね。

少なくとも私には、「大規模な政治の頂点」、「敵が具体的な判明さで敵として洞察されるような瞬間」、「敵対関係の極めて強大な勃発」、というようなものには見えないのですね。たとえば原発問題。これは、現代日本においては「大規模な政治の頂点」の問題だと思います。ここにおいてひよってしまう姿、あるいは当初の志からすればまさに「敵」とみなされるべき石原とくっついてしまう姿。私には「政治的ロマン主義」にしか見えないのです。

憲法問題よりも前に、こちらの「敵」を倒さなければならないのではないでしょうか。
さらにもうひとつ言えば、橋下が秋波を送り続けてきた政治リーダーは、大体順番通りに言って、小沢、安倍、野田、石原、となります。現実の権力者か、将来の権力者候補です。さらに、首班指名選挙では、「安倍に投票せよ」とまで言いました。石原とは早晩別れるでしょう。シュミットや原発のような高次の政治問題レベルまでいかなくとも、彼にとっての敵、味方はいったい誰なのでしょうか。
ダンボールさん マックスさん

面白い議論ですね。
(正直、僕には橋下よりも橋下を論じるお二人のお話の方がずっと面白い…。)

橋下徹は、読売新聞の分析する通り、「空っぽ」です。だから強い。だから新しい。彼が昔書いた交渉術モノの本を読むと、たとえ言ったことが結果として間違ってしまっても、「時間が経ったのだから、変わるのは当然だ」と居直ればいい、とあります。これ、ディベートのテクなんです。あまり深い意味はない、というか、そもそも深さそのものがない、どこまでもフラットなテクニックしかない。橋下とは、政治的ロマン主義というよりも、政治がザハリヒにテクニックでしかなくなった果ての、政治的ニヒリズムのようなものではないかと思っています。

シュミットに引き付けて言うと、友敵とは闘技であるということがある。道徳の良い悪いではなく、相容れない者同士が運命としてぶつかりあうことの政治の本質がある訳でしょう。シャンタル・ムフなんかはここをシュミットからもらい受けてラディカルデモクラシーを構想したりする。だから闘技のルールというか、闘技場というか、舞台設定をきちんとすべきだという、ハーバーマスにも重なるような話になってくる。

ところが、橋下の場合、友敵の闘技そのものはどうでもいい。目的は、敵を設定し、戦ってみせることで、闘技場の観客をジャックすることにある。戦いそのものは勝とうが負けようがどうでもいい(公平なルールは要らない)。これじゃあムフの立場はありません。ひいては、シュミットの友敵理論はどんな変質を被るのか―。
橋下徹という人物や彼が巻き起こしている現象について、自身ではまともに考えてみたことはなかったのですが、彼をめぐるダンボールさん、マックスさん、nosさんのコメントに刺激を受けました。

ただ僕の印象、直観では、彼は、マックスさんが言われるように、シュミット論のような高次の政治問題レベルまで行かないさまざまな次元で問題にぶつかりそうであり、nosさんの言われる「橋下とは、…政治がザハリヒにテクニックでしかなくなった果ての、政治的ニヒリズムのようなもの」という指摘が妥当のように思えます。
シュミットの言う「政治的ロマン主義」というのは、そういうようなものなのです。権力を求めて右往左往しているのです。

差別化を指摘するときには、きちんと原典を読んでから指摘されたほうがいいですね。
マックスさん「シュミットの言う『政治的ロマン主義』というのは、そういうようなものなのです。権力を求めて右往左往しているのです。」
ご教示有難うございます。
僕は、シュミットは、まともに読んでないままです。(昔、読みかじった気はしますが、身になっていない)

昔、三島由紀夫存命中の1968年刊の野口武彦『三島由紀夫の世界』を読んだとき(僕が読んだのは三島の死後ですが)、シュミットの「政治的ロマン主義」理論を援用すると、三島の主要作品と対外活動の軌跡があまりにも鮮やかに説明できてしまうことに、不満を抱いたことがあります。極端にいうと、「政治的ロマン主義」という機械仕掛けが服を着を着せられ、動かされているのが、三島という人形――と言うと、言い過ぎかもしれませんが。

それほど、「政治的ロマン主義」という概念は、少なくともヨーロッパと日本に共通する、近代国家・社会におけるある種の人間の精神類型と行動パターンを普遍的に抽出しえている、ということなのでしょう。
61ダンボールさんの
『彼にとっての終始一貫した味方は家族だけでしょう。…彼にとって家族以外はすべて潜在的に敵になりうる存在。…』から思い出したのは、田中真紀子と小泉純一郎について、それぞれ別の著者が書いた本に、まったく同じ言葉=世界観が出てきたことでした。

それは、『○○家の人間にとって、世界中の人間は、「身内」「敵」「使用人」のいずれかである』ということ。「○○家」には、「田中家」と「小泉家」がともに入り、この点でそっくりという。

これは貴族や富裕層の典型的な世界観だと、ある方が指摘してくれました。
(政治理論としての「友・敵」理論とは次元が違うのでしょうが…。)
>>[62]
>とにかく橋下徹現象は、この橋川コミュで、すべて解明してしまいましょう。かまいちさん、いかがでしょう?
どうぞ、どうぞ、ご自由にやって下さい!期待してます。
橋下が安倍内閣を評して、「そうそうたる顔ぶれ。層の厚みを感じる」と話しましたが、われわれはこのような言葉を聞いて、どう考えるべきなのでしょうか。

http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9%E3%80%80%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%86%85%E9%96%A3&source=web&cd=2&cad=rja&ved=0CDYQFjAB&url=http%3A%2F%2Fsankei.jp.msn.com%2Fpolitics%2Fnews%2F121226%2Fstt12122619410017-n1.htm%3Futm_source%3Ddlvr.it%26utm_medium%3Dtwitter%26utm_campaign%3Dnews_bot_1&ei=BarbUK2nHsvKmgWspYHQCw&usg=AFQjCNFgzO5cGRk94VDyYRH2RGPpsR8rjw&bvm=bv.1355534169,d.dGY

社交辞令のひとつとも考えられるが、国権主義に近い思想的同質性を感じ取っての発言とも受け取れます。

しかし、いずれにしても、この「そうそうたる顔ぶれ」が、橋下が倒すことを標榜している官僚制に支えられ続けて初めて「そうそうたる顔ぶれ」となったという事実は否めないでしょう。この角度よりの批判に照らして言えば、果たして橋下の「敵」というのはどこにいるのかな、と疑問に思うことも確かでしょう。

シュミットよりの視点からしてもムフよりの視点からしても疑問符がつくことでしょう。もちろん、橋下は政治思想史を研究しているわけではないので、そのようなことは本人のあずかり知らないことではありますが、われわれはこういうことを論じることにより、橋下という政治現象の軌道を読むことができるかもしれません。

新しくコミュを立ち上げるのであれば、やはり最も深く橋下を評価されているダンボールさんが中心になるのがいいように思うのですが。
ダンボールさんの正体は、実は橋下徹では?

ハハハ、と思わず心の中で笑ってしまえるようなダンボールさんのコメントでした。もちろんいい意味での笑いなのですが、なるほど橋下はたしかにそのように考えているのかもしれないな、と好感しての笑いです。ダンボールさんの感度のよさでしょう。ただ、やはり安倍にすり寄っているだけではないか、という疑いももちろん完全には拭い去られてはいませんね。

いずれにしましても、やはり橋下現象を議論するには、懐が深く、感度も鋭いダンボールさんが中心になるのが一番いいでしょう。

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