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子猫をお願いコミュの映画評「もし、あなたなら6つの視点」

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あつかましいついでにこちらも書き込みます。


世にオムニバス映画は数あれど、ここまでの成功作はそうあるものではない。この映画は、韓国人権委員会が企画した「人権」をテーマとした6つのエピソードから成る作品である。

やはり“監督”の映画となってはいるのだが、6人の監督はパンフレットによれば次の3つの条件を充たしていることとして、選ばれたのだという。即ち、
?人権と言うテーマに関心があること。
?現在も作品を作りつづけている現役監督であること。
?年齢及び性別をまんべんなく配置すること。   以上の3点であった。

作品の紹介をしておくと、
?『彼女の重さ』20分。イム・スルレ監督(44歳・女性)
?『その男、事情あり』18分。チョン・ジェウン監督(36歳・女性)
?『大陸横断』14分。キム・ムンジュ監督(47歳・男性)
?『神秘的な英語の国』12分。パク・ジンピョ監督(39歳・男性)
?『顔の価値』12分。パク・クァンス監督(50歳・男性)
?『N.E.P.A.L.平和と愛は終らない』28分。パク・チャヌク監督
(42歳・男性)
の6篇である。

 それにしてもである、オムニバスというのが統一した一つのフォーマットに逸脱していなければ、自由に競作しているはずのものなのに、『もし、あなたなら』はまるで1本の作品のように、ひとつの流れが齟齬なく成立していることに奇跡的な印象すら起こる。ある意味で、これは選ばれた幸せな映画なのである。大変に面白く見ることのできる映画と言える。


?の『彼女の重さ』はコメディではあるが、内容は決して軽くない。『冬のソナタ』から始まった韓流ブームだが、あらゆる作品を通して「韓国はイケメン、美女ばかりだなぁ」と感心していたが、ここには我々同様に美しくない普通の人々がうようよ登場する。

そして、商業高校を舞台にしている映画だが、実は恐るべき現状を証言してくるのである。美しく見せるために「二重まぶたの美容整形」を学校挙げて勧めている。肥満者は体重を減量しろと繰り返し指導し、ヤセ薬でむりやり痩せろと怒鳴りつける。

ま、ボクは予備校に通った経験がないので覚えがないのだが、予備校も2年続けて入試に不合格だと、よその予備校に移るように、やんわりと追い出されるらしい。

この映画の商業高校の教師たちも、原因は「全員を就職させる」という大目的があるために怒鳴りつけているのであって、「あの学校を卒業しても、就職もできない」という評価が下されるのを恐怖しているからである。

そのために、非人間的な問題をあげつらう。その背景には、韓国の国全体に溢れかえる、「豊かになりたい願望」が厳然としてあるからだろう。

これは?の『神秘的な英語の国』において、英語の発音をうまくできるように、(「R」と「L」の発音が問題なのだろう)小児の歯や舌を外科的に手を加える選択をする親の姿となんら変わりがない。ボクははじめ「舌小帯短縮症」の治療で、あるいは歯肉に埋没した親知らずが“はすかい”に生えているための小児歯科手術だと思っていたのだが、よく見ると舌そのものに切開が加えられている。

そこで、韓国では美容整形を受けるのと同じ感覚で、こどもの体にメスを入れることを承諾していることがわかる。ボクは幸せな医者だと思うのは、こういった「病気でない病気」を相手にせずに済む日常だということ。

「生命の、あるいは普通の健康状態を著しくスポイルする疾病」のみを相手に生計を立てられていることであり、今更ながらに「身体髪膚すべてこれ父母に受く、あえて毀傷せざるは孝のはじめなり」というフレーズが浮かんできてしまう。

いずれにしろ、韓国も儒教の国であり、そういった精神は横溢しているように思い込んでいるだけで、彼らといえども、まるで80年代の日本人のように、生活向上という熱病のような“勝ち組バブル”の真っ只中にさらされていることに唖然とする。

またそれは、貧しい生活に汲々していた民族であればなおさら、その魅力の前に屈せざるを得ない。弱さを非難や否定することは容易には出来ないことであるのだろう。

昨年のボクのベスト・ワンである『子猫をお願い』の女性監督チョン・ジェウンの?『その男、事情あり』はいっぷう変わった設定である。

毎晩のように「夜尿症」で失敗する男の子がいる。韓国では昔の風習に「おねしょをした子供は下着を脱がされて、近所から塩をもらってくる罰」があり、近代的なマンションに住む住人を訪ね歩くが、非人情的なのか、おちょくられるだけで、塩をくれるひとがまったくいない。

こういったことが人権問題なのかと思いかけるが、少年が思い余って、とある扉を叩くところで映画は終わるのだが、そこが最初から曰くありげに画面に登場していた男の部屋であり、彼が性犯罪の前科者であることが分かる落ちになっている。

性犯罪者の前歴が付近住民にインターネットなどで情報公開されていることはアメリカなどで実施されている。おそらく、韓国においても「アメリカに追いつき、追い越せ」という国なればこそ、無条件に導入されているに違いない。

悪いことをした犯人をテレビの前で頭を小突くような国なのだから当然ではあるにしろ、ジェウンは疑問符を突きつけてくるのである。

つまり再犯率が高いために、性犯罪という倫理的に糾弾されやすい犯罪の前科者を十杷ひとからげに、こういう情報公開にさらすということは、科料に処せられて刑に服してきた犯罪者の本当の社会復帰には結びつかない。

「生殺し」という排除に過ぎない。それなら、おねしょをして恥ずかしさに耐えながら近所を廻る子供に、おちょくりながら何も救いの手を差し伸べてやらない住民と、どこが違うというのか・・・とジェウンは問うているのだろう。

難しい問題だが、誰かが言わねばならない。もし、そういうことなら始めから「性犯罪者はそんな目に遭わせる」と明文化しておくべきだ。

テイストとして一風変わっているのは?の『顔の価値』で、葬儀会館の駐車場の車のなかで寝過ごしてしまった男が、駐車場の精算係の若い女性に殊更に辛辣に当たる。この男も二枚目なのだが、その係の女性も美形であり、事務的に応対した女性に「可愛さ余って」なのか、絡むのである。

ここには外見上の美醜とか、年齢をことさらに重要視する、韓国の風潮への問題提起という意味合いがあるのだろう。一種のホラーに通じる味わいがあり、するっと見られる分、まあ、軽いものである。

この監督のパク・クァンスは韓国映画界において50歳ながらも、多くの優秀な後継者を育てた兄のような位置にある映画人だという。この独特の視線も、そういう監督であればこその、力を抜いた余裕の産物であるのだろう。

やはり今日的なテーマであるのは、実際の脳性小児麻痺患者の青年を主人公とした?の『大陸横断』だ。イ・チャンドンの『オアシス』でもそうなのだが、我々が障害者福祉として単純に行使してあげられていると信じている、ちょっとした事項が恐るべき錯覚に近いものであるのだと無言で突きつけてくる。

それは直接関係がある事項ばかりじゃなく、例えば駅の長い階段の端に設置された車椅子ごと昇降できるリフトのシーンに、善良な市民を自負するボクたちの良識を動揺させるのである。つまりリフトが昇り降りする際に大きなボリュームで流れる童謡のメロディがそれだ。

リフトが作動しているときに、他の人を巻き込む事故を防止するために流されるものであることは百も承知しているが、あえて画面に映し出されると、なぜこんなに胸騒ぎが起こるのだろう。

結局、「大陸横断」というのは、交通量の激しい交差点を主人公が信号を無視して横断することを意味したタイトルである。障害者にのみならず、老人にでも当てはまることだが、ギャップを背負った人がギャップを意識しないで生きていくことはできるはずはない。

病気と同じで、病気がなかったことには出来ないからである。そこで次にできることは「ギャップを背負っているという表現ではなく、ギャップを持っているということで、彼らが萎縮して抑制してしまわずに済む状況」が何とかできないものだろうかという目配りとなる。

「障害者だって人間だ、悩みも喜びもあるんだ」というまったく当たり前の言葉を終着点にするような作品は、健常者の鈍感さを問うものでなければ意味はない。

これからの障害者を描く作品は、「障害者の絶対に消えてなくならない問題を認識した上で、障害者の人格から発した悩みや叫びを社会全体に発信」するものであって欲しい。『大陸横断』には、障害者のいちばん感じているのであろう叫びも悦びも意地も、つまり人間が当然感じる要素へのアプローチがなされていて、ボクは清々しい印象を持った。

この映画において、最後に構成されている『N.E.P.A.L.平和と愛は終らない』こそは28分という長尺であることもあるが、なによりも人権問題を考える趣旨からいえば最適の作品であろう。

そして、これは実話であり、その顛末を追ったドキュメンタリーぽい作品である。あるとき韓国に出稼ぎに来ていたネパール人の初老の婦人が、町で迷子になってしまう。軽食を取るが、持っていたはずのお金を落としてしまっていて、無銭飲食で警察に連行される。

だが問題は、彼女の出身地であるネパールの地方は、見た目には韓国人の風貌とそっくりで見分けがつかないことであった。そしてほとんど韓国語を話せない彼女は知的障害〜精神薄弱者として精神病院に保護入院となってしまうのである。なぜなら片言の韓国語でしか話せない彼女の言葉遣いは、そういった患者の雰囲気とそっくりであり、多くの医師や公務員、警官も「そう思い込んだ」ための悲劇が起こったのである。

最初にドキュメンタリーぽいと書いたのは、事実当事者たちが再現フィルム風に出演して演じているためで、この彼らをみるネパール人女性の視線(一人称カメラ)と、監督以下のスタッフが映し出す現在のネパール人女性の生活ぶりなど、異なった視線の描写が並行することがなかなかの効果を上げるのだ。

この女性がネパール人の訪問を受け、病院から出ることができるまでに、実に6年4ヶ月の年月を要したこと・・・、言葉もない。(★★★☆☆)【韓流採点:松】

パンフレットによれば、この映画を製作した韓国人権委員会によると差別をひき起こすには次の18項目があるという。「ジェンダー」「宗教」「障害(ハンディキャップ)」「年齢」「社会的地位」「出生地」「出身国」「民族」「外見」「未婚か既婚か」「妊娠と出産」「家族」「人種」「肌の色」「政治的立場」「犯罪暦」「性的指向」「病歴」である。啓蒙・啓発映画に止まらず、劇映画として立派に成立させて、しかも面白い。韓国映画・・・、侮れないなぁ。

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