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子猫をお願いコミュの映画評「子猫をお願い」

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はじめまして。このようなコミュがあること初めて知りました。ご挨拶がわりに「子猫をお願い」を見たときの日記から書き込みさせていただきます。勝手ですが、お許しを!


この『子猫をお願い』は『ほえる犬は噛まない』の主演女優であるペ・ドゥナが出ている青春映画だ。

ソウルに近い仁川(インチョン)に住む4組5人の女子高校生たちの卒後の生活を描いている。(4組5人というのは双子の姉妹がいるためだ。)

『チルソクの夏』でもそうだが、この話はいくら韓国でも都会では成立し難いだろう。高校生といえども家庭環境や経済的状況を考えないわけではなく、特に都会では生活や知性、地位など同じレベルのクラスの人間による一種のコミューンを形成して、人間関係を拡大させていくからである。

ソウルの会社のOLとして就職したヘジュ(イ・ウォン)が上昇志向が強いというばかりでなく、旧友たちの誘いや申し出に対して不実に見えるのも、彼女が精一杯頑張って突っ張りつづけなければ、都会に簡単に飲み込まれてしまう不安に追い立てられるためであろう。

彼女の上司の女性も「大学にはいかないの?」と聞くが、都会に住む都会族にとって時間や愛情を裂く価値があるのは負けずについて来た人間だけなのだ。

同級生であっても、それぞれに親や現状に対して不満を託つ若者という括りで容認されるのは、ひとえに彼女たちが住む地域そのものが競争社会からは遅れた土地なればこそで、高度成長を遂げつつある韓国なればこそ、ボクたちは昔の日本が東京オリンピックをはさむ60年代に通過した同じ道を、彼らが歩んでいるように思い、いまさらながらに感慨深い。

ペ・ドゥナはこれがデビュー作だということだが、その目その表情に並々ならない非凡さを感じさせ、そしてこれは大げさかもしれないが世界的なスケールを感じさせる。

テヒ(ペ・ドゥナ)は父親の経営する麦飯石サウナ(銭湯だろう)の手伝いをしているが、その父親は商売がうまくいっているので強気に出ている。

彼らがスペア・リブで有名なトニー・ローマに食事に行く面白いシーンがある。スペア・リブにも多くのメニューがあって名前だけでは違いが分からないためテヒが説明を求める。職員がこれは若いブタの肉、これは辛口で・・・と違いを述べかけるが、父親がそれを止める。

「この店でいちばん人気のあるコースをもってこい」という。そして長男に向かい「男のくせに食い物に迷って時間をかける奴はバカだ。そんなときにはいちばん人気があるものを食えばいいのさ」と。

これは実に巧いシーンである。ボクは学生の時から、そして現在もメニューを前にして迷うことが多い。あるときは友人に、いまは妻や子供にたしなめられることも少なくない。人間生きているうちに何回飯を食うのかは分からないが無限ではない。とくに外食なら機会は限定される。すこしでも納得できるメニューにしたいと思うのはおかしいことではない。

だが、食い物について迷うのは、やはり男としてはみっともないことのように思われる。これがボクには悲しい。いくらでも予算も機会もある人間なら別に構わないのだろうが、そんな予算にも時間にも機会にも縁が薄い人間は見過ごせるものか。この父親の発言は彼が鈍感な、少なくとも価値観を感じない対象に対しては犯罪的に鈍感な人間であることを表現している。

そして韓国における女性の位置関係についても量ることができるのではないだろうか。

 そしてまた、ジヨン(オク・ジヨン)という貧しい同級生の家庭描写がたいへん丁寧に描かれていることも本作の魅力を高めているものとして見逃せない。

彼女が祖父母と一緒に住んでいる家は天井が落ちかけているあばら家で、テヒが初めて遊びにいったとき、孫の友達が初めてきたからと餃子を振舞う。

食べろ、食べろと歓待する祖母の姿にぐっとくるが、そしてなお差し出されるままに幾つも食べるテヒに感動してしまう。暮らしぶりから、その餃子はただの餃子ではなく、この家にとっては高価過ぎるほどに高価であることを察した彼女に胸を打たれるのだ。

孫と祖父母の貧しい食事。歯のない祖母が大根キムチを噛み切れずにしがんでいるだけ。「包丁で切ればいいじゃない」とジヨンはさけぶが、この融通のなさ!これが貧困というものであり、老いというものである。

監督のチョン・ジェウンは資料によれば1969年生まれの女性で、脚本も書いた本作品が長編デビュー作だという。当年35歳の若い女性がこういった描写を書けるということに驚くが、聞けば彼女は『われらの歪んだ英雄』のパク・チョンウォン監督の愛弟子ということだから少し頷けた。

テヒは感受性の鋭い女性であるから、父親のみならず、母や兄弟までもがミニ父親のような鈍感さに染まり洗脳されていくことに耐えられない。

これは打算とか妥協とかという単語をあてるより、正義と呼ぶに値するものかもしれない。理不尽な留置所暮らしを過ごしてやっと出所したジヨンを待っていたテヒは二人してオーストラリアに旅立つ。家族の集合写真から自分のシルエットを切り取り、無償で働いた1年分の給与をせしめて、彼女はこの先閉塞した人生しか待っていないであろう人生の友人とともに再生に賭けるのである。

オーストラリアのワーキング・ホリディはいまや本国を食い詰めた人間で溢れかえっているという噂も聞くが、あの祖母の餃子を目を白黒させながらも平らげたテヒなら、そんな体たらくにはなるまいと、観客はエールを贈るのである。

それが一番正しい、この映画との対峙ではないだろうか。

若い才能の誕生を身を持って味わえる幸福感。そしてジェラシー。
チョン・ジェウンという女性監督の名前をゆめゆめお忘れなきように。(★★★★)

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