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哲学が好きコミュの善人フェロモンか?公正世界仮説 ReBoot

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 英語圏心理学分野で物議を醸している公正世界仮説。(公正世界誤謬、公正世界信念などとも)

 (英語)https://en.wikipedia.org/wiki/Just-world_hypothesis

 日本語では個人のwikiがありますが、後記にそのリンクを掲載します。

 ある人が善(いいことをしている)であることは、善人(いいことをしている人)を呼び込むフェロモンだと思います。善人には善人が集うでしょう。善人が善人を呼び、善人とつがうことでしょう。良い目に遭う。これを僕は個人的に善人フェロモンと命名します。
公正世界仮説は社会的動物としての人間の本来の本能ではないかと僕は思います。

 悪に手を染める人には善人はよりつかない。善人に悪人が寄り付いてきたら、他の善人が悪人を追い返す。悪人には悪人がよりつきます。そして悪い目に遭う。そう信じる。

 宗教的なコミュニティーはそれを組織化しただけのものであって、その権力階層のトップレベルは除くと、一般信者レベルでは、この善人フェロモンの現世ご利益があるわけです。

 善であること即ち幸福という倫理観もここから生じていて、我々は勧善懲悪のモノメニャックな趣味への陶酔を映画や文芸作品や漫画やゲームから確認しているのではないでしょうか。

 一方で、悪とは何かという疑問も涌きます。

 われわれは即断即決で、この公正世界仮説を基準として悪と断じる単純な倫理しか持ち合わせていないかのようです。そうなると、善と断じることも同様ではないでしょうか。

 いわばベイズ主義のように主観確率で結果から善悪の確率の濃淡を決めているかのような気がします。

 所詮、こういうものは、衆人に訴える論証(羅:Argumentum ad populum)という詭弁ではないでしょうか。しかし、世界規模で多様な文明・文化・風習・民俗が交差しようというグローバル化の現代にあっては、こういう詭弁による倫理原理が正解かもしれません。

 健全な相対主義による倫理とは、このような単純な代物として、これからもっと発展する科学・技術に裁可を与える倫理工学?ともなるということになにか不安を感じませんか。

 群集心理上の善悪判断はとても単純ではないでしょうか。

 僕がこのような善人フェロモンという言葉を使ったのは、脳の器質障害という外傷を受けたある男の友人が、両親も亡くし、家は詐欺に遭って奪われました。公的扶助を受けても、飲む・うつ・買うということもせず、悪い友達を避けて、創作活動に打ち込みました。そんな彼が、胃がんのため胃を切除し、抗がん剤治療を受けている最中、知り合った看護師の女性と仲良くなりました。

 その女性は悪い結婚詐欺に遭っていて大変な思いをしているときでした。彼はその女性を支え、きちんとプロポーズして結婚しました。彼も彼女も善人フェロモンを放っていたのではないでしょうか。
 僕はそう信じました。
 善いことをしていれば善い人に巡り会える。結ばれる。というわけです。


公正世界仮説についてWikipediaの日本語ページがないので、本から引用します。

#引用開始#

公正世界仮説

×
人生というゲームに負けるのは、負けて当然のことをしているからだ。


幸運に恵まれるのは、その人にその資格があるかどうかにはたいてい関係がない。
また、悪人が罰も受けずのうのうと生きている例も多い

ピンヒールにミニスカート、下着はなしという格好で女性がクラブに出かけ、ひどく酔っぱらったあげく、ふらふら家に帰ろうとして道をまちがい、治安の悪い地域に、迷いこんでレイプされた。

この女性には責められるべき点があるだろうか。自分が悪いのだろうか。自分のまいた種だろうか。

同様の状況について同様の質問をされると、たいていの人がこの三つの質問すべてにイエスと答える。そんな目にあいたくないと思う話を耳にすると、人は被害者を非難しがちだ。薄情だからではなく、自分はばかではないからそんな目にあったりしないと信じたいからである。被害者に責任が本来どれぐらいあるとしても、人はそれを実際よりずっと大きくふくらませる。自分のことならけっしてそうは思わないだろうというぐらいに。しかし現実には、被害者側の行動とレイプとのあいだに相関関係はほとんどない。一般にレイプは知り合いの犯行であり、被害者がなにを着て事前になにをしていたかは関係ないのだ。レイプ犯は絶対に責められるべきだが、たいていの啓発キャンペーンは男性でなく女性をターゲットにしている。そのメッセージは煎じ詰めれば、「レイプされるようなことをするな」である。

フィクションの世界では、悪人が負けて正義が勝つのがお約束だ。これが、世界はそうであってほしいと人の望む姿なのだ――公正で公平な世界。現実にも世界はそうなっていると信じる傾向のことを、心理学では公正世界仮説と呼ぶ。

具体的に言うと、ホームレスや薬物依存症のような恐ろしい不幸に接したとき、そんなことになるのは本人の自業自得だと思う傾向のことである。キーワードは「自業自得」だ。これは、悪い選択が悪い結果につながるという事実を言っているのではない。公正世界仮説は、自分は大丈夫という偽りの安心感を与える誤謬である。自分のカではどうすることもできないという無力感を避けるために、まちがったことをせずにいればひどい目にあうことはないと思い込むのだ。住む家をなくしたり、望まない妊娠をしたり、薬物依存症になったり、レイプされたりするのは、まちがったことをしたせいだ。そう信じれば安.心できる。

一九六六年、メルヴィン・ラーナーとキャロリン・シモンズは七十二人の女性を対象に実験をおこなった。ひとりの女性が問題に答えていき、まちがうと電気ショックで罰せられるさまを見せるのである。実には電気ショックを受けるふりをしているだけだが、見ている女性たちはそれを知らない。電気ショックを与えられた女性について感想を求められると、女性たちの多くが彼女を悪く言った。人柄や外見をけなし、口々に自業自得だと評したのである。

ラーナーはまた社会と医療に関する講義も教えており、そのクラスで気づいたのが、貧しい人はただの怠け者で、施しが欲しいだけだと思っている学生が多いことだった。そこで彼はまたべつの実験をおこなった。ふたりの男性がパズルを解いていき、最後にいっぽうが無作為に選ばれて多額の質金を受け取る。そしてそれを見る人たちには、受賞者は完全に無作為に選ばれると教えてある。にもかかわらず、あとでこのふたりの男性を評価してもらうと、賞金を受けとった方が頭がよくて、才能があって、パズルを解くのもうまく、仕事もできると人々は評価した。ラーナーの実験以降、何度も何度も同様の実験がくりかえされたが、ほとんどの心理学者が同じ結論に達している。世界はは公正な場所であってほしいと人は思い、だから公正な場所だというふりをするのだ。

公正世界仮説は、おそらく人の心にもともと組み込まれているのだろう。リベラルをだろうと保守派だろうと、他者の不幸を耳にしたときの感情的反応には、この考えかたがあるていど作用している。スウェーデンのリンショーピン大学のロバート・ソーンバーグとスヴェン・クヌートセンがニ〇一〇年に発表した研究によると、学校でのいじめの原因についてティーンエイジの生徒に尋ねたところ大半はいじめっ子がいばり屋で意地が悪いからと答えたが、四十二パーセントはいじめられっ子にも原因があると答えている。ふり返って考えてみると、学校でいじめを目撃したとき、なぜあの子はいじめに立ち向かって自分を守ろうとしないのかと思ったことはないだろうか。いじめられからかわれている子に対して、なぜもっと服装に気をつけたり、堂々とふるまったり、オタクっぽさを出さないようにしないのかと思ったりしなかっただろうか。いじめがテーマの映画では決まって、主人公のほうが立ちあがってやる返すすべを学ぶことになっている。いじめられっ子が自力で立ち向かって初めて、いじめっ子は報いを受けるのだ。この研究によると、いじめるほうが悪いのはわかっているが、それは変えようのない現実だと人は受け入れてしまう。この世は悪いやつだらけなのだ。しかし被害者も悪い。やればできるはずなのに自分の苦しみを終わらせようとしないのがいけない、と人は考えるのである。同じ研究では、傍観している自分も悪いと答えた生徒はニ十一パーセントであり、社会や人間の本性が原因と答えた生徒はさらに少なかった。ほとんどは、世界は公正公平な場所で、悪いことが起こるのはそこに暮らす人々――いじめっ子といじめられっ子――に責任があると考えているのだ。

因果応報という言葉を聞いたことがあるだろう。あるいは、人が当然の報いを受けるのを見て「カルマだ」と思ったことがあるかもしれない。こういうのも公正世界仮説の一種である。この世は不公平だと思うと気が滅入る。天秤のいっぽうに善行がもういっぽうに悪行が載っていて釣り合っている世界――そのほうが納得できる気がする。努力や苦労をいとわない人は報われ、楽をしたがる怠け者は罰を受けると信じたい。言うまでもないがこれはつねにそうとはかぎらない。成功はしばしば、生まれた時代、育った場所、両親の社会経済的地位、そして運不運に大きく左右されるものだ。どんなに努力しても、スタート地点の条件を変えることはできない。だからと言って、貧しい生まれの人は努力してもむだだということではない。なんと言っても、行動を起こさなければ成果が得られないことだけは確実なのだ。世界が公正な場所ならば、スタート時の条件にかかわらず、これだけが唯一の規則になっていただろう。しかし現実世界はもっと複雑怪奇だ。人は貧困を抜け出せるし、実際に抜け出す人もいる。しかしだからと言って、抜け出せずにいる人が、逆境から這い出そうと必死で努力していないとはかぎらない。恵まれない人を見て、なぜこの人たちは、貧困から抜け出して自分のようにいい職につこうとしないのかと首をひねるとしたら、それは公正世界仮説に惑わされている。努力する前から自分がどんなに恵まれていたかわかっていないのだ。

山師や詐欺師がうまく世の中を渡っているのに、消防士や警察官が長時間労働で薄給なのはまったく許しがたいことだ。正直な努力家は成功し、人を利用する悪人は破滅する――人はみな、心の奥ではそう信じたがっている。だから、その期待に沿うようにこの世界を書き換える。しかし現実には、悪は報いも受けずに栄えていることが多いものである。

心理学者ジョナサン・ヘイトによると、因果応報を頭では信じていなくても、心の奥では似たようなことを信じている人が多いという。ただ属する文化によって、それに適した名で呼んでいるだけだ。そのため、福祉とか差別撤廃措置(アファーマティブ・アクション)のような制度は、自然なバランスを乱すものと考える。政府がよけいなことをしなければ、怠け者は相応の報いを受けるのに、と思う。自分で作った悪因縁がまわりまわって本人を破滅させるはずなのに、不自然な介入がそれを妨げているというわけだ。そのいっぽうで、自分は規則を守り、税金を納め、自由な時間をつぶして残業手当を稼いでいるのだから、それにはなにか理由があるはずだと思っている。豊かな暮らしを求める自分の努力がむだであるはずがない。裕福な人は、それなりの理由があって恵まれているのだと思う。だから、よい因縁を積んでいれば、いつかは自分も高い地位に引き上げられて、相応の恩恵を受けている人々の仲間入りができるはずだ。公正世界仮説によって、人々はこの世にはもともと公正さが組み込まれていると思い、だから人為的に因果応報を乱す制度に憤慨するのである。

なぜ人はそんなふうに考えるのだろうか。

これについては心理学者の意見は割れている。自分の行動の結果を予想できないのは耐えられないからだとか、過去の決定は正しかったと安心したいからだという説もある。もっと研究が必要だ。正義の味方が悪者をこらしめる世界に暮らしたいのはだれしも同じだが、この世はそんなところではない。
とはいえ、だからと言ってがっかりすることはない。この世は不公平だと認めつつ、不公平な世の中を楽しむこともできる。人生を完全にコントロールすることはできないが、自分の力でどうにでもできる部分もかなり多い。そういう部分を徹底的にやっつければいいのだ。ただ、この世は不公平なところだということを忘れないようにしよう。生まれは自分では選べないから、逆境で苦労する人もいれば、努力せずに贅沢に暮らせる人もいる。この世界が公正で公平な場所だとみんなが思っていたら、必要な人に必要な助けが与えられないかもしれない。人はみな自分の行動に責任を持たなくてはならないとしても、残酷な犯罪で責められるべきなのは加害者であって、被害者ではないことを忘れてはいけない。レイプされ、いじめられ、盗まれ、殺されて当然な人などいない。この世界をより公正で公平な場所にするためには、悪が栄えにくい場所にしていく努力が必要だ。そしてそれには、たんに標的になりやすい人を減らすだけではじゅうぶんでないのである。

「思考のトラップ」

デイヴィッド・マクレイニー著 安原和見訳

コメント(15)

>>[3]

>刑務所 完全閉鎖病棟 異常とか狂気の社会 ゲリラ統治圏

これらは別の社会なのであって、善の意味が基礎から異なっていると言えます。
これらの特殊な社会に入るにあたっては、一般社会に実在する善性は大なり小なり破壊されていると考えられるでしょう。
破壊されても、すぐまた別の原理で構築されるわけです。そうでないと「社会」として存続できない。

ここで言っている善性は、個人の頭の中にある主観的な価値観のことではないわけです。
コミュニケーションや交換によって成立する関係のことです。

>キリスト教魔女狩り時代に、魔女として密告された人、
>冷戦時代の秘密警察やCIAへの密告
>エシュロンでのネットや電話の記録からの篩い分け

これらは関係としての善良が裏をかかれている状態です。



以下メモですが。
「善悪の実在」ということについては、おいおい詳しく説明できると思います。
公正社会誤謬については、多分、認知不協和という理論で説明できるのでは、と思います。

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