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哲学が好きコミュの幸福とは・・・?

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幸福とは・・・?

20代までは、人間は、地位財産名誉で幸せになると思い込んで走ってきたけれども。

20代半ばで、それでは人間は殆ど幸せにならないことに気が付き。

30代後半になって、幸福論(哲学)や幸福学(心理学)を漁るようになりました。

幸福とは何なのでしょうか・・・・・・。

生化学からみた幸福というのは、

脳内で、ドーパミンやセロトニンが分泌された際に、感じるものですが

これは長期間は分泌され続けないようです

また、地位財産名誉成功栄光栄華勝利によっては人間は大して幸福にならないどころか

それを得るための悪戦苦闘努力が大災厄をもたらすというようなことを、19世紀の哲学者ショーペンハウアーは言っています

ショーペンハウアー的にいえば・・・幸福追求は蜃気楼だけれども、あえて言及するとすれば

「健康で朗らか」が一番幸福

すなわち、「完全健康で朗らかな乞食は、病気がちで悲観的な王様よりも幸福である。」とのことでした

しかし、朗らかかどうかは、生まれ持ってる気質によるところが大きいとのこと

これは20世紀の幸福学でも見出された知見で、ヒトの幸福の50%は遺伝で左右されるということでした

身の回りの環境や状況によらず、もともと生まれつき幸福度のベースが高い人が幸福。

一卵性双生児の研究でこの数値をはじきだしたようです。

あえて、後天的な努力で幸福になるためにはどうすればいいかというと、状態でいえば、

「苦痛がない状態で、しかも退屈していないこと」が幸福であるとショーペンハウアーはしていました

幸福感自体は、すぐに移ろいゆくもので、ゆるぎない幸福などというものはない

しかし、苦痛に関しては、持続的でリアルなものだし、幸福の獲得よりも苦痛の除去に目標を設定したほうが簡単ということで

そのように喝破しています

カルロスゴーンの事件がありました

お金はいくら手に入れても、金に対する渇望は人間からは取り除けない様子ですね

人間は、もっぱら「期待を満たすこと」でしか、幸福になれません

そして、一旦、幸福を手にしても、すぐに慣れてなんとも感じなくなり、さらに期待値が高まることによって

また不満になってしまいます。どんなに財を形成しても、立派な会社に勤めても、おなじことです

ショーペンハウアーは、人間が不幸にならないための最も重要な秘訣として

「幸福を夢見ないこと」であるとしていました。

幸福を夢見れば、期待値と現実のギャップが大きくなり、人間は、すぐに不満や不幸を感じてしまうとのことでした

1981年にハーバード大学で始まった幸福学の研究では

「インドのスラム街で人力車を引いている車夫と、アメリカの平均的なビジネスマンの幸福度が同等であった。」と報告されています

また、20世紀のアメリカで、宝くじ5000万円相当以上を当選した人、十数人の幸福度の追跡調査が行われましたが

当選直後は皆、幸せだったのが、半年後には、その幸福度は一般人と同等レベルにまで戻ってしまっていたようです

幸福は・・・哲学なのでしょうか、生物学なのでしょうか

例えば、太古の昔に木の実ひとつたべて、永続する至福を得ることができるリスが突然変異で誕生したとしましょう

そのリスは一回食事をしたっきり、もう二度と木の実を食べないで、すごく幸福で短い人生を終え、子孫は残さなかったでしょう

一方、競争相手の他のリスは、5分に1個木の実を欲しがり、食べることによって生き延び、その結果として交尾相手をみつけて遺伝子を後世に残したことでしょう

生物である以上は、貪欲なものが生き残る

ヒトの場合も同様らしく、実入りのいい仕事、器量よしの伴侶、大きな家、いくら手にしても、ずっと満足していられることは稀であると、ユダヤ人マクロ歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は言っていました

では、足るを知ることを心がければ幸せになるのか?感謝をすれば幸せになるのか?



足るを知ることを心がけても、それによって満ち足りた気分になるわけではなく、自分の願望や欲望をただ自分自身で抑圧しているだけな気がするし

感謝は心がけたからといって、常に心のうちからあふれ出てくるわけではありません

仏教などでは、感情は、心のうちに自然に湧き上がってくる情動というよりも、自分の意志でどうにかできる前提のようですが、

それはどうも、人間の進化過程を無視しているのではないかとさえ思えてしまうのです

んーーーーーーーーーーー

何をやっても、人間は、ダメなんでしょうか

揺るぎない幸福など、この世に存在しないのでしょうか?

コメント(373)

>>[332]へ
 私は、ぷーさんの見解は正当な主張であると思っています。なぜなら自由主義の国家が国民の資産を担保にするのは、他の国々もそうだから我が国でもよろしいとするのはいかがなものだろうかと考えるからです。問題は、社会構造を抜本的に変えないと低成長の時代に適応できないと考えています。20年以上前からの議論ですが小さな政府・行政自治体で民間に機能移転することを再度見当することが必要であると思っています。しかし、民間にその受け皿になる人材や組織母体があるのかについては難しく思っています。この辺りについては、知識不足です。
>>[335]

そんなのんきなこと言っている場合ではないですよ。
国債の償還がまかなえきれない一方だから、特別会計の積立金まで償還にあててています。
特別会計の外国為替資金は、国が米国債を買って運用している部分だから、為替変動のリスクがありますよね。そのためのリスクに備えて財政投資融資特別会計の積立金があるのです。投資で儲けが出た分全額を一般会計に繰り入れて、国民の税金負担を最小限にするべきなのに、国債の償還に当てているからね。 
国債発行の継続は大問題なんです。
>>[338]

では該当箇所を提示してください
レス番を書くなり、該当箇所をコピペするなり
よろしくお願いします

>>[341]

なるほど
では、このレスの何処がデマかを指摘する様に

ーーーーーーーーーー

ヒツキイイネスター
2018年12月30日 15:33
>[54] ぷーさん

なるほど。
個人的な経験に照らしても大変納得出来る話です。
となると人間は本質的に

『隣の芝生は青い』



『住めば都』

の間で折り合いを付ける事でしか幸せになれないのかもしれませんね。
ゼロポストの幸福度が遺伝による説が正しければ、それさえもなんともならないのかもしれませんが…

ーーーーーーーーーー

よろしくお願いします

>>[346]

なるほど
では、このレスの何処がデマかを指摘する様に

ーーーーーーーーーー

ヒツキイイネスター
2018年12月30日 15:33
>[54] ぷーさん

なるほど。
個人的な経験に照らしても大変納得出来る話です。
となると人間は本質的に

『隣の芝生は青い』



『住めば都』

の間で折り合いを付ける事でしか幸せになれないのかもしれませんね。
ゼロポストの幸福度が遺伝による説が正しければ、それさえもなんともならないのかもしれませんが…

ーーーーーーーーーー

よろしくお願いします



>>[346]

おら、おまいは他で油売ってないでさっさと返信しろ
雑魚逃げするな



なるほど
では、このレスの何処がデマかを指摘する様に

ーーーーーーーーーー

ヒツキイイネスター
2018年12月30日 15:33
>[54] ぷーさん

なるほど。
個人的な経験に照らしても大変納得出来る話です。
となると人間は本質的に

『隣の芝生は青い』



『住めば都』

の間で折り合いを付ける事でしか幸せになれないのかもしれませんね。
ゼロポストの幸福度が遺伝による説が正しければ、それさえもなんともならないのかもしれませんが…

ーーーーーーーーーー

よろしくお願いします

>>[346]

で、いつまで逃げるんですか?
謝罪はまだですか?

>>[351]

で、いつまで逃げるんですか?
謝罪はまだですか?

>>[351]

で、いつまで逃げるんですか?
謝罪はまだですか?

>>[358]

おら、おまいは油売ってないでさっさと私に返信しろ
雑魚逃げするな



なるほど
では、このレスの何処がデマかを指摘する様に

ーーーーーーーーーー

ヒツキイイネスター
2018年12月30日 15:33
>[54] ぷーさん

なるほど。
個人的な経験に照らしても大変納得出来る話です。
となると人間は本質的に

『隣の芝生は青い』



『住めば都』

の間で折り合いを付ける事でしか幸せになれないのかもしれませんね。
ゼロポストの幸福度が遺伝による説が正しければ、それさえもなんともならないのかもしれませんが…

ーーーーーーーーーー

よろしくお願いします


>>[359]

ここで宗教を教え広めるのはやめてください。
心理学・入門 --心理学はこんなに面白い

読んでるけど、概論だから、内容が広範すぎて、つまらない。

ってか、結局、人間は、地位財産名誉成功栄光栄華勝利では幸せにならない。

ということが、以前わかって、

・他人と比較しない
•楽観的になる
•感謝の気持ちを表す
•人を許す
•熱中できる活動を増やす
•目標達成に全力を尽くす

この要素である程度、幸せになれるかというと

これも、どうやら、難しいということがわかって

じゃぁ、幸せの追求でなく、苦痛の除去に取り組めばいいのかということで

心理学の入門書を手にしたんだけど

やっぱり、どこかに違和感あるよなぁ

心理学的手法によるアプローチの有効性に関してだよねぇ

例えば、心理カウンセラーの働きかけによって、実際に何割くらいの人が救われるのか?とか

学校で問題があったときに派遣される児童カウンセラーの仕事によって本当にいじめが減るのか?とか

あるいは、特別支援学級で行われる心理学的アプローチで、児童の何かが実際に変わるのか?とか

いまいち、自分の中では、心理学は・・・・影が薄い存在なんだよなぁ

病院にいる、臨床心理士とかも、心理学系の大学院を卒業してないと取れない資格みたいだけど

医療職の中では、殆ど・・・底辺の、患者の愚痴聞き役みたいな感じになってるし

イマイチ、わからん

自分自身から苦痛を除去したい・・・・ということなら

アドラー心理学でも読んでみるかなぁ・・・・・・・・・・

心理学の入門書にも書いてあったし、もっと昔にも何度も見たことがある、

マズローの欲求の階層モデルをまたみた

生理的欲求 → 安全と安心の欲求 → 愛と所属の欲求 → 自己の尊厳と他者尊重の欲求 →自己実現の欲求

という欲求段階説

低次の欲求が満たされないと、次の段階の欲求には行けないって話らしいけど

もともと恐怖に敏感な人は、永遠に二段階目の「安全と安心の欲求」から抜け出せず、その先にへはいけないのか?

という話になるし

人間、「ここまで到達すれば究極の安全・安心を達成した。」というところがないからなぁ

だから、「ハゲワシと少女」みたいに、子供が今食べるものもなく餓死寸前でいる状態も勿論、安全でも安心でもないけれども。

日本のニートが、日本人であるというだけで、働かずして当面の食料にありつけて肥満になっていても、安全とも安心とも思ってないわけで

翻って、おれに至っては、フツー以上に収入があっても、日本の国家財政破綻が不安で、安心とも安全とも全く思えていない。

これでは、「安全と安心」という目標を設定して、いくら「努力」しても、永遠にこれを獲得できずに、

愛と所属に目覚めることは永遠に不可能であるということになってしまう

恐怖と不安というのは、努力によって目標を達成することだけでは克服できるようなものに思えないからなぁ

俺の場合は、個人の財産云々よりも、国家財政や体制の安定化が、安全と安心には不可欠であって、

これが実現できれば、個人の財産などごく僅かなものであっても、安全と安心は確保できるものと考えているのだけれども

意味ワカラン

心理学からのアプローチも、一応、目を通しておこうとは思うけど

次は、アドラー心理学で実践的な手法を検討しよう

それで、いまいち、ぱっとしなかったら、また哲学に戻るか

哲学で言語的に・・・自分の認識を変更することによって、多少なりとも楽になれるならば、それを参考にしたいよなぁ

ショーペンハウアー哲学に出合って、まぁ、多少は苦しみは減った気がするからなぁ

ショーペンハウアーのような哲学は、出会ってその瞬間に電撃が走ったとかいうよりも

自分がこれまでの人生の中で、モヤモヤ感じて来ていた世の中や人間に対する疑念というか、実際はこうなんじゃないかな〜〜〜〜?

って思っていることが、本当に実際はそうなんだよ、、、と太鼓判を押して、それを踏まえた上で、じゃぁどういうスタンスであるべきか

明確に示していたから、ツボにはまったっていうのがある

まぁ、世の中の出版物をいろいろ探せば、そりゃ、どこかには、その時の自分にあった解を与えるような本は、

そのときどき、いくらでも手に入るんだろうけど

世の中、金ではないのではないか?と思って本を探せば、世の中、金ではないといった本はあるだろうし

世の中、金だ!と思って本を探せば、世の中、金だ!といった本もあるだろうし

まぁ、真理なんて、それぞれなんだろうけど・・・・・・

もやもや考えて探すという、行為自体が、俺にとっては充実したひと時を与えられてるような気がするから

まぁ、探して検討すること、それ自体が趣味、楽しみ、みたいなもんだ
うーーーん。
古傷が痛むなぁ。
小学時代、勉強ができなかったら、父親に猛烈に軽蔑されて。
中学時代から10年間も必死に勉強して常にトップクラスの成績になり、父親の期待通りに一定の資格職に就いたら。
今度は、父親に猛烈に妬まれたこと。
父親に、坊さんの前で、目をギラつかせて「俺なんかより全然優秀な息子だよ!!!」と言われ
父親に給料を聞かれて素直に答えてしまったら、低いドスの効いた声で
「そんなにもらってんのか・・・・・・いいだろ・・・・・人よりいい暮らしができて・・・・・・」
嫌〜〜〜〜な感じに言われたよねぇ。
猛烈な努力をして期待に応えただけに、それは自分にとっては、かな〜〜〜り嫌な出来事だったなぁ。
人生において、他人の期待に応えるというとこが、どれだけ愚かな判断であったかを思い知らされた。
親でさえ、そういうことになるということは、アカの他人の期待になんか応えたら、もっとひどい目にあうだろう。
実際に、社会人になってすぐに、やはり他人の期待に応えてひどい目にあった。
「常に現状に満足せず、常に追い付け追い越せで切磋琢磨し、常に努力して常に成長しろ!!!」
って猛烈にプレッシャーをかけられて、言われるがまま、急成長したら。
2年目には、もう、クソぼっこに叩き潰される結果になったよなぁ。
追い越されることなんて実際は誰も望んじゃいない・・・・脅威と取られて、もう2年目には芽を摘み取られたんだよね。さんざん荒れたよな・・・当時の職場は。
その後は、人の説く、タテマエなんか鵜呑みにせず、
「仕事は出来すぎもせず、かといって、出来な過ぎもせず、あまり波風立てないように。」
との独自の理念を開発して実践したら、一瞬で、ぴたっと俺への攻撃は止み、平和な職場になって・・・楽な人間関係のまま、15年間も大過なく過ごせている。
もう、他人の期待になんか、二度と答えない。
あとの人生は、女の期待にさえ、絶対に応えないように細心の注意を払えば、大過なく過ごせそうだ。
アドラー心理学でも、他人の期待に応えてはいけない、、、としていたような気がする。
親の期待に応えないようにすることが一番難しいみたいだけど、それができたときこそ、子供という存在は幸せに一歩近づくのかもしれないな。
幸福とは贈り物を喜んでもらえること。
無知こそが最高の幸福ならば、最高な不幸は脳内の穢れだろうか?そして、最低の不幸は脳内が穢れていないことであり、最低な幸福は無知でないことなのだろうか?
やはり幸福とは、安らかな平穏の中で感動を覚えることだろうなぁ。散歩していて気付いた。安らかな平穏は悪さをしないという優しい状態を想像することから造り出される。強い気持ちと優しい気持ちを持って波動を感じとり、神秘を察して見ると散歩も愉しいのよね!

波動とは自分を中心にして自身は動かずに周りが動くことであり、神秘とは自分の中で未知の領域にある物事である。

波動を感じれば、神秘が見えてくる。

これが俺の幸せよ!うむ!

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