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哲学が好きコミュの存在性

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はじめまして。

私は3.11あと、まわりのひととの
感覚の差にずっとモヤモヤしていましたが
ネットでハイデガーの存在性を知り、
存在性、非存在性のはなしをきいたり
様々な解説を読んで凄く腑に落ちました。
同じ感覚を味わわれた方はいらっしゃいますか?

まず、感覚の差というのは
危機に対して理解しようとして
リスク回避や問題対処に対して積極的に考えたり情報を集めたり動いたりしているひとがいるのに対し、

一方で、全てのことが
まるで他人事のように無関心で自分の目の前のことしか心配しない、
もしくは他人事のような楽観的判断しかしない
はなしをしても、思考停止する人間がいるということでした。

例えば戦争について。
憲法改正について積極的なひとは、
可能性としてという段階ではありますが
徴収制度になりまた徴収制度になった場合、
断った人間は死刑になる、という可能性への配慮がなく、賛成している。
もしくは自分が戦争の最前線で戦い、戦死するリアルな想定がない、ということ。


残念ながら、
リスク回避や問題解決のための選択や努力をする人間はマイノリティであり、
このままでいくと、また悪い方向にいくとしか思えず不安をおぼえています。

ハイデガーの示す通り、
死にそうな危機に直面した場合でも
覚醒しない人間をどのようにしたら、
覚醒させることができるのでしょうか?

文がわかりにくくて申し訳ありません。
考えるのはすきですが哲学の知識が薄いので
哲学の知識が豊富なみなさんのお知恵を拝借したいです。
宜しくお願いします。

コメント(59)

>>[12]
コメントありがとうございます^_^

絶滅を避けるための遺伝子の多様性ですか。
なんだか、そうかんがえると感情的な部分でスッキリした気もします。

相手の選択にも学ぶものがあるかもと。。

そうかんがえると尚のこと、
様々な人々との様々な話し合いは友好ですね。

今の日本は政治の話にしろ、哲学のはなしにしろ、建設的な会話を避ける傾向があるような。
なんだか、とてももったいないですよね。。

>>[20]canaさん

>絶滅を避けるための遺伝子の多様性ですか。なんだか、そうかんがえると感情的な部分でスッキリした気もします。 相手の選択にも学ぶものがあるかもと。。

ですから皆が同じ考えの全体主義は危険というわけですね。仰る通り、自分と違う「相手の選択にも学ぶものがある」ということでしょう。ただなかなか寛容性を備えるのは難しいですがねw。

>そうかんがえると尚のこと、 様々な人々との様々な話し合いは友好ですね。 今の日本は政治の話にしろ、哲学のはなしにしろ、建設的な会話を避ける傾向があるような。 なんだか、とてももったいないですよね。。

仰る通りですね。そういう意味では時間と場所の制約を超えて話ができるSNSは機能的かと。それに日常では目の前のことばかりで、純粋に政治や哲学の話をする機会もそうないですからね。

ハイデガーが38歳の時に書いた『存在と時間』は出だしからとても興味を引かれる本ですね。
巻頭でハイデガーはプラトンの言葉を引いている。

「というのは、君たちは何々が〈ある〉と言う時、それがどんな意味なのか、むろんずっと前から知っているだろう。
ぼくたちも以前には、それがよくわかっているつもりだった。
ところが、今ではてんでわからなくなってしまって、困りはてているんだ。」
(『ソピステス』より)
ハイデガーは続ける。

「何々が〈ある〉という言葉で、いったい私たちはどんな意味のことを言っているのかと聞かれて、私たちは答えることができるだろうか。今だにできないのではないか。
だからこそ、ここにあらためて存在とは何なのか、その意味を問う必要がある。
それは存在という言葉がわからないというだけのことか。そうではない。
問い自体をまず正しく理解するために、問いをあらためて組み立て直すこと、それがこの論考の主旨である。
そして存在に関するすべての了解が成り立つ視野として、時間というものを解明することが差し当たっての目標だ。」
トピック:なぜ、空なのにものはあるか?存在論と認識論
を御参考下さい。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=80905402&comm_id=6277211
仏教で言う空とは、この世のあらゆるものの存在の仕方はもとより実体として不変不動に固定しているわけではなく、他のものとの関係性においてある限りのものだ、という意味ですね。
>>[26]

 >他のものとの関係性においてある限りのものだ

 この表現は、具体的には、どういうことでしようか?
 あるりんごが別のりんごと関係しているということでしようか?
 または、りんごとミカンが関係しているとか?
>>[26]


そうです。Aは〜Aとの関係においてのみ存在しているわけです。
つまり世界から意味を受け取っていると。
>>[27]

空とは縁起のことだというのをやわらかく言ってみたものです。お互いに依存し合う形で存在しているものはすべて、それ自体の力で不変不動のもの(実体)として存在しているわけじゃないという意味です。
愛と幸福と平和さんがおっしゃるリンゴの例で言えば、リンゴは手つかずのままだと確かな存在で食べたくなるけど、食べられたら姿を消してしまうし、
放っておかれたら腐ってしまう。
また、火の上に置かれているわけじゃないからその姿をとどめているし、木からもがれてから100年たっているわけでもないから、美味しそうにそこにある。
さまざまな条件に依存して一見、確かそうにその姿を誇っているに過ぎない。
もちろん、もっといろいろ言うことができる。
>>[29]

  >他のものとの関係性においてある限りのものだ

  >さまざまな条件に依存して一見、確かそうにその姿を誇っているに過ぎない。

  「他」とは何ですか?

  ついでに。「自」とは何ですか?
http://ww4.enjoy.ne.jp/~okano11/
から引用。(引用許可あり)

龍樹著「空七十論」(梶山・瓜生津訳「龍樹論集」、127頁)において、「物体そのものは『元素』を原因として成立しているが、それが依存関係によって成立しているということで、あるものとの依存関係によって成立しているならば、それ自体としては空である。」と述べられ、「元素」も空であることは、同書、123頁に述べられている。つまり、「素粒子論などによる空の論証」は龍樹の思想に合致している。

      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 上記において、「自&他」とは何ですか?

 78910さんからの回答がないのですが。

 どなたでも良いです。ご回答下さい。
  
>>[30]

>>>[29] 78910さん
「他のものとの関係性においてある限りのものだ」「さまざまな条件に依存して一見、確かそうにその姿を誇っているに過ぎない。」
「他」とは何ですか? ついでに。「自」とは何ですか?


愛と幸福と平和さんが挙げられたリンゴについて考える例で言えば、リンゴそれ自体が自であり、リンゴ以外のすべてが他です。
>>[32]

  間違いです。

  それでは龍樹の空は分かりません。

  月称でも青目でも。
>>[31]

>『龍樹著「空七十論」(梶山・瓜生津訳「龍樹論集」、127頁)において、「物体そのものは『元素』を原因として成立しているが、それが依存関係によって成立しているということで、あるものとの依存関係によって成立しているならば、それ自体としては空である。」と述べられ、「元素」も空であることは、同書、123頁に述べられている。つまり、「素粒子論などによる空の論証」は龍樹の思想に合致している。』
上記において、「自&他」とは何ですか?


上記とはどこを指しているのでしょうか。ある何らかの物体とそれ以外のもの、ということでしょうか。
>>[33]

リンゴそれ自体が自の時、それ以外のものはすべて他だと考えるのは間違いだと愛と幸福と平和さんは考えていらっしゃる、ということでしょうか。
人間はモノであることによって客観的であり、脳で考える、ということで主観的である。われ思う故にわれあり。
ハイデガーが西洋哲学史における一貫した根底的問題、「存在しているとはいかなることなのか」をあからさまに取り上げんとし、『存在と時間』の出版された部分において、まずは存在を現に問題としうる存在者としての人間=現存在の分析を行っているところは、とても刺激的で、大いに啓発されるところですね。
とても興味深く読ませていただきました。知識も心得もないのですが、疑問が浮かんだのでお答えがあればと無謀にも書いてみます。

遺伝子の多様性で浮かんだのですが、何かこの世界には神の様な何者かの意思が働いているという様なことが一般的に前提のひとつに考えられているのでしょうか。

宇宙や時空の始まりがあるのかは知りませんが、今までに時間経過の中で途轍も無い多様なものが現れては消えるという淘汰を経て来た。今あるものは淘汰の結果長くあるものと新しく生まれたものと淘汰の結果消えつつあるものと感じていました。
その淘汰には神とか何者かの意思では無くその時々のその対象にとっての状況が関わる、そしてその時々の状況の変化や多様性によって、その時点で好ましい物も好ましくないものも存在していて、また果てし無く動き続けていると思っていました。
全く不安定な世界では進化もあまり意味がないでしょうね。環境は変わり続けそれに反応するだけです。何物も。
神の様なものとまでは行きませんが宇宙にも基本形があるから似たような星雲や恒星があるのでしょうけど 地球においてはもっと安定しているので、太陽光の下ある程度連続した進化が起こり人間に至りました。人間に至ってから進化の仕方もかわりました。掛け合わせや突然変異じゃなく、学習や思考、試行錯誤、意志などで進化します。それなら親世代は死ななくてもいい事になります。が体が老化するので死なざるを得ません。進化・進歩の結果AIやロボット、宇宙船などで発展していくでしょう。リサイクル型の地球が。
ゆにこさん
ご解説ありがとうございました。
変化がある方向性を持って積み重なっていくことを進化と呼ぶのでしょうね。
その方向が多様で結果として残っている方向が変化の方向となって行くのでしょうね。
ただAIが人にとって好ましい物なのかという事には大いに疑問があります。その観点から生物の頂点に人があり、人の順方向への時間経過のなかでの変化を進歩と呼ぶのでしょうが、最近ちょっとそう呼ぶ事がすっと収まらない、なんだか引っ掛かりを感じます。例えば何か他のものが人の上に来て、変化をリードして行くとか方向を作って行くとか。哲学は人にこだわる事なく広く真理を追究する面もあるのでしょう。
遺伝子やAIから人間を守る事については、よく分からないまま、漠然と科学よりも哲学に期待するしか無いような気がしています。
どう書いたものかと思いますが、下手な人間より優れた存在性を持つAIの方が良いかもしれません。

人間は怖しいですからねえ。これからは人間も幾らかマシになっていくと思いますが

判断は人間よりもAIに頼った方が良いでしょうね。

人間も40億年の淘汰を経てきてるので まさしく神業的存在性を持つのですが

その歴史上 殺して勝った方が治めてきたので 限界があります。

人間は罪深き者?かもしれません。

存在性を純粋に追求してゆくのなら問題はないと思います。パリ協定とか守るべきですね。

存在性を追求し存在を実現していけば必要なことは分かって来ます。

存在主義で人間存在を実現して行きましょう。
人が人にとって最も有害なものの一つで独裁者が関わった途方も無い数の不自然な死があったのでしょう。一方自然による地球上の生物絶滅の危機も何度もあったとか。
人間としては神を自分の手で生み出せるとは思えなくて、それであれば人が今の役割を託す相手を見つけたので無い限り、投げ出す事に思える。それ故、そのような判断が必要または必要なのに判断をする機会を逃す或いは見送るような事態になる節目には、是非、少なくとも哲学や科学などの人類の叡智の発動を期待します。
存在はそのような節目を迎えた時に影響をうけるのでしょうか?
コメントありがとうございます。神とは富士山の様に掛け替えがなく、パワーをくれる

夥しい年月をかけて出来上がってきたものでしょうね。

現実問題としては、宗教を信じる人と他の宗教を信じる人と信仰を持たない人が

それを理解した上で共存・協力していければいいと思います。

世の中には違う考えの人もいて、それもそれでいい面があるんだと認め合うことが必要です。

トランプさんが思ったよりもしぶといので自分や自分の国や宗教を大切にする事は良いでしょう。

その代わり相手が違う考えをしてるけど、一緒にやっていけるんだという寛容で理解ある

自由な心が持てるといいですね。

科学や哲学も人間に影響しますが 学問の元であった哲学が、もうちょっと確りしないと

世界は心から和解できないかもしれません。トランプさんにも頑張ってもらいましょう。

僕の結論は千代に八千代に永遠目指して永久にレッツゴーです。

存在性思想、存在性理論と言うのがありますが なかなか理解を得れません。

人間は存在してからが幸せですが 存在の充実、自由、やり甲斐生き甲斐も必要です

理解が広がって世界が少しづつ変わっていくのが一番良いと思います。

急激な変化はスピードの出しすぎと同じで危険です。ゆっくり進化しよう。がモットーです。
存在とは何かという問いが唯一提起される現場としての存在者、すなわち現存在である人間から、一切の存在者の存在という根底的事実の意味が探究される。
それは時間という秘密の中で初めて全的に知られうる姿でもって立ちあらわれるとされ、決して西洋哲学の歴史においてプラトン、アリストテレス以来、ずっと本質存在と事実存在とに分裂してきたようなあり方でとらえられてはならないとハイデガーは展望していた。

(参照 木田元『ハイデガーの思想』)
マルチン・ハイデガー著『存在と時間』
  序説 存在するということの意味を問い解明する
第1章 存在するということについて問うことの
    必要性およびこの問題の構造と優先性
  第1節 存在するということについて、
      あらためて明確に問うことの必要性
形而上学を今再び探究してゆくことこそ現代の進歩の証しだと言われているにもかかわらず、存在するとは何かという問いが今やまったく忘れ去られている。
ところが人々はここに取り上げた「存在に関する神々と巨人たちの間の争い」のあの熱戦から、もう自分たちは解放されたのだと思い込んでいる。
この問いは決して気まぐれなものではない。
この問いこそプラトンやアリストテレスをさんざん悩ませ、実際の主題としては地下に潜りながら、二人の考えたことはさまざまな差異と上書きに塗られ、ヘーゲルの『論理学』まで引きずられてきたものだ。
(中略)
そればかりではない。存在するということの意味を解明しようとしたギリシャ人たちのこの足場に、一つのドグマが取って替わり、この問いを余計なものだとして追放したばかりか、この問いを問わない怠慢を正当化することまでする始末だ。
〈存在する〉なんてゆうのは最もポピュラーで、同時に最も中身のない概念だ、というのがそのドグマだ。
だからこうした概念にはいかなる定義もあらためて必要なわけがない。誰もが常時、この概念を使いこなし、それがいかなる意味かはみんなわかりきっているというわけだ。

(以上、岩波文庫旧訳の咀嚼)
>>[48]がしばしば取り上げるその言葉の記された「出エジプト記」も旧約聖書の中で、とても面白い所ですね。
訳し方によってqui sumを、駄々漏れ(へとへと)さんが引用されたように「ありてある者」と訳しているものもあれば、より簡素に「あるという者」と訳しているものもありますね。

ハイデガー著『存在と時間』
第41節 関心(ゾルゲ)としての存在

(読解)
・・・そこで明らかになったことは、「世界性を構成するところの有意義性という指示全体は、現存在の存在可能性をにらみながら、究極目的性として固定されているのだ」ということだった。
指示全体、すなわち〈何々のために〉としてさまざまに関連づけることと、現存在にとっての関心事との結び付きは、諸々の客体から成る目の前に存在する一世界と一主体との結び付きを意味するものではない。
この結び付きはむしろ根源的に現存在の構造全体を現象的に表現したものであり、現存在の全体性は今やはっきりと〈すでに何々の内に存在するという仕方で自分自身に先立つ〉というふうに際立たせられたのである。

>>[0]

>憲法改正について積極的なひとは、
>可能性としてという段階ではありますが
>徴収制度になりまた徴収制度になった場合、
>断った人間は死刑になる、という可能性への配慮がなく、賛成している。
>もしくは自分が戦争の最前線で戦い、戦死するリアルな想定がない、ということ。


高い人口密度を解消させようという縄張り意識から、陰湿なイジメに発展させることで数の暴力から少数派を自殺に追い込むことに反対しているからこそ、若いうちから数の暴力に負けない心身ともに鍛えるための訓練を少数派につけてもらうことで、「民主主義=多数決」であるという誤解に便乗して傍若無人に振る舞う人たちから一目置かれる存在性として少数派が扱われるために、憲法改正に賛成しています。

影が薄いからと机の上にお花を飾られたり落書きされるような存在感に少数派を追い込んでまで大人数クラスにこだわるから、生死をかけて闘わねばならない戦場で、互いの人種、宗教、政党などの違いを気にかけている余裕もないほど、戦友と共有できる「仲間意識」への思いを募らせていくのではないのでしょうか?
>>[0]

>まず、感覚の差というのは
>危機に対して理解しようとして
>リスク回避や問題対処に対して積極的に考えたり情報を集めたり動いたりしているひとがいるのに対し、

> 一方で、全てのことが
>まるで他人事のように無関心で自分の目の前のことしか心配しない、
>もしくは他人事のような楽観的判断しかしない
>はなしをしても、思考停止する人間がいるということでした。


背筋が伸びたスレンダーなメリハリボディでいたいのに、スマホ猫背(←スマホは持ってないけどニュアンスが同じなので使わせてもらってます。)になってまで文字に起こさないと自分自身への指令が下りにくいのは、肌質が弱い敏感肌からの気づきというニューロン発火により過去の記憶を引きずってしまうせいだからでしょう…

つまり、私は0ポストが語られる前者の回避型だからこそ、核心的価値観を持ち続けられると自負しているので、神の存在証明をしなくても信仰ができるということなのでしょう。

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