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哲学が好きコミュの自由について。

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自由とは束縛のないことをいいます。

しかし、束縛には外(社会や家庭、会社などの外部)からの束縛と内(自分の欲望、本能、感情)との2つの種類があります。

この両者をはっきりと区別することは難しいかもしれませんが、ともかく、社会的、政治的、法律的(法律で禁止されていること)、経済的(お金のあるなし)あるいは物理的な束縛というのを「外的な束縛」といい、これに対して、たとえば本能、衝動、欲望、あるいは感情と呼ばれているものを「内的な束縛」といいます。

この本能や衝動、欲望、感情というのは、動物もこれを備えているだろうと考えられており、逆に人間を動物から区別できるのは、こうした本能や衝動、欲望、感情を抑えることができる一点にあるのです。

だから、自由とは束縛がないことをいいますが、しかしだからといって、それは「何でもしたい放題」ということではありません。

「なんでもしたい放題」というのは、自由どころか、「欲望の奴隷」、「衝動のとりこ」になり、内的にすっかり束縛されてしまっているということです。

つまり、人間が人間であるためには、欲望や衝動を抑制し、あるいはこれを断って、精神の自律(自らを厳しく律すること)を保ち得てこそ、「真に自由な人間」であるといえるわけです。

どうしても一般的に「自由、平等、博愛」などといわれるときの「自由」とは、外的束縛からの解放というものだけを意味してしまいます。しかし、こうした外的束縛を脱することだけでは、まだ真に自由とはいえないのです。

この外的束縛と内的束縛には妙な関係があります。内的束縛が多ければ、たとえば欲望をコントロールできない子供である場合は、外的に束縛することで内的束縛を抑制する必要があるのです。だから、中学校や高校にはめんどうな規則がたくさんあり、子供には法律的にもさまざまな制限(たとえば、お酒が飲めない、煙草が吸えないなど)があるのです。

その意味で、成人(大人)に対して外的な束縛も少なくて良いわけです。ですが、間違っても幾ら外的な束縛が少ないからといっても、当然「何でもし放題」というわけではないのは先にいったとおりです。いい大人が、つまらぬ遊びにふけり、服装も礼儀も勝手気まま、仕事を怠り、じだらくな生活を送っている者がいたとしたら、それは「真の自由」からはほど遠いといわざるをえません。

だから、内的束縛が多い者、つまり欲望や衝動、感情に動かされやすい人には、結局外的な束縛も多くならざるを得ないのです。逆に、内的束縛が少ない者には、外的束縛(ルールや決めごと、規則)も少なくてよいのです。
それなのに、むやみに外的束縛を取り外すと、どうしても人間の内的束縛、すなわち欲望に振り回されることが多くなり、人間として「欲望の奴隷」に成り下がってしまいます。

これまで長い間賭けて人類が外的束縛からの解放を求めて、さまざまな政治運動などをしてきましたが、欲望や衝動、感情などの内的束縛から脱することができなければ、いつまでたっても本当の意味での自由は達せられないということになります。

たとえば、「空飛ぶ鳥のように自由だ」などという言い方がありますが、これは外的束縛がないことだけを比喩的に表現しているに過ぎません。鳥は決して「自由」ではありません。鳥は本能とか欲望とか衝動とかの必然のままに動くのであって、それ以外の動き方はもともとできないことになっているのである。

だから、鳥がたまたま人間に対して、攻撃してくるなど、どのような狼藉を働いたとしても、人間は鳥に対して道徳的責任を問うことはしません。鳥に、本能とか欲望、衝動といったものを抑えることができないと分っているからです。

ところが、人間の場合は、本能のままに動くことも出来るし、あえて本能を断ち切って、精神の自律にもとづいて行為することもできます。そして、そのような「自由」があるということが前提にされているからこそ、人間には道徳的責任が問われるのです。

つまり、人間には「自由な意志」があるのです。ここでいう「意志」というのは、本能的、衝動的なものではありません。もしそうであるならば、「意志」は自由などころか奴隷に成り下がってしまいます。「自由な意志」というのは、「決断すること」そのものを意味しているのです。

だから、煩悩を断ずる厳格な者を意志が強い人といい、だらしない者を意志薄弱と呼ぶのです。だから、自由なる意志というのは、煩悩の鎖を切り、欲望を抑制する力のことであり、「自由」というのは、決して「何でもしたい放題」ということではないのです。

コメント(95)

>>[57]

 こんな説があります。最近創設された宗教科学上のものです。

 人間は死後モノとなり生まれ変わるまで将来に向かってタイムスリップする。

 そして人間の個我の決定因子は受精卵の最初のDNAの最重要部位の分子か原子ではないか?それは生後視床下部に存在することとなるのではないか。その個我の決定因子が明らかとなり、それを取り出し新しい受精卵の最重要部位に移植することが出来れば人間は生まれ変わりが可能ということになる。しかしその研究は遥かな道のりとなることが予想される。そしてそれには受精卵の命が犠牲になってはならない、という倫理的な問題がある。

 そしてこれは今のところ仮説でしかありません。基本的には死後のこと、時間のことは分からない、ということです。

 そしてその仮説とは私が考え出したものなんですがね…(笑)。
自由とは、失うものが何も無いと云う精神の状態。
>>[65]

 私も私としてあることをいくらか嫌ですね。世間で尊重されている能力は低いし、生きている快楽を味わうことも出来ないし。でも自分のことは好きですね。自分が自分でなくなる場合は、決してましな人間になるとは限らないし。生まれるならば自分以外考えられない、というところですかね。まあ私は人間という特別な種類に生まれて、自分に生まれた、というので一応は満足しておこうか、というところですね。でもひがしかぜさんには私にはない能力がありますよ、過去の文献に詳しいこと、過去の文献を引用して自分の考えを表現する、という能力です。それはひがしかぜさんの私にはない長所である、と思います。私は過去の文献の知識が一切ありません。だから難しいことも言えません。だから自分の頭で考えて表現するしかありません。だからそれは大概は面白くない、ということと、多くの場合は普通ということになります、たまに突飛なことを思いつきますが、突飛過ぎて人々に受け入れられない、というところですね。私は私の頭で考えて、世の中ではタブー視されているが、それとは事実は違う、ということを考えて、それを表現したりしますが世の中からは受け入れられません。私が私の頭で出来る限りを考えて、表現しても、それが世の中で言われていることではないと、世の人々からは受け入れられません。そして私の話は人気がありません。悲しい現実です。その点過去の有名な著述を知っていて、それを元に話を出来る人は人々に受け入れられ優秀であると評価されやすいです。ひがしかぜさんはそうです。ひがしかぜさんと私ではその点で違う、と思います。だからといって私は自分が嫌か、といえばそうではありません。私には私の意見は正しい、という信念があります。世の中でよく言われていることと、本当に正しいことは違います。そして私が言っていることが間違っているならば、それを適宜に指摘してもらえれば、それを受け入れる準備が私にはあります。しかしそれが適宜でないならば私は私の正当性を説明するつもりです。しかし人気とは、世の中でよく言われていることを選びます、世の中でよく言われていずに、誰かが自分の頭で考え出したことなど、誰も受け入れません。それ以上に、自分の頭で考え出したことが世の中でよく言われていることでないと「お前は何様だ!」と反感さえ買うこともあります。私は私がなぜ人気がないのかが分かりません、しかしおおよそ推測してみれば、そういうことだと思います。私の意見が勘違いであるならばそれを指摘していただきたいです。

 世の中色々な人がいます、私から見てひがしかぜさんは最悪ではなくレベルが高い、と思えます。
>>[76]

> 酒気帯びの行動は人間の本能行動というよりは、ヒトの合目的的行動にあたるからこそ、酒の自由化には反対だったりするのです。進化は人間の本能行動ではありません

“合目的的行動”って何でしょう?
同じ漢字を2度繰り返す表現は中国語みたいなので、日本語でよろしいのでしょうか?
もしかして、誤字ではありませんか?

時間がある時でも結構なので、確認の方よろしくお願いします。
>>[83]
「合目的的」は単純になんらかの目的にかなっているというだけのことでしょう。
例えば、ナイフはものを切る為の道具だから刃が鋭ければ、それは合目的的であるし、また合目的性を備えている、というふうに言えます。

酒に酔って憂さを晴らしたいと思っているなら、飲酒することは合目的的であると言えます。しかし、酔っ払ってのご乱行を合目的的であるとは言えないと思います。それは理性のタガが外れた欲望(本能)の発露です。
>>[85]


どうしても気になって眠れなくなりそうなので、横槍失礼します。

> 動物の発情期はだいたい春から夏がピークだったりするのですが、

動物といっても多様な種に区分されますし、妊娠期間も種によって違います。
Pさんが認識する種の記憶では春から夏がピークなのでしょうけど、エゾシカやヤギやヒツジは秋に発情期を迎えたりするそうです。

ゾウ→約21ヵ月
ウマ→約11ヵ月
ヒト→約10ヶ月半
ヤギ→約6ヶ月
ブタ→約4ヵ月
パンダ→約2ヵ月半
イヌ・ネコ→約2ヵ月
ウサギ→約1ヵ月
ハムスター→約16日

あと、Pさんから教えていただいた合目的的は私にだって心あたりがあります。メガネを介した生活をしていますと本能的に物事を見ることができず、メガネに依存すればするほど視野が狭くなり、本能から抜け落ちて記憶が飛ぶ時が多々あります。お酒に限った話ではないように思いました。

Pさんは、はじめてメガネをかけた時、本能的な抵抗感はありませんでしたか?
たぶんカントの判断力批判を誤読した結果、「合目的的」と「合目的性」について間違った語感を持ってしまったのでしょう。基本的に言葉は辞書に従って使うべきと思います。

>>[91]
論文の引用の仕方が変です。
貴方が引用した部分には、肝心の「目的なき合目的性」についての説明がありません。主題に入る前の導入部をコピペしても意味がないでしょう。

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