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サダム・フセインコミュのサダム・フセインは偉かった

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あれからもう一年ですね。

「面白い視点」の文章を見つけたので参考までに。



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「サダム・フセインは偉かった」

パキスタンの山村で学校を覗く機会があった。泥レンガ造りの小さな教室で男の子十数人が机に向かっていた。

学校の外には同じ年恰好の女の子が群れていた。君たちは学校に行かないのかと聞くと、私達には学校がないと答えた。

イスラム世界では女児が初潮を迎えると一人前の女とみなされる。

ということは「女は夫以外の男性と話をしたり顔を見せたりしてはならない」というイスラムの戒律が適用される。

だから夫でもない男の子と机を並べる男女共学はありえないし、男の先生に教わることも許されない。

女の先生ならいいが、その女の先生がいない。それなら女の先生をつくればいいのだが、彼女らを教育する女の先生がいないから結局、女の子はいつまでたっても学ぶ機会はない。

せいぜいこうやって教室の窓越しに先生の声を聞くだけなのだという。

学校の傍らをインダス川が流れる。河原に遊牧の民の天幕が見えた。チャドルをかぶった女が三人その天幕の前で羊の皮袋を揉んでいた。

羊の乳を入れてそうやって揉んでいるとバターが遊離する。その作業を写真に収めようと近づいたら、亭主が飛び出してきて長い銃をこっちに向けてぶっ放してきた。

妻は夫の持ち物。他の男が近寄ることは許さないというイスラムの教えがこの発砲を認めている。

コーランは他に「女は男の畑だから好きに耕せ」とか「女はひたすら夫に従順に。反抗したら打擲を加えよ」とか書いてある。そういうわけだからイスラム世界では女が店に立って商売したり接客したりということはない。結婚前も結婚後も家に閉じ込められて一生を過ごす。

そんな女が夫の目を盗んで不倫でも働けば、報いは死刑と決まっている。

八〇年代、イランの古都イスファハンで上司の妻と密通した部下が、邪魔な上司を強盗の仕業に見せかけて殺した事件があった。判決は部下が殺人罪で死刑、上司の妻は不倫の罪で石打ち刑に処せられた。処刑は聖都コムの河原で執行され、腰まで埋められた妻に十数人の刑吏が「手ごろなサイズ」の石を投げつけて殺した。死ぬまで二十分かかったとケイハン紙は伝えていた。

不倫は死刑だから、その規定は厳格でなければならない。当時、その聖都のイスラム研修所でのテーマの一つは「地震で二階の床が抜け、裸で寝ていた人妻が一階に転落し、裸で寝ていた男の上に落ちて交接してしまった。人妻は死刑になるか否か」だった。

今のパキスタンでは強姦罪の成立に「四人の証言」を求めている。証言者が三人以下だと被害女性は不倫の罪で処分される。

本来安らぎを与えるはずの宗教が逆に苦痛と束縛を強いている。おまけに国民の半分を占める女性を教育から遠ざけ、家に閉じ込めている。

これは国家の大いなる損失になる、と宗教からの脱却を求めたのがイラクのサダム・フセインだった。

イランのパーレビ皇帝はそれをやってホメイニ師に追放された。

イラクも同じでイスラム聖職者、とりわけシーア派は彼に対する暗殺を執拗に企て続けた。彼はそれを徹底的に弾圧した。今回、彼に死刑判決をもたらした「シーア派虐殺事件」がそれだ。

彼の鉄の意志はついに宗教界を黙らせ、イスラム圏にあってここだけが女性に教育と社会活動を保証するまともな国になった。

国民の半分が生き返ったイラクは急速に国力を伸ばし、忘れていたアラブ民族意識も取り戻した。

ただそれが欧米には都合悪かった。アラブ国家は頑迷固陋な宗教に侵ったまま石油さえ供給していればいい。変に民族意識をもっては困るというわけだ。

それでサダムは取り除かれた。重石が取れたイラクは再び宗教が前面に出てきて、宗派ごとに角突き合い、殺し合いを始めた。

処刑台に立つ彼に「地獄へ行け」と罵る声が記録されている。死にゆく者の尊厳を平気で踏み躙る。まるで中国人みたいな民。

こんな連中を一つにまとめてまともな国家に育てた男の偉大さを、改めて思い知らされた。合掌。

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高山正之「変見自在」2007年1月18日より

コメント(3)

合掌!!!
良心にしたがって生き抜いたのだと思う。そういう風に思えてならない。
なかなか読ませる文章でした。
日本人の冷静な国民性に少し誇らしい気持ちになりました。

何が正しいのかなんて、とても些細な事だと思います。
ですが、フセイン氏の正義や大義も、少しは周知されるべきですね。
はじめまして

もともとサダムは世俗的な政策を行っており、湾岸戦争までは「西側に最も近いアラブの指導者」と目されていた。サダムは「イラク近代化の父」とよばれている。
アラブ世界では女性の社会進出が最も進んでいたり(女性の名誉の殺人を禁止したりして女性の権利を拡大させた)、国民の識字率を大幅に向上させ、サダムはユネスコに表彰もされている。

〜以下引用 「サダムフセインの人生」より〜
 国民の生活水準は確実に上がった。ある時には僻地の村に送電施設とテレビが無料で配布された。サダムの壮大な国家創設計画は、諸外国に第三世界のサクセスストーリーとして見られた。
 サダムはこれらの公共事業において、博士号を取得した専門家でさえ答えに窮するような質問にも軽く答えた。サダムは恐ろしいほど勤勉な男だった。一つ一つの事業に参加する前に、長時間の予習を欠かさなかった。そしてその勤勉性は確実にサダムのリーダーシップに輪をかけた。
〜引用終わり〜

人権弾圧などの圧政もありましたが、彼の評価が完全にひっくり返ったのはクウェート侵攻のためでしょう。

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